聖騎士祭

 ――ちう。


 ――ちう、ちう。


 天井からは錬金術の素材が吊るされ、棚にはフラスコ等、様々な研究器具が整然と並べられた地下室に、哀れみを誘うネズミの鳴き声が響いた。

 あるいは、苦痛の鳴き声か……。

 何しろ、このネズミは四肢の腱を切られており、他にできることなど何もないのだ。

 実験動物が逃亡し、貴重な素材を無駄にしてしまわないようにという配慮である。


「さて……」


 準備が完了したのを確認し、ラーテルは気を張り直す。

 地下室の床に描かれているのは、幾何学的な模様の魔法陣……。

 かつて、ピエールに施したそれをさらに改良したものであった。

 変化しているのは魔法陣だけではなく、素材もより洗練したものを使っている。

 白眉といえるのが、ピエールから採取した肉片に加え、竜の鱗、心臓、脳の切れ端などを使っている点だ。


「限りなく人間に近い存在へ進化したピエールの肉片を基礎とし、そこにドラゴンの素材を合成させる。

 理論としては、完璧ですが……」


 それから……。

 ラーテルが唱えたのは、この世のものとも思えぬ怪しい声音により紡ぎ出される詠唱であった。

 戦闘時の呪文とは異なり、幾度となく音程を変えて紡がれるそれは、完遂までに四半刻ほどの時間を擁する。

 そうして、儀式の詠唱を終えると、ついに進化の呪法が発動した。


「がっ……ぎうっ……!?」


 ネズミの口から、とてもそうとは思えない声が漏れ出し……。

 人食い樹の灰で描かれた魔法陣が、吸い込まれるようにして哀れな実験動物の中へと入り込んでいく。

 魔法陣に込められた魔力が、ネズミの肉体へ作用しているのだ。


 進化の呪法は、それだけで終わらない。

 魔法陣の各所へ配置された素材が、やはり、吸い込まれるようにしてネズミの肉へとめり込んでいく。


 ――メリ。


 ――メキ、メキ……。


 肉と骨とがひしゃげ、合一していくおぞましき音が、地下室の中へと鳴り響いた。


「ぐっ……!? げっ……!?」


 だが、それでもネズミは絶命しない。

 ばかりか、今や様々な素材が埋め込まれた合成獣と呼ぶべき姿をしたこやつに、変化が訪れたのである。


「グウッ……オォッ……」


 苦痛の鳴き声は、徐々に太ましいものへと変わっていき……。

 体を構成する無数の何かが、作り変えられ、置き換わっていく……。

 もはや、素材は完全に体内へと吸収されており、肉体を急激に変化させる源泉となっているのが明らかだった。

 間違いない。

 これは……。


「やはり、本物のドラゴンではなく、宝物で変じたそれであるのが大きいのでしょう。

 死体と化してなお、肉体を変貌させる術の残滓が残っている。

 それが、進化の術と共鳴し、調和を果たしているのです。

 また、ピエールの肉片が果たした役割もはなはだ大きい」


 誰もいない室内で、教鞭を執るように語る。

 これは、自身の思考をまとめるために行うラーテルの癖であった。


「すでに、進化を果たした彼の肉片……。

 あらゆる環境に耐え得るスライムが、進化の術へ対応したそれを使っているのです。

 これが、接着剤のように相反する素材と被検体を結び付けている。

 それどころか、進化を促進させてすらいる。

 何しろ、ピエールの時は幾日もかかった進化が、すでに完了しつつあるのですから……」


 そう語っている間にも、ネズミの肉体的変貌は終わりつつあり……。


『――――――ッ』


 見るからに残虐な肉食獣のそれへ変わりつつある口から、おぞましき声が漏れ始めた。


『――あるべき姿に戻れ』


 呪文と同じ発音で、被験体にそう命じる。

 すると……おお……変貌しつつあった被験体が、徐々に……徐々にと、ネズミへ戻っていくではないか。


『――進化せよ』


 またも、命じる。

 すると、時間が巻き戻るかのように、被験体が再度の変貌を開始した。


『――あるべき姿に戻れ』


 今度は、変化が戻らない。

 被験体は、進化の最中だ。

 半ば予想していた結果に、溜め息を吐き出す。

 これが分かった以上、もう、この被験体に用はない。

 放っておいて、厄介な怪物を生み出す気など毛頭なかった。


『――氷よ』


 呪文を唱え、氷の矢を生み出す。

 それは、そのまま射出され、ネズミから進化しつつあった被検体を刺し貫く。


『――ゲッ!?』


 短い断末魔と共に、被検体が息絶える。


「完璧……?

 いや……」


 パキリ、パキリと氷で覆われていく被検体の死骸を見ながら、最終的な結論を出す。


「まだ、完成ではない。

 これに加えて、もう一つ素材がいる。

 かつて、勇者と共に世界を救ったとされる聖騎士ライナット……。

 その聖なる血が融和すれば、進化はより強固となり、肉体へ完全に定着する。

 私は、人を――」


 独り言を遮ったのは、喉の奥……。

 気管支から吐き出された血だ。


「ぐっ……!?

 ぐほっ……!?」


 ひとしきり血を吐き出し、弱々しい動きでローブに付着したそれを拭った。


「時間がない……。

 私には、もう、時間が……」


 もし、彼を知る者がこの場にいたならば……。

 その形相を見て、息を呑んだに違いない。

 彼の眼差しは、生への執着とさらなる研究への渇望に爛々と輝いており……。

 とても、正気の人間とは思えないからである。


「二段階の術……。

 これでいくしかない……。

 フ……フフ……。

 ハ……ハハハ……」


 笑いながら、ラーテルが再び魔法陣を描く。

 もう、実験動物はいない。

 必要ない。




--




 ――聖騎士祭。


 それは、初夏に入ってから行われるライナット王国の風物詩とも呼べる行事である。

 聖騎士ライナットといえば、これは大陸中にその名が知れ渡っている偉人であるが……。

 ライナット王国民にとっては、偉大なる建国王の名でもあった。

 この日は、彼が生誕したまさにその日であり、国中の人間が、かつて世界を救った戦士の栄誉を称え、彼が遺した国の繁栄を祝うのである。


「すごいな……」


 城の上層階にある窓から街並みを一望し、思わずそんなことをつぶやく。


「いや、毎年のことではあるが、ここからだと、街の様子がよく分かる」


 そう付け足したのは、隣のキースに不審がられないためだ。

 いくら何でも、毎年やっている大きな祭りを新鮮がっているようでは、怪しすぎるのであった。


「確かに……。

 僕も、こうやって城から見下ろすのは初めてだけど、ここからの景観は格別だね。

 ピエールは、祭りの出し物というと何が好きだい?」


「私は……」


 そこで、一瞬口をつぐんでしまう。

 ピエールにとって、この祭りはラーテル邸の窓から見下ろすものだったからである。

 剣術の師であるエウレアは、この日ばかりは純粋に祭りを楽しんでしまうし、魔法の師であるラーテルは、宮廷魔術師筆頭として何かと忙しい。

 かといって、恐ろしいほど人でごった返す中に、半端な変装で入り込む気にはならず……。

 結果、ピエールは毎年、屋敷に引きこもっていたのであった。


 いや、だが……。

 ラーテルが、毎年決まって土産とするものがある。


「……川魚の串焼きだな。

 不思議なもので、串に刺して焼いたものは、網や鉄板で焼いたものより美味く感じる。

 あれは、毎年この祭りでしか食べないご馳走だ」


「ああ、分かるよ。

 あれ、美味しいよね。

 僕の方は、りんご飴かな」


「飴か。

 甘味はいいな。私も好きだ」


「話が分かるじゃないか」


 それから、しばし……。

 二人で、他愛のない会話へ興じた。

 本来、騎士は警備などで忙しく駆り出されるものであるが、自分たちは近衛騎士だ。

 式典など、様々な催しへ参加するバサタに付き従うため、そういった通常任務は免除されていた。

 そして、今は守るべき姫君がお色直し中のため、こうして小休憩を楽しんでいるのである。


「さて……。

 この次は、ラーテル様の研究発表か。

 内容は秘されているけど、君なら知ってるんじゃないかい?」


「いや、私も知らされていない。

 ただ、やけに張り切っているようだったので、相応のものではあるだろう」


 ラーテルの様子を思い出しながら、友に答えた。

 ここしばらく、ラーテルは食事時などにも随分と活力を感じさせていたものだ。

 普段は、何か病気でも隠しているのではないかと疑うような人物だけに、そのことは嬉しく思っているピエールである。


「そうか。

 まあ、行けば分かるよね」


「そうとも」


 城下で繰り広げられる祭りの陽気にあてられ、のんびりとした会話を交わす。


「姫様のお支度、整いました」


 侍女が呼びに来たのは、そんな時であった。

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