決着

「ピエール……。

 あなた、あのピエールなのね?」


 夢か、うつつか……。

 呪文による昏倒に近い眠りから覚めたバサタが、そう言って手を伸ばす。

 冷ややかな彼女の指が、ぷるりとした自分の肌を撫でた。


「ああ……。

 この手触りは、よく覚えている。

 本当に、ピエールだ」


 その言葉に……。

 マンドラゴンと戦っている最中でありながら、ピエールは目頭が熱くなるのを感じる。

 何故ならば、自分は彼女にもう一度こうして触れて欲しいがために、元の身体を捨てさえしたからだ。


「心配したのよ……。

 あれから、どうしたの?

 ……ううん。

 そんなことは、どうでもいい。

 あなたが、また、こうしてわたしの前に帰ってきてくれたことが、とても嬉しい」


「……はい。

 私は、もうどこにも行きません。

 約束通り、あなたの騎士としてお傍におります」


 彼女の手をしっかりと握り、告げる。


「約束よ……。

 もう、離れ離れになるのは嫌よ?」


「はい。

 この約束だけは、決して破りません」


 名残惜しいが……。

 そっと、彼女の手を放す。

 約束を果たすために、どうしても倒さねばならぬ存在がいた。


「お願いよ。

 ピエール。

 わたしの騎士で、かわいいスライム……」


 立ち上がる自分の背後から投げられた言葉が、脳髄を貫く。

 そうだ。

 己は、何を勘違いしていたのだ。

 師が言っていたのは、まさしくこのこと……。


「お別れの挨拶は済みましたか?

 フ……フフ……。

 男女の語らいというものは、いつ見てもいいものです」


 あえて、追撃せず放置していたのだろう。

 マンドラゴンが、余裕綽々といった態度で自分に告げた。

 切り取られた翼へ回復呪文を使わずにいるのも、油断の表れだ。


 ――勝てる。


 直感が、ピエールを支配する。

 自分は、奴と同じにして異なる存在……。

 錬金の秘術により生まれし、進化したスライムなのだ。


「ピエール……」


 ミーリンが、どうにか身を起こしながら……。


「僕たちも戦うぞ……」


 キースは、折られた腕を垂らしながら、それぞれつぶやいた。


「ああ、戦おう」


 うなずき、だらりとした自然体になる。

 これまでのような、正統派剣技を我流に直した構えではない。

 そして、この体勢こそが自分の奥義であることを、ピエールは悟っていた。


「そう言っている割に、隙だらけではないですか?」


 一歩、また一歩と……。

 マンドラゴンが、こちらへ近づく。


「まあ、お望みというならば……。

 ――なぶり殺してあげましょう!」


 そして、恐るべき膂力の腕を振るってきたのだ。

 だが、五指に備わりし鋭い爪は、空振りに終わる。


「――なっ!?」


 何故なら、ピエールが足首の部分をぐにゃりと捻じ曲げ、地面と水平にまで体を倒したからであった。


「――そこだ!」


 スライムの柔軟な体が、横倒しになった動きをバネのごとく蓄え、解放する。

 結果、ピエールは、地とすれすれの状態から、爆発的な瞬発力で斬り上げることとなった。


「――ぐおおっ!?」


 マンドラゴンは、若かりし頃、武の道に取り憑かれたと言っていたが……。

 それはつまり、人間相手か、さもなくば尋常な魔物相手の研鑽を積んだということ。

 このような斬撃は慮外の一言であり、見事、ピエールの一撃はその左腕を捉える。


 ――ぼとり。


 ……と、ドラゴンの特質を備えた左腕が地面に落ちた。

 破魔の剣は、その絶大な切れ味でもって、頑強な超魔の肉も骨も断ったのである。


「き、貴様……!?」


 マンドラゴンの怒りは意に介さず……。

 ゆらりと、ピエールが前に進み出た。


「――カアッ!」


 それを迎撃したのが、マンドラゴンの口から放たれた燃え盛る火炎だ。

 しかし、これも……当たらない。

 ピエールは、またも足首からぐにゃりと後ろ倒しになることで、猛火を避けたのである。


 それだけではない。

 そのまま、後ろに右手を突き出す。

 伸ばした腕が、まとった衣服すらぶちぶちと破って伸長した。

 そして、それを反動として横薙ぎの斬撃を放ったのだ。


「――ぬああっ!?」


 慌てて吐息を中断したマンドラゴンが、後ろに飛び退る。

 だが、その反応は一手遅れており、ミスリルの刃が左のかかとを切断した。


「ぐああ……!?

 そ、その動きは!?」


「……私は、これまで騎士として戦おうとしてきた。

 人間の騎士としてだ。

 だが、私は人間ではない。

 バサタに仕えるスライムの騎士――ピエールだ!」


 そこから、猛攻に転じる。

 関節など存在しない……。

 ばかりか、その気になれば伸縮させることすら可能な肉体特性を活かした、異次元の立ち回りだ。

 着用している衣服が破けても、気にはしない。

 そんなものは、邪魔なだけであった。


 後ろに回した右腕が、ぐにゃりと伸びて左から襲いかかる……。

 しゃがみ込んだと思ったら、足首がぐにゃりと反動を吸収し、バネ仕掛けのごとく反発して推進力となり、瞬間移動じみた突進となる……。

 これは、騎士登用試験などでも見せていた攻撃を、さらに洗練させた攻め手だ。


 これら、人間ではかなわない動きにマンドラゴンが翻弄され、一つ、また一つと傷を増やしていく。


「こん……のおお……!」


 そして、それはこやつから周囲への注意力を奪っていた。

 そう、この戦いに赴いているのは、ピエールだけではないのだ。


「――はあっ!」


 背後を取ったミーリンが、マンドラゴンへ躍りかかる。


「ぬう!?

 ――カアッ!」


 超魔は、反射的に、これを炎の吐息で迎撃したが……。

 エウレアから与えられた雨糸の羽衣が、しゅうしゅうと水蒸気を発し、火炎を相殺した。


「――取った!」


 ミーリンの右手が、そっとマンドラゴンの背中へ押し当てられる。

 そして、その足が踏み込まれた!


 ――ドン!


「ぐっ……ほおっ……!?」


 ミーリン必殺の発勁が、マンドラゴンの内臓へ多大な被害をもたらす。

 そこへ、すかさず斬りかかったのがキースだ。


「――こんのおっ!」


 鋼の刃が、マンドラゴンの左目にめり込む。


「――ぐああっ!?」


 眼球という、生物共通の弱点を突かれたマンドラゴンが、大きくよろめいた。

 それは、ピエールにとって絶好の好機……。


「――うおおっ!」


 もはや、工夫はいらない。

 全身全霊の体当たりじみた刺突を放つ。

 マンドラゴンは、残された右腕で迎え撃とうとしたようだが……。

 片目の消失により遠近感を狂わされた一撃は、空振りに終わった。


 ――ズンッ!


 破魔の剣が、マンドラゴンの真芯を貫き、背中まで突き抜ける。


「がっ……はっ……」


 明らかな致命傷だ。


「………………」


 この手で命を奪った感覚にやるせなさを感じながら、剣を引き抜く。


「フ……フフ……。

 見事といってやりましょう……」


 それでも、即死とはならず、マンドラゴンが吐血混じりにつぶやいた。


「まあ、私が死んでも、あなたという最高傑作は残ったと、強がりを言っておきましょう……。

 ク……クク……」


 よろよろと、マンドラゴンが火口に向けて歩む。

 ピエールたちは、あえてそれを止めることはしない。

 そして、死火山の火口に立ったマンドラゴンは、空中にその身を踊らせたのである。


 どこまでも暗く、深い奈落へその体は落ちていき……。

 やがて、見えなくなった。

 それは、このような常軌を逸脱した生物など、最初からいなかったかのように思える結末だったのである。


 マンドラゴンを倒した。

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