第4話 ネトラレイア慕情
王都パンパカパイオンから、南回りで街道を行くこと三日。途中のシシオドシアを過ぎて、左手にフルティンデスゥーの山々を見ながら西へ進むことさらに三日。ハラヘリウス一行は、最初の目的地であるネトラレイアにたどり着いた。
ネトラレイアは、古代オニギリシア人が建設した植民都市の一つであり、今なお賑わいを見せている。石畳の大通りを行き交う人々の顔は活気に満ち、そこかしこで露天商が声を張り上げていた。
「ふわあ、初めて来ましたけど、なかなかすごいですね。さすがに王都には及ばないにしても」
「お? 何だ、ナビ公は来たことなかったのか。ここは仮にも、神話の英雄ネトラレスにちなんで名付けられた町だからな。そりゃあ人も集まるってもんよ」
案内鰐(ナビゲーター)が感心した声を出すと、戒律【悪】の魔術師ハミー・デッターが得意げに説明する。ハラヘリウスは仲のいい二人を微笑ましく見つつ、大股に歩いて先頭に出た。
「ここに来た目的は、武器の点検あるいは新調だというのを忘れないでくれよ? それが終われば、一日休んで街を見ようじゃないか。ナビも、久しぶりに生肉が食べたいだろう?」
「本当ですか!? 道中では乾燥肉しか食べてなかったから、想像しただけでヨダレが……って、何言わせるんですか!」
顔を真っ赤にして
「いや、お前、ノリツッコミの才能あるわ。お笑い芸人になったら人気出るかもよ?」
「大きなお世話です!」
ハラヘリウスは口元をほころばせ、親方は元気だろうか、と呟いた。ナビを相手にしていたはずのハミーが、即座に食いついてくる。
「で、お目当ての鍛冶屋ってのは、どんな奴なんだ?」
「うむ。ネトラレイトスという、この道四十年を数える熟練の職人だ。腕は抜群だが、弟子を取ろうとしていなくてな。理由を聞けば、奥さんと二人の時間が減るのが嫌なんだそうだ」
「おうおう、そりゃまたお熱いこって」
「ちなみに、以前剣を新調した際に泊めてもらったのだが、寝室の方がたいへんうるさくて碌に眠れなかった」
「……そりゃまたお熱いこって」
げんなりした顔をするハミーの背を叩き、ハラヘリウスは先導する。そのうち、壁に囲まれた二階建ての家が見えてきた。
敷地は、普通の家の二軒分以上か。門は開けられ、隙間から平屋が一棟見えた。あれがネトラレイトスの工房だ。その手前に背もたれ付きの椅子があり、女性が腰掛けて空を見ている。
「御免」
ハラヘリウスは入口で女性に聞こえるよう声を出し、中に踏み込んだ。ハミーとナビも続く。女性はこちらに気付くと、ほっとした顔で近づいてきた。
女性は、ネトラレイトスの女房で、町と同じ名を持つネトラレイアだった。そろそろ五十の坂に届くということだが、十は若く見える。ふくよかな体つきもあって、「かわいらしいおばちゃん」という印象だ。
「まあまあハラヘリウス様。今、北からお戻りになられたんですか?」
「いや。王都へ戻って、改めてここへ来たのだ。親方は工房かな?」
ハラヘリウスが笑顔で平屋に顔を向けると、ネトラレイアの表情が曇った。
「……うちの人は山の小屋ですよ。弟子と一緒に」
ネトラレイアは重いため息をついた。ハラヘリウスが目を丸くする。
「弟子!? あの親方が?」
「ええ。ハラヘリウス様が北へ赴かれた少し後、ネトリウスと名乗る青年が弟子入りに来まして。最初は断っていたんですが、あのしつこい泥棒猫、しまいには体でうちのを
ハラヘリウスの後ろでうわあ、とナビの声がした。男同士とはまた古典的な、とハミーの声もする。
「弟子にしたらしたで、まともに仕事もしないで真っ昼間からいちゃついてばっかりで。あんまり腹立ったから、もう出てけって言ったんですよ。そしたら、うちのも一緒に出てっちゃって……。町の人が、ヤラナイカ山の山小屋で二人を見たそうです」
「奥さんが言うのでなければ、とても信じられない話だが……。二人が出て行ったのは、いつ頃のことかな?」
「もう一週間になりますかねえ」
ネトラレイアはもう一度ため息をついた後、諦めたような笑顔になった。
「男なんて馬鹿ですからね。若いのに入れあげても、そのうち頭が冷えて戻ってきますよ」
「その時には、広い心で許してあげると?」
「ええ。たっぷりお仕置きしてからですけどね」
そこで初めて、ネトラレイアはにっかりと笑った。背筋に冷たいものが走り、ハラヘリウスは身を震わせた。
ネトラレイアの町は、フルティンデスゥーの山々の麓にある。街中からでも、南東を向けば、標高数百メートル程度の山並みが東へと連なっているのがよくわかる。
その中に、ひときわ目立つ一箇所があった。町のすぐ目の前は周辺よりも目立って標高が高くなっており、山肌を覆う草原の中、青みがかって見える断崖絶壁が雄々しくそそりたっている。まるで、青い服を着た男がベンチに腰掛けているようだ。
「ウホッ! いい山……」
町を出て、ヤラナイカ山の岩肌を見たハミーが感嘆の声を漏らす。幻聴だろうか、ハラヘリウスの耳には「
「そんじゃま、さっさとそのネトリウスってのをとっ捕まえて、剣を見てもらうなりなんなりしようや」
ハミーは上機嫌で歩き出し、ずんずん山に分け入っていく。続くハラヘリウスのズボンの裾を、ナビが引っ張った。
「ハラヘリウス様、魔術師が先頭に立って大丈夫なんですか? もし魔物か何かがいたら……」
「仮に魔物がいたとして、駆け出しなら危険だろうがな。あいつなら心配はいらんだろう」
心配そうに見上げるナビの背を、ハラヘリウスは優しく撫でる。葉擦れの音や小川のせせらぎを聞きながら山道を進むうち、ぽっかりと開けた空間に山小屋を見つけた。
「おっと、話が早くて助かるぜ。周りに人影はなさそうだが……」
「中にいるのかもしれん。私が見てこよう」
ハラヘリウスは足音を殺して、小屋へと忍び寄る。開いたままの窓からそっと覗くと、逞しい肉体を持ったごま塩頭の男が、こちらに背を向け腹に冷え防止の布をかぶせて寝台に横たわっていた。
その背中を、見覚えのない若い男が愛おしげにさすっている。線の細い色男だ。あれがネトリウスなのだろう。もちろん二人とも服を着ているから心配ご無用。
ハラヘリウスはしゃがみ込み、ハミーとナビに向けて手招きをした。
二人が来ると、ハラヘリウスはその間に思いついた案を耳打ちした。ハミーは悪戯を仕掛ける子供のように笑って入口へと向かう。ナビには、万一ネトラレイトスがこの窓から逃げようとした時のためにここで待機してもらう。
ハミーの姿が見えなくなると、ハラヘリウスは窓の外から大声で叫んだ。
「親方! 迎えに来たぞ! 間男は縛り首だ!」
ネトリウスが勢いよく振り向く。目が合った。わざとらしく凶暴な笑顔を作ってやると、色男は顔を引きつらせて入口へと逃げていった。
肝心のネトラレイトスは、よほど深く寝入っているのか、「んっ……」と渋くも甘い声を出しただけだ。五十代後半の逞しい親爺が無駄に色っぽいのはやめてほしい。いや喜ぶ人たちもいるとは思うが。
ハラヘリウスが入口に回ると、ハミーがちょうど出てきたネトリウスに肩から体当たりをされて尻餅をついたところだった。
「ハミー! 奴は私が捕まえるか!?」
「いや、いい! あの野郎舐めやがって! <サッポ・ロミ・ソラメン>!」
素早く立ち上がったハミーが印を組んで呪文を唱え、両手を突き出す。十本の指先と袖の中から白い縄のような物が大量に飛び出し、ネトリウスをぐるぐる巻きに縛り上げた。
ハラヘリウスがゆっくり近づいていくと、間男は芋虫のように地面を這いずり、恐怖に目を見開いた。
「お前……、まさか、本当に、僕を縛り首にする気じゃないだろうな!?」
「さて。どうしたものかねえ」
ハラヘリウスは、わざとらしく考える様子を見せる。ハミーも歩み寄ってきて、無精髭の目立つ顎をさすった。
「東の国じゃ、
言葉の途中で、ネトリウスが唾を飛ばさんばかりの勢いでまくし立てた。
「ぼ、僕はな、アジポントス王国の人間だ! それも一般人じゃない! 僕の兄の友達の姉の知り合いの先輩の遠い親戚のはとこの子が、王様の側室なんだぞ! しかも今の王様は、永栄王(えいえいおう)と謳われるシャッキリポン王家のカマアゲシラス王だ! 僕が死んだら、国際問題にハッテンもとい発展するぞ!」
「赤の他人の一般人じゃねーか」
ハミーが冷静に蹴り転がす。ズボンに手を掛け、舌打ちをして「うるせえからケツにネギでも突っ込んどくか。地獄のネギ回しー、なんつってな」と呟いた。
途端にネトリウスの頬が赤く染まる。
「あの、お尻の出入口に食べ物はどうかと……」
「入 れ ん な」
自分の発言を棚に上げ、ハミーが手刀でツッコんだ。このままでは終わりそうもないので、ハラヘリウスもネトリウスの傍にしゃがみ込む。
「逃がしても構わんのだが、おかみさんの気持ちを考えれば無罪放免にはできん。西のショーフ・クテイツル
ハミーが「ん?」という目を向けてくるが、気付かないふりをする。
「ハミー、こいつの縄? を解いてやってくれないか」
ハラヘリウスが言うと、ハミーはふんと鼻を鳴らし、「いいのかよ」と尋ねてきた。
「お前も、本気でこいつをどうにかするつもりじゃあるまい? 私は、親方が戻ってきてくれればそれでいいのだ。おそらく、おかみさんもな」
肩をすくめ、わかったよ、と答えて、ハミーはネトリウスを縛った紐を消した。ネトリウスは一目散に西へと駆け出す。二人は笑いながら山小屋へと戻っていった。
山小屋に近づくと、こちらの姿を認めたナビが器用に前脚を上げて振った。続けて入口へと歩いてくる。合流して話を聞くと、ネトラレイトスはまだ寝ているようだ。
中へ入り寝室に侵入すると、彼は先程と変わらない姿勢で眠っていた。窓が開いていてなお強く残っている臭いについては考えないこととする。
「親方、とっくに昼を回っているぞ。早く起きて仕事をしてくれ」
ハラヘリウスは軽く肩を叩いて声を掛けた。ネトラレイトスが小さく唸って身をよじる。
「疲れきってるって感じだな。仕方ねえ、<シン・ジーコノシ・ジーミ>」
ハミーが印を組んで呪文を唱えると、ネトラレイトスの目が開き、ゆっくりと体を起こした。
「あ~爆睡した……。え!? ハラヘリウスどの!?」
ネトラレイトスは、開いた目を白黒させている。ハラヘリウスは、重々しいため息をついて逞しい両肩を掴んだ。
「親方に頼みたい仕事があってな。さあすぐに帰ろう。今数えたら、文字数が前回までよりかなり増えていた」
「5000字とか、まさかの倍以上だもんな……。早く帰って、おかみさんに謝んな」
ハミーも加わって説得すると、ネトラレイトスは状況を察したかがっくりと肩を落とした。
どうにか日暮れ前に家まで戻ると、ネトラレイアは門の前で待っていた。
「おかみさん……。ずっとここで?」
「ええ。皆さんを信じていましたから。きっと連れ戻してくれるって」
ハラヘリウスの問いに、彼女はきっぱりと頷いて微笑んだ。その顔は正妻の自信に満ちあふれている。
ネトラレイアはばつが悪そうにしているネトラレイトスの前へ進み、笑顔のまま横っ面を思い切り叩いた。
「今はこれで勘弁してあげる。今夜は絶対許さないけど」
「怖っ……!」
期せずして男たちの声が重なった。今の彼らにできるのは、ネトラレイトスが生きて明日の朝日を拝めるよう祈ることだけである。
「で、では、我々は宿を取りに行くのでまた明日……」
「俺、おかみさんにゴマすって精力剤の差し入れしようかな……」
「僕もう何も考えたくないです……」
ハラヘリウスたちは、そそくさとその場を離れていった。
その後三日三晩、ネトラレイトス夫妻が姿を見せることはなかった。ただ、夜になると、獣のような声が近隣に響いただけであった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「歴史・地理系の元ネタ」第4話分は更新済みです。
今回、相互さんお二方の歴史系作品二作へのリンクを張らせていただきました。どちらもたいへん面白いので、歴史好きで未読の方はぜひ!
(作者様了承済み。四谷軒様、本城 冴月(ほんじょう さつき)様(ネタ登場順)、誠にありがとうございました!)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます