第2話 【特盛】vs【悪】の魔術師

 正装から質素な旅姿に着替えたハラヘリウスは、王都パンパカパイオンの町外れにある小高い丘に立ち、南を見ていた。集落や麦畑の点在する平地の向こうに、紺碧のエエンかいが陽を受けて輝いている。

 東へ目を転じれば、王都のあるナマクリム半島からドケチ海峡を隔てたトキドキ半島の先端が、地平線の手前に見える。目的地、すなわちバルサミコスのいるシンドイ(実在)や、プルコギウスのいるマジヤメタイはあの遥か向こうだ。


 最後に北を向く。遠く遠く、エエンかいと海峡でつながるエエンデ内海ないかいが、黒く静かに横たわっていた。二つの半島を含め、あの内海を取り囲むようにボスエロス王国の領土は成り立っている。


「ハラヘリウス様。何をお考えですか?」

 足元で、この旅の同行者となる案内鰐(ナビゲーター)が真面目そうな青年の声で尋ねてきた。彼と一緒に任務を行えというのだから、執政官のエレクティオンはドアホじゃなかろうか。


「いや何。東へ向かうのに、海峡を渡る船をどうしたものかと思ってな」

 視線を落として案内鰐ナビゲーターに答えると、ハラヘリウスは頭を掻いた。

 金を出して漁民に連れて行ってもらおうかと一度は考えたのだが、彼らにも仕事がある。最低でも一日分の稼ぎを補填するだけの金を渡さなければならないだろうが、ハラヘリウスにそのあたりの知識はない。仮にふっかけられたとしても判らないのだ。


「出発が一日遅れたからといって、どうなるものでもあるまい。一度王城へ戻り、誰か詳しい者を探してみよう」

 そう言ったとき、背後から「時間の無駄だぜ。やめときな」と男の低い声がした。とっさに振り返るが、丈の低い草が風に揺れているばかりでそこには誰もいない。


「え? 今、声がしましたよね?」

 案内鰐ナビゲーターが不安げに尋ねてくる。ハラヘリウスは聞こえた、と頷くと、来た方角に向けて目を凝らした。次いで腰の長剣をゆっくりと抜き、やや右へ向ける。


「ここまで私に気配を悟らせなかったとは、相当な腕前だな。だがもう捉えた」

 切っ先で一点を指すと、十歩ほど先の空間が高笑いとともに歪みはじめた。歪みは徐々に人の形をとっていく。やがて黒いローブを身にまとい、フードを目深にかぶった何者かが現れた。口元から顎にかけて無精髭が見えるところから、男のようではある。


「いやあすまんすまん。ランク:【特盛】の中でも最も名高い、ハラヘリウス大先生がどれほどのものか、自分の目で確かめたくてな」

 まったく悪びれることもなく、黒いローブの男は快活に笑った。案内鰐ナビゲーターが、前脚で器用にハラヘリウスのズボンの裾を引く。


「ハラヘリウス様。あの黒いローブ、あれは戒律【悪】の魔術師が着るものですよ。油断は絶対禁物です」

「わかった。君は下がっていなさい」

 男を睨みつけたまま、ハラヘリウスは硬い声で答えた。かさかさと音を立て、案内鰐ナビゲーターが遠ざかっていく。


「正解だぜ。せっかくの水先案内にんを、巻き添えで怪我させたくねえもんなあ」

 茶化したように言う男だが、ハラヘリウスは揺るぎもしない。表情を変えず、「で、合格か」とだけ訊いた。


 男は肩をすくめ、「半分はな」とやや好意的に聞こえる声音で言った。

隠形おんぎょうの魔法ってのは、物陰に隠れてるようなもんだ。仮に偶然振り返られても、気配を殺していれば気付かれることはない。しかしお前さんは、声という大ヒントを与えたとはいえ、気配と俺の位置を見抜いた」

「ヒントがあったから半分合格か」


 男はにやりと笑い、首を振った。

「いやいや。半分てのは、まだあと半分が残ってるからさ。……<アーキ・タノキ・リタンポ>!」

 男が両手で印を組み、呪文を唱えた。足元の土が盛り上がり、短槍状になってハラヘリウスに迫る。その数三本。


 ハラヘリウスは素早く長剣を振るい、短槍を全て両断した。一足飛びに男へ迫り、袈裟斬りにせんと振りかぶる。

「三本じゃ少なすぎたか! <オーマ・ノマ・グーロ>!」

 男は舌打ちとともに印を組み替え、呪文を唱える。そのまま左腕を上げ、ハラヘリウスの剣を受け止めた。斬り裂いたローブの下、鋼の盾で防がれたような衝撃が、ハラヘリウスの腕に伝わってくる。


 ハラヘリウスの動きが止まった一瞬に、男は跳びすさっていた。あっという間に、今度は十歩以上の距離を空ける。あの動きを魔法抜きでやっているのなら、相当の手練れで間違いない。

「失礼の詫びだ。これなら満足してもらえるんじゃねえか? <ホッカ・イド・ユーバリメ・ロン>!」


 今度は、男の周囲で無数の光がきらめいた。光はたちまち、人間の頭くらいの氷球へと変わる。それらが次々と、緩急の差を付けてハラヘリウスを襲った。

 目にも止まらぬ速さで剣を振るうハラヘリウスだが、氷球の数はあまりにも多く、いくつかが額や腕、脚に直撃する。


 額から血を流し、大きくよろめくが、ハラヘリウスは止まらない。吼え猛る獅子のように、猛然と男へと迫る。

「火ぃ点けちまったかね。まあいい、文句なしの合格だ」

下から切り上げる剣を、男は半歩下がってかわした。否。フードが縦に割れて背中へ流れ、ぼさぼさの蓬髪ほうはつと精悍な三十男の顔が姿を見せる。そこで二人の動きが止まった。


土槍つちやりと氷球で、お前さんの太刀筋は見切ったつもりだったんだがなあ。見積もりが甘かったか」

 男は喉の奥で笑った。ハラヘリウスは、お前は誰だと誰何すいかすることもなく、剣を下げじっと男を見ている。案内鰐ナビゲーターが近づいてくる草擦れの音が聞こえた。


「ハラヘリウス様。この人をご存知なんですか?」

「面識がある、という程ではないがな。ただ見覚えがあっただけだ」

 ハラヘリウスは片膝をついてしゃがみ、不安げな声を出す案内鰐ナビゲーターの固い背を優しく撫でた。一方で、警戒は解くことなく男を見上げる。


「この男は、かつて“ボスエロス王国一のはみ出し野郎”と呼ばれた男。魔術師のハミー・デッターだ」


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次回、第3話「ハミー・デッターと進まぬ本筋orz」 遠日公開(白目)

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