第6話 魔術師モランボン

 ジーカップ地峡の南端部には、南西から北東へ三つの砦と、それらを繋ぐ長さ8km以上におよぶ石の壁が築かれている。また、壁の北側には、並行して深さ10m以上の堀が掘られていた。

 これらは共に、古のオニギリシア人植民者が、北からやって来る騎馬民族スキデスタイ(※)に対する防壁として築いたものだった。


 ハラヘリウス、魔術師のハミー・デッター、案内鰐(ナビゲーター)のナビら三人は、謎の二人組によってとされた東砦の救援に向かうべく、西砦の北門を出た。

 堀に架けられた橋を渡ると、大陸へと繋がる街道から見渡す限りの草原地帯へ足を踏み入れる。ただの旅であれば、青々とした草も吹き渡る風の音も慰めとなるのだろう。しかし危急の時とあっては、見えない敵に対する不安を煽るものでしかなかった。


「ようし、じゃあ中央砦の連中に追いつけるよう、呪文で足を速くするからな。慣れねえうちは感覚が追いつかなくてバランス取るのも大変かもしれんが、そこは歩きながら慣れてくれ。早足進行だけどな」

 ハミーが印を組もうとすると、ナビが器用に前足を上げた。


「すいません、その前にちょっと。お二人は迷うことなく北門から出ましたけど、謎の二人組が北から来たという確証があるんですか?」

 彼の問いに、ハラヘリウスとハミーは揃って小さく「いいえ」と答えた。


「大草原の小さないいえ……。別にいいですけど」

 口をとがらせるナビを諭すように、ハラヘリウスは彼の背を撫でる。

「ナビ、大事なのはそいつらが実際にどこから来たかではない。中央砦のトマルマン隊長がどう考えるかだ。彼ならきっと、二人組は大陸から入り込んだと思い、防壁の北を進むだろう。だから、私も北門から出たのだよ」


 なるほど、と得心するナビを見て、ハミーが尋ねてきた。

「ハラヘリウスは、そのトマルマン隊長ってのを知ってんのか。性格は?」

「即断即決即実行」

「おう、見事なまでに名が体を表してねえな。だったら、こっちも急ぐにこしたことはねえか。<トー・チギト・チオトーメ>!」


 ハミーが印を組み呪文を唱えると、三人の歩く速度が通常の三倍になった。

 そこから更に早足で歩くのだから、慣れているであろうハミーや四つ脚のナビと異なり、ハラヘリウスといえど初めての感覚に少々戸惑った。

 最初のうちこそ体が前に引っ張られるようで、草むらの石につまずいたりしたものの、すぐに慣れてあっさりハミーを追い越すまでになったが。


 結局、一行が中央砦の守備隊に追いついたのは、奪われた東砦が間近に見える場所だった。兵士たちは皆きびきびと動き、砦攻めのための陣を敷いている。

「こいつら行動早すぎだろ。実質追いつけねえとは思わなかったぜ」


 ハミーがトマルマン隊長の統率力に舌を巻きつつもぼやいた。ハラヘリウスは、攻め込む前に追いつけたんだからいいじゃないか、と笑ってフォローする。

 陣に近づくと、兵の一人が見とがめて槍を向けてきた。が、ハラヘリウスと判るとすぐに下ろす。隊長を呼んできますのでお待ちください、と言い残して奥へと駆けていった。


 西砦に限らず、三箇所ともほとんどの兵士とは顔見知りである。間違いなく、ハラヘリウスたちを助っ人だと思ったのだろう。

 程なくして、指揮官用の衣をまとった中年の男が先の兵士を従えてやってきた。上背はそこまででもないが、胸板が分厚く腕も脚も度外れて太い。茶褐色の髪を角刈りにした頭は大きな顎ががっしりとして、さながら直方体の上に立方体が載っているようだった。


 男、すなわちトマルマン隊長は大股に歩いてハラヘリウスの前までやってくると、にっかりと笑って右手を差し出した。ハラヘリウスも、微笑んでその手を握り返す。

「王都から追放されたとは聞いたが、まさかまだ半島の中にいたとはなあ。こんなところで油を売って、いずれ守護代を足がかりに国りでもするつもりかね」


 野太い声で物騒な冗談が飛び出すと、ハラヘリウスはとがめるどころか愉快そうに笑った。

「エレクティオンの次が無能ならそうしてもいいが、やってしまうとさすがに終わりが良くなさそうだ。このまま周りの連中と合わなければ、おとなしく身を引くよ」

「それがいい。ワシとしては戦場で死ぬまで暴風のごとく敵を蹴散らす君が見たいが、飛鳥尽きて良弓かくれ、狡兎死して走狗煮られるよりはな」


 二人が頷き合っていると、足元にいたナビが両前脚で器用に二人のズボンの裾を引っ張った。興奮しているのか、心なしか顔が赤く見える。

「さっきから黙って聞いてれば、喩えが時空を越えすぎじゃないですか。ハラヘリウス様もスルーしてるし」


 言われて、トマルマンは握った手を離すと腕組みをした。いっそ感心したように息を吐く。

「いやあ、まさかこんな頭の悪い小説でマジレスされるとは思わなかったな」

「そこが彼のいいところなのさ」

 ハラヘリウスはかすかに笑い、穏やかな目でナビを見た。トマルマンも歯を見せて楽しそうに笑う。ただ当人は子供扱いされたようで不満なのか、もー! と叫んで突っ伏した。


 戦陣の中であることを忘れそうになるひとときだったが、それはハミーのひと声によって終わりを告げた。

「旧交を温めるのはそこまでにしとけ! 櫓の上に魔術師が出てきたぞ!」

 ハラヘリウスとトマルマンは、一瞬にして戦士の顔に戻ると砦内にある物見櫓に視線を向けた。確かに、何者かが立っている。まだまだ距離があるため顔まではわからないものの、黒いローブを着ているようだ。


「ローブは黒……。【悪】の魔術師か」

「二人とも、この距離で良く見えるな。ワシには人がいることしかわからんぞ」

「俺は、さすがにそのへんは魔法でな。ハラヘリウスがおかしいんだよ」

「人を人外みたいに言わないでほしいものだが」

 ハラヘリウスの抗議に応えたのは、残念ながら風の音だけだった。


「姿を見せたのなら、奴らは砦の中にいるということだ。すぐに攻めとしてやる」

 鼻息を荒くするトマルマンを見て、ハミーがはあ!? と声を出した。

「ここの守備兵は、あいつの範囲攻撃呪文で壊滅したって話じゃねえかよ。聞いてなかったのか!?」


 トマルマンはふふんと鼻を鳴らし、それから虎のように笑った。

「聞いていたとも。だから全員に、攻撃呪文を防ぐ護符を渡してある」

 まあそれなら、とハミーが納得した時、物見櫓から風に乗って壮年の男の声が響いた。


「意外に早かったではないか、中央砦の諸君! 我が名はモランボン! 大賢者ストラボン(実在・※)の一番弟子である! 恐れおののくがいい!」

「あ゛? モランボンだぁ?」

「知っているのか、ハミー?」

「いや、知らね」


 ハミーが肩をすくめる間にも、モランボンの演説は続く。

「せっかく来てくれたのだ、歓迎しようではないか! さあ、諸君らもここの守備兵たちの後を追うがいい! <アッサ・ヒスパード・ライ>!」


 物見櫓のモランボンから、黄金色に輝く光線が多数放たれた。光線は兵士の半数ほどを直撃し、護符などなかったかのように昏倒させていく。

 ハラヘリウスたちは、急いで倒れた兵士たちに駆け寄った。死んではいないものの、身体がキンキンに冷えきっており、このままでは命が危ないだろう。


「信じられん。一瞬で壊滅しただと……?」

「隊長、すぐに撤退して彼らを温めねば。もう一度同じ呪文が飛んできたら、我々も同じことになりかねんぞ」

「う、うむ。無念だが仕方あるまい。それにしても、護符が役に立たんとは……」


 トマルマンもさすがに歴戦の隊長である。呆然としつつも思考停止に陥ることなく、速やかに撤退の指示を出す。中途の設営もそのままに同僚を抱えて戻る守備兵と、彼らを助けるハラヘリウスたちに、モランボンの声が再び風に乗って届いた。


「十日だ! 十日以内にハラヘリウスを呼んでこい! 十日経っても早馬の連絡すらないようなら、中央砦どころか西砦もとされてもらうぞ!」


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