師の教え

 なるほど、キースが言った通り、自分には存外、協力者が多いらしい。

 不自然なほどに見張りや通行人がいない城内を、暗がりに紛れて脱する。

 これは、明らかに持ち場を司る者たちのお目こぼしであり……。

 かつてスライムであった自分が、かように人間から助力を得られていることへ、胸を熱くせざるを得なかった。


 だが、裏門を外の出るや否や、とうとう、自分たちを待ち構えている者が現われたのである。

 その相手とは、他でもない……。


「城中が殿下奪還のために動いているというのに、お前たちは夜の中を散歩か?

 いいご身分ではないか? ええ?」


 騎士団長スタンレー、その人であった。


「父さん……!?」


 驚きへ目を見開くキースに、スタンレーが苦笑いを浮かべる。

 その体からは、怒気も殺気も感じられず……。

 そして、手には何かを持っているのが、夜闇の中でも確認できた。


「仕方のないやつらだ。

 ――ほれ」


 と、スタンレーが、手にしていた何かをピエールに投げる。


「これは……」


 受け取ったそれを見て、ピエールは目を見開いた。

 それは、マンドラゴンに破壊されたものと、瓜二つな兜と面だったのである。


「キースのことだ。

 剣くらいは調達しているだろうが、防具までは頭が回っていまい?

 あの強敵を相手に、不完全な装備で挑むつもりか?」


「……よいのですか?」


「あー、あー……。

 聞こえんな」


 己の問いかけに、騎士団長はにやりと笑って答えた。


「俺はただ、落とし物をしてしまっただけだ。

 それを誰かが拾おうと、文句など言えまいよ。

 ……ほら、行け。さっさと行け」


 そのまま、ひらひらと手を振って明後日に目を向ける。


「父さん……ありがとう」


「団長さん、素敵よ」


「……感謝します」


 ピエールたちは、不器用な騎士に対し、それぞれなりの礼を言いながら、待たせていた馬に乗ったのだった。




--




 王都の外周は、魔物などの襲来に備えた大城壁で覆われているが……。

 キースは、出入り口の一つを守る騎士と話をつけており、夜間の脱出は問題なく行えた。


「あんたの高潔さは、試験の時によく分かっているつもりだ。

 ま、中身がスライムだっていうのには、驚いたけどな」


 その騎士は、そう言いながら再び面に覆われた自分の顔を見たものである。

 彼は、春の騎士登用試験に合格した同期なのだ。


 そんな騎士に礼を言った後、二頭と三人で夜の街道を進む。

 愛馬の鞍には、キースが用意した鋼の剣が吊るされてあったので、ともかく、装備の上では万全となったことになる。


 だが、前と同じ条件であの怪物に勝てるとは思えない。

 やはり、師の助力が必要不可欠なのだ。




--




「――はっ!

 今更、この年寄りに戦えとでも言うつもりかい?

 あたしゃ、ごめんだよ。

 お姫様を助けたいなら、自分たちの力でどうにかするんだね」


 夜中に押しかけた弟子への言葉は、ひどくそっけないものであった。


「でも、おば様……。

 あたしたちの力だけじゃ、とても勝てる気がしないんです」


「お嬢ちゃん。

 私としても、ラーテルがバカやらかしたことには、思うところがあるさ。

 だけど、それとこれとは、別問題だ。

 せっかく、戦いの中で命を落とさず生き延びたんだ。

 このまま、ゆるやかな余生を過ごさせてもらうよ」


 取り付く島もないとは、まさにこのこと……。


「では、エウレア殿……で、いいんですよ?

 せめて、何か策を頂くことはできませんか?」


 かまどの火で照らされた老婆に、キースが尋ねる。

 すると、エウレアは深い溜め息をついて、油皿を取り出した。


「ちょっと待ってな……」


 そう言って、明かりを皿に移したエウレアが、物置きの方へと移動していく。

 修行の一環として、身の回りを世話していた時にも、物置きを覗くことは固く禁じられていたが……。

 一体、何があるというのだろうか?

 エウレアが持ってきたのは、その答えであった。


「策なんてない。

 ただ、あえて言うなら、騎士団を率いて取り返しに行くってのは、愚策だね。

 向こうは、自由に跳び回れる上に、ラーテルの知性と呪文も健在なんだろう?

 足元の不安定な山に、大勢の騎士が押しかけたって、絶好のカモさ。

 だから、少数で臨もうというあんたたちの判断は正しい。

 なら、せめてあたしにできるのは、装備を整えてやることくらいさ」


 そう言って、師が机に並べていったもの……。

 それは、一振りの剣と奇妙な装束である。


「まずは、ピエール。

 あんたには、破魔の剣を授けよう。

 私が若い頃に使っていた剣さ」


「よろしいのですか?」


 剣士にとって、剣は自身の分身ともいってよい存在……。

 それを譲ろうというエウレアへ、慎重に問いかける。


「はっ!

 私にはもう、こいつを振ってやれる力がないからね。

 ご覧よ。

 柄の宝玉がきらめいているだろう?

 こいつには、自分の意志がある。

 ミスリルの刀身には、強力な退魔の力もね。

 邪悪な存在の出現を感じて、出番だと悟っているのさ」


「ならば……ありがたく」


 礼を言って、師の剣を手に取った。

 装飾といえるものは、柄に埋め込まれた宝玉のみという愚直な造りの剣……。

 だが、それを手に取ると、手のひらに吸い込まれるような不思議な感覚がある。

 同時に流れ込んでくるのは、暖かな力……。

 間違いない。

 この剣は、自分の意志で力を貸そうとしてくれているのだ。


 ならば、あえて刀身を確かめる必要もあるまい。

 この剣の信頼を、損ねるような真似はしたくなかった。


「……あえて刀身は確かめず、その剣を信じることにしたんだね。

 いい判断だ。まず、第一に信じるべきものは分かっているらしい」


 鋼の剣を外し、代わって破魔の剣を腰へ差した自分を見て、エウレアが満足そうにうなずく。


「次に、お嬢ちゃん。

 あんたには、雨糸の羽衣をくれてやろう。

 あんたは、若い頃の私と体格が似ている。

 仕立て直さずとも、ぴたりと合うはずさ」


 そう言いながら、エウレアがミーリンに渡した装束……。

 それは、滴る水をそのまま衣としたかのような……。

 実に不思議な、魔法の衣である。


「おば様……ありがとう。

 物置き、お借りしますね」


 そう言って、物置きへ姿を消した後……。

 衣装を変えたミーリンが、姿を現す。

 戦闘時における動きやすさを想定しているのだろう。

 女性用のドレスを思わせる仕立てでありながら、各部はきゅっとすぼまっており、動きが阻害されないようになっていた。

 丈は膝の辺りまでで、スカートの下にはいつもの武闘着を履いている。


「不思議な感じ……。

 着ていると、暖かくもなく、寒くもない。

 丁度いい感じっていうか……」


「そいつは、熱や冷気から守ってくれる。

 竜の力を持つ相手なら、着ていて損はないさね。

 ただ、ラーテルの呪文には、風や爆発を使ったものもある。

 くれぐれも、過信するんじゃないよ」


「……はい!」


 動きやすさを確認していたミーリンが、元気に返事をした。


「……あの」


 ピエールとミーリンが新装備に喜ぶ中、そっと挙手したのがキースである。


「その……できれば、僕にも何かあると……」


「悪いけど、私はよろず屋じゃないんだ。

 そんなに都合よく、ほいほいと品が出せるわけじゃないよ」


「そんなあ……」


 嘆くキースは無視して、師がピエールの方を向く。


「とにかく、今夜はここへ止まっておいき。

 そして、ピエール……。

 策はないが、あんたに最後の教えを授けよう」


「……最後の教え、ですか?」


「そうとも」


 その言葉を発するために、師が一拍の呼吸を行った。

 そして、こう告げたのである。


「スライムでも、騎士でもない。

 ピエールとして、戦いな。

 そうしなきゃ、全てを捨てたラーテルには敵わないよ」


「私が、私として……?」


「まあ、考えてみるこったね。

 ――さあ、寝るよ!

 あたしゃ、夜中に叩き起こされて眠いんだから……」


 エウレアの言葉に従い、それぞれ床に毛布など敷き仮眠を取る。


「私として、か……」


 その言葉が、眠りに落ちるまで残響していた。

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