第3話 ハミー・デッターと進まぬ本筋

 ハラヘリウスと案内鰐(ナビゲーター)は、“ボスエロス王国一のはみ出し野郎”ハミー・デッターを先頭にして、丘を下り町へ戻ろうとしていた。


「ところでよ。お前さんの割れた額、魔法で治さなくていいのか? 別に金は取らねえぞ」

 ふとハミーが振り返り、激闘の後とは思えないほど気さくな声で言う。額が割れたのは彼の魔法によるものなのだが、当人に悪びれた色はない。


 ハラヘリウスは、布で縛っただけの額を軽く指でつついてみせた。

「問題ない。こうして一晩寝れば朝には治る」

「どんな体してんだお前……」

 非常識だと言いたげに肩をすくめるハミーに、ハラヘリウスは尋ねた。


「そんなことよりだ。海峡を船で渡ることに、何か問題でもあるのか?」

 一瞬、ハミーがきょとんとした顔をする。一拍置いて、おお、と手を打った。

「覚えてたんだな。いや忘れたかと思ってたぜ。酒場かどっかでゆっくり話すつもりだったんだが、それなら戻りがてらにするか」


 ハミーは下る速度を緩めた。偶然なのかは知らねえが、と前置きをして続ける。

「時期的には、お前さんがデラペッピ討伐に出た前後かね。アジポントスの海軍に動きがあってな」


 ほう、とハラヘリウスは顎を撫でた。

 アジポントス王国は、ボスエロス王国から見て南、エエン海の対岸一帯に領土を持つ国である。これまでボスエロス王国とは目立った対立はなかったのだが、状況が変わってきたのだろうか。


「向こうのある代替わりした提督が、こっちの軍船にちょっかいをかけ始めてな。二十代くらいの行き遅れ……っと、オネエチャンらしいんだが、一撃離脱の堂に入った指揮ぶりだそうだ。いくらエエン海が、“艦隊かんたい歓待かんたいする海”と言われているとはいえな」

 それは大したものだ、とハラヘリウスは豪快に笑った。隣をついてくる案内鰐ナビゲーターが「笑い事じゃないですよ」と不安げに言う。


「で、とうとう我らが重鎮、“鉄壁の”クシカッツ提督が引っ張り出されてな。エエン海北東部、グラニューとう付近で撃退したんだが、今度はそのクシカッツ提督が狙われちまった」

「なんと」

「ちょっかいかけて、応戦すれば逃げる。かといって、下手に後ろを見せれば食いつかれる。ドケチ海峡近辺の漁船を襲うそぶりを見せて、提督を釣り出そうとしたことさえあったからな。俺が時間の無駄だっつったのはそこよ」


「そういうことか。ならば、船で渡ろうというのはクシカッツ提督の邪魔になりかねんな。で、その相手の名前は?」

「コンカッツ提督、だとよ」

「ふむ。クシカッツ提督も三十代後半の男盛り、狙う価値のある大物だ」

 うんうんと頷き合うハラヘリウスとハミーだったが、そこに案内鰐ナビゲーターが口を挟んだ。

「でも、クシカッツ提督にはご家庭がありますよね?」


 沈黙の時が流れる。ハラヘリウスとハミーは、揃って空を見上げた。雲一つない青空、草むらを吹き抜ける海風とかすかに届く潮の香りが心地良い。


「そ、そういえば、ハミーさんがここに来た目的って何なんですか? まだ聞いていないんですけど」

 慌てた声で案内鰐ナビゲーターが話題を変えた。ハミーも急いでそこに乗っかる。

「お、おう。いや、魔術師組合長直々の頼みでな。俺もお前さんらに同道することになったのさ。それも元々は、執政官から組合長への依頼だったようだが」


「そうか。それは頼もしいな」

 ハラヘリウスは頬を緩めた。この男の力量は、先刻身をもって理解している。と同時に、執政官エレクティオンの根回しぶりを知って彼への評価を改めることにもなった。

「だろ? 何が待ち構えてるか判らねえ危険な任務だからな。最高ランクの【大トロ】でもおかしくねえ力量と、法と秩序に縛られねえ【悪】の戒律を併せ持った俺だから任せられる任務よ」


「で、実際のところは?」

ていのいい厄介払いに決まってんだろ! 言わせんな!」

 ハラヘリウスが突っ込むと、何がおかしいのかハミーはげらげら笑った。もしかして、この男なりの冗談だったのだろうか。


「……あの、ハミーさん、すみません」

 案内鰐ナビゲーターが遠慮がちに尋ねた。ハミーは「どうした? 気になることがあったら遠慮なく聞いていいんだぞ」と親しげな笑顔で返す。

「いえ、その、ハミーさんのランクって、実際は違うんですか?」


 途端、ハミーが仏頂面に変わって頭をがしがしと掻いた。

「俺の公的なランクは【ネギトロ】だ。【かっぱ】や【かんぴょう】、【鉄火】じゃないだけましだと思えとさ」

「す、すみません。僕そういうの知らなくて……」


 慌てて案内鰐ナビゲーターが頭を下げる。ハミーは「別にお前に腹立てたんじゃねえからさ。こっちこそすまん」とその頭を撫でた。その様子にハラヘリウスも目を細める。

「【悪】の魔術師というからには、もっと尊大な男だと思っていたがな。弱い者や動物には優しいというか、不良が誰も見ていないところで捨て猫を拾うようなものか?」


 ハミーは含み笑いをして、魔術師の常識は世間の非常識だからなあ、と誰にともなく言った。

「魔術師の戒律でいう【悪】ってのは、法や秩序より自分てめえの感情を優先する奴だと組合から認められた証さ。【善】は逆に、感情よりも法や秩序を優先する奴だってこと。ちなみに【中立】は、時と場合に応じて優先順位を変えられる都合のいい……もとい器用な奴だ」


「なるほどな。いざという時に感情を優先する奴は、何をやらかすか判らん。それでランクとともに世間的な評価も抑えようという話か」

「おおむねそんな所だな。俺に限らず、【悪】の魔術師はみんなそうだ。ま、組合だって、扱いやすい奴をかわいがらあな」

 意味ありげに喉の奥で笑うと、ハミーは前方を指差した。いつの間にか、王都パンパカパイオンの城門が見えるところまで戻ってきていたようだ。


「文字数もこれぐらいあれば充分だろ。旅の支度が整ったら出ようや」

「そうだな。これから組合長に会って話を……などという字数稼ぎは要らん」

「あの……。お二人とも、そういう発言は控えられた方が……」

 案内鰐ナビゲーターが上目遣いで遠慮がちに言うのを、ハラヘリウスは温かい目で、ハミーは「うっわこいつノリ悪いわー」という目で見た。

「真面目か」

「真面目だなあ君は。もっと肩の力を抜いた方がいいぞ?」


 案内鰐ナビゲーターからの返答はなかった。心なしかむすっとしたようにも見える。

 ハラヘリウスは微笑み、なだめるように彼の背を撫でた。

「拗ねるな拗ねるな。まずはどこへ向かうべきか、私にも一応の案はあるが、君の意見を聞かせてくれんか」


 それで案内鰐ナビゲーターはいくらか機嫌を直したようで、鼻から息を吐き堂々と言った。

「そうですね。半島の北側を進んだ方が早く大陸へ出られますが、僕としては南回りでシシオドシアを経てネトラレイアを目指すことをお勧めします」

「ふむ。その心は?」

「ネトラレイアには、腕の良い鍛冶屋がいると聞いています。大陸へ出る前に、一度武具を点検してもらうのがいいかと」


 それを聞き、ハラヘリウスは破顔した。案内鰐ナビゲーターの背を力強く撫でる。

「私もそのつもりだったのだよ。意見が一致して、これは幸先がいいな」

 ハミーがそれを引き取った。力強く西の空を指差す。

「よおし決まったな。まずは、目指せネトラレイアだ!」


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「歴史・地理系の元ネタ」第3話分は更新済みです(第1話分も多少追加しています)

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