素顔

 鋼鉄の兜が引き裂かれ……。

 その下にあった面もまた、破壊され、剥ぎ取られる。

 バサタが息を呑んだのは、変貌したラーテルの怪力と爪の切れ味もさることながら、そうして顕になったピエールの顔であった。


 皮膚はなく……。

 青いゼリー状の肉が、人とよく似た顔を形成している……。

 感覚器として存在するのは、つぶらとさえいえる両目と、口だけだった。

 この姿を見て、想起するものはといえば、ただ一つ。


 ――スライム。


 そして、ピエールと名付けたスライムは、バサタにとって……。


「くっ、うう……」


 折れた剣を構えたピエールが、苦しげにうめく。

 あれだけの炎を浴びた上で、ラーテルの一撃を受けたのだから、これは無理もない。

 そんな彼に対し、変貌した宮廷魔術師は、竜の顔でせせら笑った。


「さあ、剣など握っていて、いいのですか?

 あなたがすべきことは、その顔を隠すことなのでは?

 あれだけ隠したがっていたものが、今、皆さんの目に触れていますよ?」


「くっ……」


 一瞬……。

 対峙するラーテルから目を離し、ピエールが周囲を見やる。

 そんな彼の目に入ったのは、呆然とする仲間たちの姿であった。


「ピエール……」


 キースが、驚愕に目を見開き……。


「嘘でしょ……?」


 風の呪文で傷を負ったミーリンが、愕然としながらつぶやく。


「まさか、人間ではなかったとは……」


 騎士団長スタンレーは、そう言いながら切っ先を揺らしている。


「そう! その通り!

 今日は、このように仰々しい場を設けましたがね……。

 実のところ、そのようなことをせずとも、すでに我が研究……進化の呪法による成果は、万人の目に晒していたのです!

 そこのピエール……。

 彼こそは、我が秘術で進化を果たしたスライムなり!」


 ――スライム。


 ――ピエール。


 ――騎士。


 全ての事柄が、バサタの中で繋がり合う。

 ああ、そうだ。

 勘違いや思い違いでは、なかったのだ。

 ピエールは、あのピエールだったのである。


「関係ない……。

 私は、私のやるべきことをするだけだ」


 バサタの忠実なる騎士が……。

 あの可愛いかったピエールが、そう言いながら折れた剣を突き出す。


 だが、気合いだけでどうにかなるならば、全ての武道者はただちに鍛錬を止めることだろう。

 進化したラーテルとの実力差は、歴然であり……。


「――ぐあっ!?」


 数合打ち合うこともかなわず、ピエールが蹴り飛ばされる。

 そして、気を失ったのだろう。

 スライムにして騎士たる者は、ぐったりと倒れて動かなくなった。


 その後は、似たようなものだ。

 騎士団長スタンレーも、キースも、そして、ミーリンも……。

 ラーテルの恐るべき身体能力や、時折に混ぜられる呪文によって、戦闘力を失い昏倒していく。

 それで、もはや、ラーテルを止める者はいなくなったのである。


「さあ、バサタ殿下……。

 共に来てもらいますぞ」


「い、いや……」


 階段を上がってくるラーテルの前に、立ち塞がる者はいない。

 あれだけの戦闘力を見せつけられたのだから、それは当然であり、震え上がる高官たちを責めることなどできようはずもなかった。


「おのれ!

 不心得者めが!

 ――ぬわーっ!?」


 唯一、父王だけは勇気を振り絞って殴りかかったが、横薙ぎの一撃で弾き飛ばされ、気絶してしまう。


「……長年のご恩がありますゆえ、命を取ったりはいたしません。

 さあ、殿下。参りましょう。

 満月までは日数がありますので、ラバト山で少々不自由な思いをさせますが……。

 しかし、祖先が建国を宣言された地なのですから、それも悪くはないでしょう」


 言いながら、ラーテルがバサタの腕を掴む。


「ひっ……」


 その手からは、人間の体温が感じられず、ぞっとするほどに冷たい。


『――爆圧よ!』


 ラーテルが、呪文を発動する。

 連鎖する爆発となって形を得た魔力が、頑丈な塔の壁を破壊した。


「――うわっ!?」


「――おおっ!?」


 爆発の衝撃と、弾け飛んだ石材に高官たちが悲鳴を上げ、しゃがみ込む。


「さあ、参りますぞ」


 もはや、抵抗することなどかなわない。

 ラーテルが、バサタを抱き抱える。

 そして、背部に生やしたコウモリのごとき翼を、羽ばたかせたのだ。


 何らかの魔力がこもっているのか……。

 はたまた、純粋な力強さでそれを可能としているのか……。

 ラーテルの翼は、思いがけぬ力強さで、壁の穴から飛び立つ。


「ピエール!」


 手を伸ばしながら叫ぶも、バサタの騎士は気絶したままだった。




--




 元よりスライムなピエールであり、関節などあってなきがごときに久しいこの体は、寝床を選ばない。

 環境の変化にも強いため、毛布の類がなくとも病気の心配はなかった。

 ただ、それでもこの体になって以来、ゴザすらない場所で寝たのはこれが初めてであり、布一枚であっても、あるのとないのとでは、寝心地に雲泥の差があることを思い知らされたのである。


「ここは……」


 寝覚めるなり、上体を起き上がらせて周囲を見た。


 ――暗い。


 実に、暗い場所だ。

 四方を覆うのは苔むした岩畳で、ろくに掃除もしていないのだろう……ひどく不潔な雰囲気がした。

 何より、目に入るのは、眼前の鉄格子。

 だとするならば、場所の見当は一つしかない。


「……城の地下牢か。

 ――ぐうっ」


 場所を理解すると共に、激痛へ顔をしかめる。

 自分は、ラーテルが変貌した怪物――マンドラゴンと戦い、敗れた。

 そのまま、気を失っていたはずであるが……。

 どうやら、手当らしい手当てもなく、ここに放り込まれていたらしい。


『――癒しを』


 ひとまず、自身に対し回復の呪文を行使する。

 暖かな光が全身を包み込み、傷の痛みを和らげてくれた。

 だが、全快ではない。


『――癒しを』


『――癒しを』


 繰り返し呪文を使うことで、どうにか肉体は万全の状態となる。

 顔を触ってみれば、ぷにりと弾力のある肌を確認できた。

 それはつまり、この顔がさらけ出されたままということ……。


 ――コッ。コッ。


 ふと、上階から靴音が鳴り響く。

 同時に聞こえるのは、金属鎧の板金がすれ合う音だ。

 ならば、足音の主は騎士しかいない。

 そして、姿を現したのは予想通り――騎士団長スタンレーだったのである。


「目が覚めたか。

 その様子を見ると、傷は自分で治したようだな?」


「団長……」


 面を通さぬ生の目で、彼の顔を見た。

 その顔に浮かぶのは、困惑……。

 だが、それを振り払うようにして、彼はこう言ったのだ。


「ピエール。

 貴様は、尋常な生命ではあるまい?

 ――話せ。

 お前は、一体、何者なのだ?

 ラーテル殿の変容と、どのような関係がある?」


「それは……」


 しばし、逡巡しゅんじゅんし……口を開く。

 こうなってしまった以上、隠し立ては不可能であろう。


「私は……スライムです。

 ラーテルの秘術により、今の体を得ました」


 だから、ピエールは身の上を語り始めたのである。

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