第8話 魔法は爆発だ
穏やかな木曜日の夜。晩餐が解散してからしばらくあと、シアンはスマルトの付き添いのもと、談話室に向かった。いまなら父と母が歓談に興じているはずだ。
シアンとスマルトが談話室に入ると、ふたりは話すのをやめて顔を上げる。シアンは少々緊張していた。
「あの……僕、王立魔道学院に通いたいんです」
伺いつつも意思を湛えて言うシアンに、父母は優しく微笑む。
「ああ、そうだな。私たちもそれがいいと思う。だが、王立魔道学院は最高峰の魔法学校。充分な実力が必要だ」
「はい。カージナルさんには、そのつもりで授業をしていただきます」
シアンが真っ直ぐに青い瞳を見つめると、ゼニスは満足げに頷いた。シアンがそう言い出すのをずっと待っていたような表情だ。受け入れること以外の選択肢はなかっただろう。
「素晴らしいわ」と、セレスト。「何事にも挑戦するのは大事なこと。いまその一歩を踏み出したあなたはとても勇敢よ」
「王立魔道学院に年齢制限はない。私たちに急かす理由も必要もない。自分の実力が充分だと納得してから入学資格の試験を受けるといい」
「はい。ありがとうございます」
おもむろに立ち上がったセレストが、優しくシアンを抱き締める。相変わらず、細腕からは想像もつかない力強さだ。
「なんて素晴らしい子なのかしら。きっと国内でも屈指の実力者になるに違いないわ」
「頑張ります」
「これでブルーもやる気を出すのではないか?」
ゼニスが朗らかに笑って言うので、シアンは問いかけるようにセレストを見上げた。
「あの子は勉強を嫌がっているの。きっとあなたと一緒に通うために精を出すはずだわ」
「では、同時期に入学資格を取ったほうがいいですか?」
「先に入学しても構わないわ。そうすれば、きっと急いで勉強するはずよ」
ゼニスも同意するように頷く。さすが親というものは子どもの生態をよくわかっているようだ。
「王立魔道学院の卒業資格の規定は最低三年」と、ゼニス。「お前が納得するまで通うといい」
「はい。ありがとうございます」
「お前に確かな実力が身につくなら何年でも大歓迎だ。きっと私の有能な補佐になってくれるだろうからな」
「頑張ります」
シアンが微笑むと、父も母も満足げな様子だった。スマルトの話では、シアンが街の魔法学校に行くと言い出したとき、父母は王立魔道学院を勧めたらしい。王立魔道学院がシアンにとって最善だと思い、シアンにその自信がつくのを待っていたのだろう。ふたりの言葉から察するに、王立魔道学院はジュニアスクールとはまったく違う。おそらくシアンより若くても実力があるのであれば入学するのだろう。賢者はまだ、シアンにそれだけの実力があると確信を持ったわけではない。この先、カージナルの授業で確かめる必要があるだろう。
談話室を出ると、スマルトがシアンの頭を撫でた。にこりとも微笑まないが、これが彼の無言の愛情表現だ。シアンも笑うことでそれに応えると、どこか満足げに見えた。
賢者は明確な目標ができると燃える。シアンの柔らかい頭脳にどれだけの知識を詰め込めるかが楽しみだ。もちろん、シアンがそれでよければ、だ。
* * *
翌日のカージナルの授業は、魔法実習の時間となった。賢者はまだシアンの魔法力を知らないため、それを確かめるのにちょうどいい。
「よ〜し。じゃ、この的に向けて火球を撃ってみて」
広い裏庭。その中心にカージナルは的を置く。シアンの立ち位置からおよそ三十メートル。賢者の推定によるシアンの魔力であれば、充分に命中させられる距離だ。
(よし、ちょうどいい魔力量で頼むぞい)
シアンに呼びかけながら杖を振る。その先から放たれた火球が轟音とともに的を爆破させるので、シアンの体はちょうどいい魔力量の放出を知らないのだと賢者は思い知った。それでも、カージナルは目を輝かせている。
「う〜ん、素晴らしい! 圧倒的な威力、膨大な魔法力……! 魔力回路を隅々まで解析してみたいわ〜!」
ここまで想定した上の裏庭での実習だったのだろう。中庭では、いまの爆発で何かしらの被害が出たかもしれない。
「魔力量の調整は、これから学んでいくといいわ。的確な放出をこれから教えていくわね。ええ……手取り足取り、ね……」
(最後の一言がなければ変質者扱いされんのにのう……)
言葉が問題なのではない。言い方が問題なのだ。
「これだけの魔力を保有するシアンちゃんが完璧に魔法を統制できれば、王宮が欲しがるかもしれないわね。その歳でその可能性を感じさせるなんて……アタシ、恐ろしいわ……!」
賢者の知恵があれば、シアンの体がその方法を知らなくとも魔力の統制は可能だ。しかし、魔法を本格的に習い始めて間もないシアンが完璧な統制を身につけているのは不自然である。的を爆破したのはむしろ自然だったと言えるかもしれない。魔力の統制は学ばなければ身につかない。魔法学校でまともな教育を受けることができなかったと考えれば、その方法を知らないふりをしておいたほうが無難だろう。何より、世界が変わると魔法も変わる。いちから教わるほうがシアンにとっても安全だ。
それから、カージナルは魔力の放出について詳細を説明したが、実演では感覚的な話になって伝わりづらかった。本来のシアンであれば首を捻っただろうが、賢者はなんとなくだが察することができる。やってみて、と言われるたびにシアンがコツを掴んでいくと、カージナルは褒めることも忘れない。シアンにとって最良の家庭教師なのかもしれない、と賢者はそんなことを思った。
* * *
ダイニングのテーブルに着くと、ブルーが興奮気味に言った。
「シアン! 王立魔道学院を目指すの!?」
「うん、そうだよ」
「だったらあたしも一緒に目指す!」
母セレストにとってはしてやったりである。手のひらで転がされている、と言っても過言ではないかもしれない。
「じゃあ、勉強を頑張ろうね」
シアンがそう微笑みかけると、ブルーはしょんぼりと肩を落とし、そうね、と小さい声で呟いた。勉強を嫌がっていることは明白である。
「そんなに勉強が嫌いなの?」
「だって、楽しくないもの」
ブルーは唇を尖らせる。ブルーの家庭教師はセレストが選んだ女性教師で、彼女に反発しているわけではないようだ。ブルーのことだから、家庭教師が気に食わなければセレストに正直に話すはず。ただ単に、勉強が嫌いというだけだ。
「授業が全然、頭に入ってこないの。あたしは頭が悪いのかしら」
「うーん……いまの授業内容がブルーにはまだ少し難しいのかもしれないよ」
シアンがそう言うと、ブルーはきょとんと目を丸くする。いままで何人もの弟子を育てたが、問題を理解できない者の多くは難易度を下げれば徐々に理解度を深めた。それは子どもでも同じはずだ。
「午後の授業のときに、ブルーの先生と少し話してみるよ。授業内容を変えてみれば、また印象が変わるかもしれない」
「うん!」
賢者時代は、覚えの早い弟子を褒めたところ、教え方が上手いと言われた。教え方は自分の経験に基づいている。身につけた実力を遺憾なく発揮できたということだ。将来有望のブルーが教養を存分に身につけることができれば、その経験が役に立つだろう。
昼食後、ブルーの勉強部屋を訪れた家庭教師にシアンはさっそく授業内容を確認した。ブルーの成績を把握し授業内容と照らし合わせると、シアンの思っていた通り、ブルーには少々難しいようだった。女性教師は自分の説明が悪いと思い、ブルーは自分の理解力が低いと思っていたようだ。シアンにとって、ブルーの能力に見合った授業内容を提示することは簡単なこと。教師もそれに納得して、授業内容は見直されることとなった。
それが済めば、シアンはスマルトとともに仕事に取り掛かる。女性教師が理解ある家庭教師だったおかげで、話し合いにはさほど時間はかからなかった。今日の分の仕事は問題なく終えることができるはずだ。
いま、シアンの心は満ち足りていた。日がな一日ぼうっとしていたあの頃とは違う。感じるのは確かな充実。これが「生きている」ということなのだろう。屋敷の外に出られなかったとしても、それだけで充分だった。
* * *
夕食になると、ブルーはずっとご機嫌だった。授業内容が変わり、理解が追いついたのかもしれない。この調子なら、王立魔道学院を目指すことも夢ではないだろう。
「シアン! 明日の午後はどうするの?」
楽しげに問いかけるブルーに、シアンは首を傾げた。
「何かあったっけ?」
「それをこれから決めるんじゃない!」
賢者は思考を巡らせる。明日は土曜日。土曜日の午後、というところで閃いた。土曜の午後から日曜にかけて、仕事も勉強も休みということだ。
「ブルーは何かやりたいことはある?」
「シアンと一緒ならなんでもいいわ!」
(最も困る返答じゃ……)
シアンは屋敷の外へ出ることができない。屋敷の外へ行くのは賢明ではない。屋敷内で過ごす必要があるとなると、賢者には悩ましいことだった。いまは屋敷内の構造を把握していない。把握しているのは、ダイニング、リビング、談話室、それぞれの執務室と勉強部屋、それぞれの寝室、ピアノホール、書籍室だ。他にもたくさんの部屋があるようだが、それをスマルト以外の誰かに訊くのは不自然である。とは言え、活発にスポーツに興じるような性質でもない。
「うーん……じゃあ、書籍室で本を読みたいかな。ブルーのおすすめの本を教えてくれる?」
「いいわ! 本を読むのは得意じゃないけど、シアンと一緒なら何冊でも読めそうよ!」
ブルーの原動力はシアンらしい。ブルーの能力を伸ばすには、シアンが必要不可欠のようだ。
「じゃあ、明後日はいつも通りね」
シアンは一瞬だけ、返答に詰まってしまった。その直後、談話室に全員が集まって歓談している場面が脳内に浮かぶ。シアンが記憶を見せて教えてくれたようだ。他には何も見えないということは、談話室でひたすら話をするのが習慣らしい。シアンがひとつ頷くと、ネイビーが口を開いた。
「珍しいお茶が手に入ったのよ。お抱えの商人が持って来てくれたの」
「珍しいお茶、ですか?」
「ええ。東洋の国のお茶らしいわ。ピアニーに淹れてもらいましょ」
東洋の国、と賢者は心の中で呟く。何度か転生したことがあり、心当たりは「緑茶」か「烏龍茶」だ。少々渋みと苦味のあるお茶で、賢者は好きだったがシアンやブルーの味覚ではどうだろうか。
東洋は魔法の存在しない国々で、魔法に頼って生きて来た賢者には少々生きづらさを感じられた。独特な文化で面白い国々ではあったが、やはり長生きはしなかった。家族もいなかったため、こだわる必要はなかっただろう。
家族がいるというのは素晴らしい、と賢者は思っている。この屋敷では一度も寂しいと思ったことがない。悲しくもない。最期の転生で彼らのもとへ辿り着けたのは、この上ない幸運だった。
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