ラバト山

 植物らしい植物は生えておらず、山肌に存在するのは荒れた砂利や岩塊のみ……。

 全体的に、斜面は起伏が富んでいて、馬に乗っての登山は不可能であると直感させる。

 ラーテル――いや、マンドラゴンがバサタをさらったというラバト山は、そのような休火山であった。


「まさか、この聖地でバサタを生け贄に捧げようとするとはね……。

 絶対に許せないわ」


 雨糸の羽衣を来たミーリンが、両の拳を打ち鳴らしながらそうつぶやく。

 師の住む森を出立してから、およそ二日後のことである。


「満月までは、まだ三日ほどある。

 父さんのことだから、討伐隊を組織して駆けつけるまでには、あと一日もあれば十分だろう。

 僕たちには、その到着を待って後方から追いかけるという選択肢もあるが?」


 下馬しながら、キースがそのようなことを提案した。

 彼が、愛馬を繋いだりせず自由にしているのは、自分たちが敗れた時のことを心配してのことだろう。

 主が死んだからといって、馬にまでそれを後追いさせる必要はないのだ。


「騎士団を盾……いや、囮にするということか?」


 自分も彼に倣い、年老いた愛馬を自由にしてやりながら、そう尋ねる。

 そのような考えは、これまでおくびにも出されておらず、これは、ここにきての急な提案であった。


「そういう手もあるってことさ。

 君も、聖騎士ライナットの伝説は知っているだろう?」


「ああ、並み居る魔物たちを次々に切り捨て、この山の火口へ達した彼は、そこから見える景色を一望し、建国を決断したと書物にはあった」


「その魔物が、問題ってこと?」


 ミーリンからの問いかけに、キースがうなずく。


「ああ、ここら辺は聖域だ。

 滅多なことで立ち寄る人間はいないし、当然、騎士による箒働きも行われていない。

 おそらく、街道沿いとは比較にならない強力な魔物が生息しているぞ。

 僕らは、そいつらと戦って、消耗した状態でラーテルに挑まなければいけないんだ」


「確かにな……」


 キースの懸念は、もっともなものだ。

 自分たちはたった三人であり、このラバト山に、どのような魔物がどれだけ生息しているかは、まったくの未知である。

 ラーテルとの戦いを思えば、ピエールの回復呪文は温存しておく必要があり、必然、傷を負った際は薬草に頼らざるを得なかった。

 だが、生命線と呼べるそれは、各々が武芸者の心得として、腰の皮袋に携帯してる分のみなのだ。


「……君の言う通り、私たちの継戦能力には、不安がある。

 だが、それでも、私は行くべきだと思う。

 こうして、直接にこの山を見上げてみれば、師エウレアの懸念はもっともだと分かる。

 とてもではないが、騎士が大軍で戦える地形ではない」


 まっすぐに、キースを見つめる。


「まして、敵は自在に空を飛び、呪文も使ってくるのだ。

 騎士団の到着を待つことは、いたずらに犠牲を増やすことと同義……」


「結局、あのおば様が言ってた通り、あたしたちで行くのが一番なのよ」


 戦いに備えた事前運動だろう。

 膝や肩を柔軟させていたミーリンが、気安い声で割って入った。


「それに、雑魚相手に消耗しているようじゃ、どの道あいつを倒してバサタを救い出すなんてできないわ。

 今は臆するより、行動するべき時よ」


「……僕は、臆しているわけじゃないんだけどね。

 でも、二人の意見はよく分かった。

 戦うと決めた以上は、全力でやるよ」


 装具の確認を済ませたキースが、苦笑いと共にうなずく。


「分かっている。

 君が、そうやって一歩下がったところから見てくれるから、私たちは安心して戦えるのだ」


 ピエールもまた、鎧の調子を確かめ、最後に剣の柄頭を触る。

 そこから感じる鼓動は、暖かい。

 破魔の剣が、案ずることはないと励ましているかのようだ。


「よし! それじゃあ、行きましょう!」


 ミーリンが拳を突き上げ……。

 三人は、建国宣言がされた聖地――ラバト山へと足を踏み入れたのであった。




--




 もし、ラバト山に訪れて、ごろごろと転がっている岩を見たなら、注意しなければならない。

 なぜなら、そやつは爛々と輝く目と、人の頭くらいなら軽々とくわえ込めるだろう巨大な口を隠した魔物であるからだ。


 竜の尾だけを切り落とし、そこに鳥類の翼や頭部を加えたような四肢なき魔物も侮れない。

 こやつらは、古代の錬金術師が人造的に生み出したとされる魔物であり、その鋭いくちばしを使って、こちらを串刺しにしようとしてくるのだ。


 地中から漏れ出す火山の煙が、ヘビのごとくうねるようになった不定形生物にも気を付けねばならない。

 元より、優れた火の性質を備えているためだろう……こやつらは、閃熱の呪文を操ってくるのである。


 魔物といえども、通常であれば食事や睡眠など、生命活動は欠かせない。

 だが、ここに生息している連中は、古代錬金術によって生み出された翔魔も含めて、そういった生理現象からは無縁な個体ばかりであった。

 植物どころか、昆虫すらまともに生息していない死火山には、ふさわしい魔物たちであるといえるだろう。


 それらラバト山の魔物たちに対して、ピエールたちは懸命に戦い続ける。


「――いやあっ!」


 ドラゴンすら仕留めたミーリンの秘技――発勁は、岩の魔物に対しても極めて有効であり……。

 次々と敵の内部を破壊し、活動を停止させていく。


「こっちだ!

 そら……よし来い!」


 難敵である空を飛ぶ魔物に対して、意外な適性を示したのがキースであった。

 彼は、盾を剣で打ち鳴らすなどして、意図的に空中の敵を自分へ集中させていく……。

 そして、いざ襲いかかろうと滑空してきたところへ、堅実に返しの斬撃を叩き込んでいくのだ。

 騎士団長の息子として、堅実な剣技を磨いてきた彼らしい戦い方であるといえるだろう。


「――ふっ!」


 ガス状生命体に関しては、ピエールが最も活躍する。

 元より、熱には強いこの体だ。

 直撃を受けぬよう、注意しながら立ち回れば、閃熱の呪文はさして恐れる必要がない。

 それに、何より破魔の剣が持つ退魔力だ。


 本来、こういった敵に関しては、打撃や斬撃などの通常攻撃は、通用しずらいというのが定説であった。

 しかし、この剣に関して、そういった常識は適用されない。

 いざ実戦という段階において、ついに抜いたミスリルの刀身は、どこまでも曇りない輝きを宿しており……。

 一種の神聖さすら感じるきらめきと共に、実体なき敵を肉持つ生物であるかのように両断していくのである。

 師が譲ってくれた剣の、何と頼もしきことか……。


「……何という剣だ」


 最初の一体を切り捨てた際には、思わず剣へ魅入ってしまったほどであった。


「あたしたち、いい感じじゃない!

 おば様からもらったこの衣も、すごく動きやすくていいわ!」


「父さんが言っていたよ。

 こういう、順調にいってる時こそ油断してはならないって……」


「だが、物事には勢いというものがあるだろう。

 今は、流れに乗る時だ」


 気がつけば、一行は山の中腹に達しており……。

 眼前には、正しき生命の鼓動を感じたのか、これまでになく魔物たちが集まりつつある。

 こうなれば、もはや強行突破するしかなく……。

 魔力の温存など、目論んでいる場合ではあるまい。


『――弾けよ!』


 魔物たちの中心部で、ピエールの呪文が文字通りに炸裂した。

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