本編

第1話 ランク:【特盛】、追放される

 ボスエロス王国の王都パンパカパイオン、その王城の中。

 扉の真正面にある窓の向こうに碧い海が見える書斎で、ハラヘリウスはこの部屋の主と向かい合っていた。


 書斎の主とは、ボスエロス王国の執政官(アルコン)であり、「シンドイ(実在)とマジヤメタイの王」でもあるエレクティオンである。まだ四十前ながら栗色の髪が年々寂しくなっていることを除けば、大過なく国を運営している首長といえるだろう。


 一方のハラヘリウスは、エレクティオンよりも一回りは若そうな偉丈夫。豊かな焦茶色の髪はゆるやかに波打ち、獅子のたてがみを思わせる。彼は謁見のための正装をしていてもなお、旅帰りの空気を色濃くまとっていた。

 そしてまた、王国内では数少ない「ランク:【特盛】」の戦士でもある。


 今、仁王立ちするハラヘリウスの拳は固く握られ、目は怒りに見開かれていた。エレクティオンは、少しでも距離を取るべく椅子に腰掛けたまま上体を反らそうとしているが、背中の壁と窓でつっかえている。もしこの場に他の誰かがいたら、ストレスでエレクティオンの髪がまた抜けないか心配していたことだろう。


 ハラヘリウスは大きな息を一つつくと、ゆっくりとエレクティオンに問いかけた。

「執政官どの。もう一度言っていただきたい。この私を追放、ですと?」

 理性で怒りを抑え込もうとしているのが明らかな声音に、執政官は震え声で答えた。

「いや、その、つい……」

「ほう?」


 ハラヘリウスの口元がほころんだ。笑顔である。ただし、そこに込められた感情は、「舐めてんのかてめえ」ではあったが。


「待てハラヘリウス。そもそも、お前が旅に出た理由を思い出せ」

 言われて、ハラヘリウスの額に血管が幾筋も浮かんだ。

「北方の草原地帯を越えた山岳地帯にむ単眼の巨人族、デラベッピが人里を襲うので討伐してこい。他ならぬ貴方からの命令ではないか」


「その通りだ。しかし、巨人はいなかった。……?」

 確認するかのようなエレクティオンの問いに、何か意図があるのだろうとハラヘリウスの怒気が緩んだ。ふむんと鼻から息を吐き、髭を剃ったばかりの顎に手を当てる。


「かつて、“歴史の父”エロドトスが記したところによれば。デラベッピが棲むという山々へは、騎馬民族どもが暴れる草原地帯を遙か東へ進むという。ならば、王国の北になどいる訳がない。旅の途中は、執政官あのバカの髪全部抜ければいいのにと思っていましたよ」

「なんてこと言うの」


 愕然として頭を触るエレクティオンだったが、すぐに真顔になった。

「実はな。数ヶ月前から、気になる報告を受けていてな。最悪の場合、お前を追放という建前で調査に赴いてもらおうということになったのだ」

「では、この三ヶ月はそのための仕込みだったと?」


 ハラヘリウスの問いに、エレクティオンは重々しく頷く。席を立ち、一方の壁に貼られた地図の前まで歩いた。

 ボスエロス王国の領土は、エエンデ内海ないかいをぐるりと囲む形になっている。ここだ、とエレクティオンは王国の東側を叩いた。東には、シンドイ(実在)やマジヤメタイといった異民族が王国の直接的な支配をうけることなく蟠踞ばんきょしている。


「シンドイを抑えているバルサミコス。マジヤメタイを抑えているプルコギウス。この両将軍からの報告が、次第に遅れるようになってな。三ヶ月前からは、ついに止まってしまった」

「それは……、やはり東で何かが起こっていると?」


 ハラヘリウスが再び問うと、おそらくな、とエレクティオンは顔をしかめた。それからまっすぐハラヘリウスを見る。

「謁見を終えてすぐ、しかも表向き追放という形ですまないが。この件、探ってはもらえんか」

 心苦しげに目を閉じると、頭を下げた。


 ハラヘリウスはふっと小さく息を吐き、それから微笑んだ。

「いいでしょう。王国の内外に名高い、【特盛】の戦士であるこの私を追放したとなれば、貴方は連中から馬鹿な執政官だとわらわれることになる。身を削って敵の油断を招こうとするその姿勢、信用に値する」

「自分で言うかなそういうこと」


 エレクティオンが呆れるとほぼ同時に、扉がノックされた。執政官が「入れ」と促すと、執事服に身を包みロマンスグレーの髪――それはエレクティオンよりも豊かであった――を丁寧に整えた品の良い老人が入室した。

「執政官様、会議のお時間でございます」


 入口で頭を下げる執事に、エレクティオンは「すぐに行く」と頷くと、隣室へ繋がる扉を開けた。ハラヘリウスが来たぞ、と奥に声をかける。今伺います、と聞こえてきた返事は、十代後半くらいの真面目そうな青年の声だった。

 満足そうに目を細めたエレクティオンが、こちらへと向き直る。

「この部屋には、頼りになる同行者に待機してもらっている。すまないが、後のことは彼から聞いてくれ」


 ――さすがに身一つで放り出しはせんか。ま、下準備くらいはしてもらわねば困る。

 エレクティオンを見送り、左手で顎を撫でるハラヘリウスだったが、ぺたんぺたんという妙に湿った足音が聞こえて眉間に皺を寄せた。しかも、音の聞こえ方からして二足歩行よりも四足歩行と言った方がしっくりくる。


 隣の部屋からやってきたのは、大人の男ほどの体長を持った鰐だった。鰐はハラヘリウスの前まで来ると、笑顔ではっきりと頭を下げる。

「はじめまして、ハラヘリウス様。僕は今回の任務で同行させていただく案内鰐(ナビゲーター)です。これからよろしくお願いします」


 ――あのアホ執政官、極秘任務って言葉の意味わかってんのか。それとも、怪しい奴を私が引きつけろと?

 案内鰐ナビゲーターに挨拶を返しながら、ハラヘリウスは先行きにひどい不安を感じていた。


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