マンドラゴン
全身は、緑色の鱗に覆われており……。
ローブが破れたことで顕となった上半身は、人としての均整を維持しつつも、どこか獣じみた筋肉の付き方をしている。
両手は人のまま、五指を備えているが、指先から伸びた爪の切れ味は、短剣のごときものであろう。
最大の特徴は、ローブを破りながら突き出た背部のコウモリじみた翼……。
そして、なんといっても、その頭部であった。
ドラゴンの頭を縮小し、人の頭蓋骨に沿うよう整形し直したかのような……。
理性を感じさせつつも、あの闘技場で相対した魔獣の凶暴さはしっかりと引き継いだものへ生まれ変わっているのだ。
「進化の呪法……。
自らに使ったのか?」
口の中で漏らしたつぶやきは、誰の耳にも入ることがない。
何故なら、最前席を中心に、大混乱が起こったからである。
「ば……化け物!?」
「あれがラーテル殿だというのか!?」
「どう見ても……魔物だ!」
立ち上がり、本能的に逃げようとする聴衆の言葉が、そのままピエールの胸をえぐった。
だが、傷ついている場合ではない。
先の言葉が本当なら、ラーテルの目的は……。
「ピエール! キース!
何をしている!?
陛下をお守りするぞ!」
聴衆の中に、ただ一人混ざっていた騎士……。
騎士団長スタンレーが、腰の剣を抜きながら叫んだ。
「くっ……」
ややためらった自分とは逆に、すぐ動いたのがキースである。
「陛下! 殿下!
こちらへ!」
彼は、いち早く講義室の扉へと取り付いていたが……。
「――開かない!?」
すぐに、驚愕の表情を浮かべた。
どうやら、にかわを塗りたくったかのように、扉が動かなくなっているようなのだ。
それはつまり、この場における唯一の脱出路が塞がったことを意味する。
「フ……フフ……。
もちろん、この場所を選んだのにも理由がありますとも。
私が、渾身の魔力を注いで発動した施錠の呪文……。
解除できる方が、この場におりますかな?」
竜の口になったとは思えぬほど流暢な声で、ラーテルが……いや、マンドラゴンが告げた。
こうなると、無力な高官たちは、壁際に固まるしかない。
そして、近衛騎士がすべきことは……。
「ピエール! 迎え撃つしかない!」
「……ああ」
一体、ラーテルがどうしてこんなことを?
疑問は振り払って、逃げようとする人々と入れ替わりながら、下へと下りる。
「あたしも忘れないでよね!」
見事な空中回転を加えつつ、最上段壁際から最下段へと着地したのは、ミーリンであった。
「ミーリン殿……。
いや、助太刀感謝する」
スタンレーはその姿を見て、一瞬、躊躇したが、すぐさま目の前にいる相手へ集中する。
一人でも多くの戦力が必要であると、直感しているのだ。
「スタンレー殿に、ピエール、そしてミーリン嬢か……。
私が得た力を披露するには、相応しいですね」
ゆっくりとこちらを見回しながら、マンドラゴンがうそぶいた。
「ぼ、僕も忘れないで下さい!」
自分の隣で、盾と剣を構えながらキースが叫ぶ。
そんな息子の言葉は無視して……。
研究発表の場ゆえ、鎧と剣のみのスタンレーが、そっと口を開く。
「ラーテル殿。
何故かは、あえて聞かぬとしよう。
だが、先の言葉は聞き逃せぬ。
バサタ姫殿下を、害するような言葉であったが?」
「害するのではありません。
偉大な呪法のために、その血を捧げてもらうのです。
やはり、年老いた国王陛下よりも、若き姫君の方が適していると思いますのでね。
彼女を素材とし、魔力が最も満ちる満月に術を執り行うことで、私は安定した人の姿を得られるでしょう」
「それが、害するというのだ!」
普段は、鷹揚にしておだやかな騎士が、激昂と共に叫ぶ。
そして、そのままマンドラゴンへと斬りかかる。
だが、超魔が見せたのは、余裕の表情……。
「おっと、怖い怖い……。
いくら進化したとはいえ、あなたの斬撃を受けてしまえば、無傷ではいられないことでしょう」
マンドラゴンはそう言いながら、時に身をそらし、時には深く屈むことによって、剣閃のことごとくを回避したのだ。
その俊敏さは、まさしく野生動物のようであり、とてもではないが、あの弱々しかったラーテルとは思えぬ。
そして、いかなる達人であっても、武器を振り抜いた先には隙が生じるもの……。
「――かあっ!」
そこを逃さず、マンドラゴンが拳を突き出した。
「――うおっ!?」
スタンレーは、これを剣の腹で受け止めたが……。
衝撃は殺しきれず、こちらへと吹き飛ばされる。
「くっ!」
「父さん!」
ピエールは、キースと共に、何とかこれを受け止めた。
「だったら、あたしが!」
スタンレーと入れ替わるように、ミーリンが前へ出ようとする。
『――風刃よ!』
それを止めたのは、マンドラゴンの紡ぐ呪文であった。
かつての宮廷魔術師は、その実力を遺憾なく発揮し、ミーリンの体を真空の渦で包み込んだのである。
「きゃあああああっ!?」
真空の刃により、全身を切り裂かれたミーリンが悲鳴を上げた。
「くっ……うっ……」
そして、真空の渦が収まると、その場へがくりと膝をついたのである。
「ドラゴンを仕留めたというあなたの拳法は、やはり脅威です。
が、ならば近づかせなければいい。
私を、図体がでかいだけの魔獣と同じに思ってはいけませんよ?
この通り、呪文は健在ですし、人の大きさでありながら、竜の身体能力も備えているのです。
つまり――」
マンドラゴンが、ぱかりと口を開く。
これは――不味い!
「くっ……!」
ピエールは、慌ててミーリンの前へと躍り出た。
「かあああああっ!」
そこへ放たれたのは、マンドラゴンの火炎。
進化したラーテルは、竜と同様に火炎の息を吐き出すことができるのだ。
おそらく、火事を恐れているのだろう。
マンドラゴンの吐息は、闘技場で受けたものとは違い、収束された……熱線じみたものである。
それがゆえ、より効果的にピエールの体を焼いた。
「くう……!?」
盾で防ぎ、熱に耐性のある体であっても、無視はできない深手……。
それでも、どうにか立ち続ける。
「大したものです。
元々、熱には耐性のあるあなたでしたが、進化によってそれはさらに高まった。
ですが、それでも動きがたいでしょう?」
マンドラゴンの言葉は、真実だ。
回復の呪文を唱えたいと、そう思った。
だが、本能がそのような隙を避ける。
「どうしてだ!?
どうして、このようなことを!?」
代わりに口をついて出たのは、そのような言葉だ。
何故、このような凶行に及んだのか……。
どうして、人の姿を保てぬと分かっていながら、自分に術を施したのか……。
まして、その不完全な術を補うため、バサタを害しようとするとは……。
その全てが、分からなかった。
ピエールの知るラーテルとは、どこまでも思慮深く、王家への忠誠も厚かったはずである。
だからこそ、自分は彼を、父親のように……。
「どうして、ですか……。
あなたが、それを聞くのですか?
私は、ただ、己の望みを果たしたかっただけです」
おだやかな……。
実におだやかな声で、マンドラゴンがそう告げた。
だが、こちらに歩み寄るその姿からは、確かな殺意を感じられるのだ。
「つまりは……。
あなたと、同じです!」
マンドラゴンが、両の腕を振るってくる。
工夫も技術も、何もない一撃……。
だが、竜の膂力を宿したそれは、恐るべき脅威だ。
「くっ……!」
右腕の一撃は、盾でどうにかいなせた。
「――ぐあっ!?」
だが、左腕の一撃は迎撃した鋼の剣をへし折り、ピエールの面に直撃したのである。
マンドラゴンの鋭い爪が、兜を……面を破壊した。
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