研究発表

 ライナット王国といえば、言わずと知れた騎士の国であるが、では、魔法の研究を怠っているかといえば、そのようなことはない。

 むしろ、その水準は一般的な国家のそれを凌駕しているとさえいえるだろう。


 それというのも、建国王にして聖騎士たる初代ライナットが、魔王討伐の旅で魔法の奥深さというものをよくよく知ったからであり、宮廷魔術師団には、毎年、潤沢な予算が用意されているのだ。


 呪文の腕を磨くのみではなく、様々な学問を修め、王国の発展に寄与する……。

 そんな魔術師たちの本拠地が、王城にいくつか存在する尖塔の一つであり、この塔は、俗に賢者の塔と呼ばれていた。


 そして、そこを預かる宮廷魔術師筆頭ラーテルの研究発表は、その地位へ相応しく、塔の最上階に存在する講義室で行われることとなったのである。


 広々とした室内には、半円を描くようにして机と椅子が設置されており……。

 しかも、それらには段差が設けられていて、拝聴する人間の視界が遮られないようになっていた。

 そのような工夫によって、集った者たちの視線を集めているのが、最下段に位置する舞台である。

 ちょっとした演劇程度なら開けそうな広さのそこには、演説台が設けられ、発表者の登場を今か今かと待ち受けているかのようだ。


「楽しみだな……。

 一体、今度はどのような発表をされるのか」


「確か、五年ほど前に発表されたのは、石灰を用いた新たな小麦の農法でしたか……」


「そうそう。

 その石灰を作る原料が採掘できるというので、枯れていたニール男爵領の鉱山地帯が、にわかに活気づきましたな」


「実際に、あの農法を実践することで、小麦の収穫量はなかなかの増加を見せました。

 いや、はや……。

 単に興味のある研究をするだけではなく、きちんと世に還元するそれも行っているとは、さすが、宮廷魔術師筆頭にして偉大な錬金術師ですな」


「今日もきっと、我々常人には思いもよらぬような、新たな発見を語ってくれることでしょう」


 講義室に集った人々は、単なる貴人ではなく、政治に関わる要職たちであった。

 当然ながら、この聖騎士祭で彼らも忙しくしているはずであるが、そんな合間を縫ってまで、この発表に参加している……。

 その事実だけで、ラーテルという男の功績がうかがい知れる。


「お前も、しっかりと拝聴し、勉強させてもらいなさい。

 このような機会は、滅多にないのでな」


 中央最上段の席……。

 すなわち、全ての人間を俯瞰できる位置に陣取った国王ライナット十三世が、隣の愛娘に語りかけた。


「もちろん、分かっております。

 父上こそ、連日の疲れで居眠りなどしないようにお気をつけ下さい」


「お、おとといの茶会で、ついうたた寝をしてしまったのは、申し訳なく思っているとも。

 あれはだな。

 それだけ、お前といる時間が心地よいということであって……」


 講義室の壁際へキースと共に並び立っていると、親子のそんな会話が聞こえてくる。

 盗み聞きをしたいわけではないが、警護のために意識を広げていると、どうしても近場の会話は耳に入ってしまうのだ。

 そんな自分に話しかけてきたのは、どうしてか、席に座らず隣へ立っているミーリンであった。


「はあ……。

 兄様から手紙で命じられて出席したけど、正直、こういうのは苦手なのよね」


「ミーリン様。

 正式に出席しているのなら、椅子に座られればよろしいのでは?」


 至極当然の提案をすると、ミーリンが軽い伸びをしてみせる。

 それは、柔軟というよりは、眠りから覚めた猫のような動きであった。


「それをやると、眠っちゃいそうだもの。

 分からないなら分からないなりに、きちんと聞かなきゃ失礼じゃない」


「壁際で立って聞くというのも、作法からは外れていると思いますが……」


「いいのよ。

 どうせ、あたしはいつもの武闘着だし。

 黙ってれば、警護の人間っぽくなるでしょう?」


「交易都市カルゴならまだしも、この王都で武闘家の正規兵はおりませんが……」


「正規じゃなくても、バサタの友達だから客人みたいなもんではあるでしょ?」


 ああ言えば、こう言う。

 どうも、意地でもミーリンは、ここで講義を聞くつもりらしい。

 あれだけ見事な精神集中を見せる少女が、学問となると、途端にそれを失ってしまうものなのだろうか?


「ピエール。ミーリン様。

 いよいよ始まりますよ」


 キースにそう言われ、彼女との会話を中断する。

 最下段の舞台では、いよいよラーテルが登壇しようとしていた。

 だが、その姿は……。


「全身をローブで覆ってますな……」


「ああ、あれでは顔も見えませぬ……」


「一体、これはいかなる趣向か……」


 拝聴すべく集まった人々が、口々にそのようなことをささやき合う。

 それだけ、ラーテルの装いは異様なのである。

 頭からフード付きのローブをすっぽりと被り、研究発表の場でありながら、自らの表情すら見せようとしないのだ。


「まるで、誰かさんみたいね。

 あなたの血筋で流行ってるの? そういうの?」


 自分の面を見上げながら、ミーリンがそう告げる。

 そう、あえていえば、これは自分と同じ……。

 しかし、そんなはずは……。


「皆さん」


 張りのある力強い声で、演説台に立ったラーテルが語り始めた。

 その声には、生命力というものが満ち溢れており、騎士団長スタンレーなど、普段の彼を知る者らが驚いた様子を見せる。


「およそ、あらゆる人間にとって、最も欲しいものは健康かつ強靭な肉体……。

 これに、異論を挟む方はいないかと思います」


 そんな聴衆の様子は意に介さず、ラーテルが続けた。


「まあ……確かに」


「すると……今回は、何か健康法でも話されるのか?」


「まさか、ラーテルほどの方が、そんなつまらぬことをするわけもあるまい」


「となると、薬学の類か?」


「おそらくは……」


 ささやき声も、重なり合っていけばざわめきとなるもの……。

 ざわりと騒ぎ出す人々を制するように、ラーテルが両手を掲げる。


「私の場合……とりわけ、その願いが強い。

 魔術師として、錬金術師として、どれだけの名声を得ようとも、それはあくまで我が魔力と頭脳に対する賞賛……。

 伝説に謳われる聖騎士ライナットのごとく強靭な肉体……それに、ずっと憧れてきました」


 一同を見上げるラーテルの顔は、フードに覆われて見えない。

 ピエールはそこに、何か得体の知れない不吉さを感じた。

 これは……まさか……。


「では、具体的に何をすれば、それが得られるのか……。

 ――進化です。

 より優れた生物の特質を取り込むことにより、人は死の病すら克服し、超常たる生物に生まれ変わる。

 いや――」


 そこで、ラーテルは確かにピエールを見た。

 その視線に、どのような感情が込められていたものか……。

 それは、ピエールには分からない。

 ただ、我知らず腰の剣に手をかける。


「――超魔か」


 それだけ言って、ラーテルがフードを脱ぐ。

 そうして、露わになった顔……。

 それは、もはや人間のそれではない。

 顔は、ひび割れ……。

 皮膚の端々に、爬虫類じみた鱗が出現していた。

 瞳孔は、これも爬虫類のごとく縦に割れており……。

 口からは、人類が持たぬはずの鋭い牙が覗いているのである。


「私はそれを、ドラゴンとの融合で果たそうとした。

 フ……フフ……。

 だが、見ての通り、まだまだ不安定でね。

 しばらくはもったが、人の姿を維持しきれないんだ……」


 まるで、堰を切ったかのように……。

 ラーテルの肉体が、加速度的に変貌――いや、進化していく。


「実のところ、今日は単なる研究発表をしたいわけじゃない。

 人化の状態を安定させる最後の素材……。

 最も強き聖騎士の血を受け継ぐ者が、欲しくってね」


 そうして、完成した彼の体は、ドラゴンの特質を備えていたが……。

 だが、基となっているのは、あくまで人間――ラーテルだ。

 ならば、これを称してこう呼ぶべきであろう。


「すなわち……。

 バサタ姫殿下、あなただ」


 マンドラゴンが現れた

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