王城の日々

「近衛騎士として、姫殿下のお傍にあり続ける。

 これは、口にするほど簡単なものではありません」


 意識を現実に引き戻すと、ラーテルがいつものように講釈を述べていた。


「何しろ、栄誉ある役職です。

 その立場を狙っている騎士は、数多い。

 対して、これまでの君はこれといった手柄のない若造だったわけですから、これは大いに不安定な状態だったといえるでしょう」


「今は違うと?」


 尋ねると、宮廷魔術師筆頭がうなずく。


「――ドラゴン退治。

 これは、あらゆる武勲において、最上のそれであるといえるでしょう。

 例え、相手が宝物で生み出された存在であり、こちらは大勢でかかっていたのだとしても、です。

 むしろ、それだけ大勢で戦っていた中で、目覚ましい働きをしたのですから、これはより有利であるかもしれません」


「これだけの武勲を立てたのだから、そう簡単に、この地位を追いやられることはないと?」


「その通り!

 仮に、姫殿下自らがあなたの解任を望んだとしても、これはもはや、そうそう通ることはないでしょう」


「そうか……」


 ようやくというべきか……。

 あるいは、今更というべきか……。

 ピエールの胸に、じわりとした喜びが湧き出してくる。


 本の知識によれば、多くの場合、戦士というのは報酬を得るために戦うのだという。

 いまいち理解できていなかったそれが、ようやく飲み込めた。


 ピエールが望むのは、金品の類ではなく、ましてや、ドラゴンの死体などでもない。

 では、何が欲しいのかと言えば、これはバサタの隣へ居続けられる立場を置いて他になく……。

 今、ラーテルの口から望むものを得られたと説明を受けたことで、やっと、ドラゴン退治に甲斐を見い出すことができたのだ。


 望むものを得られるというのが、こんなにも嬉しいものだとは……!

 なるほど、望むのが金であり、戦うことで得られるのだとすれば、命がけのそれに臨むのもやぶさかではないだろう。


「ただ、もちろん正体がバレることに関しては、最新の注意を払わなければなりません。

 今までは、単なる風変わりな新人でした。

 ですが、これからのあなたは、ドラゴン退治の英雄です。

 兜と面によって守られたその素顔を、覗きたいと考える人間は多いことでしょう」


「承知しました。

 十分に気をつけましょう」


 ラーテルの言葉に、気を引き締める。

 彼の言う通りだ。

 立場が盤石になったというのは、あくまでも人間を基準にしての話であり、自分の正体はといえば、これはスライムであった。


 もし、面を取られ、この醜い素顔が明らかになったら……。

 近衛騎士の地位を失うどころではない。

 自分は、周囲の人間全てから化け物と呼ばれ、剣を向けられることだろう。


「と、まあ、ここまでがあなたにとっての喜ばしい話……」


 ぽんと手を打ったラーテルが、にこにこした……実に嬉しそうな顔で言い放つ。


「では、ここからは、何の話なのです?」


「決まっています!」


 その瞬間……。

 ラーテルの瞳がきらりと輝いたのは、見間違いではあるまい。

 彼は両手をわきわきとさせながら、こう言ったのだ。


「宝物の力で変じたそれとはいえ、ドラゴンの死体が手に入るとは……!

 ああ、心踊ります!

 爪、牙、鱗……!

 どれも素晴らしいですが、やはり、ここは心臓か脳が欲しい!

 普通なら、どれだけ望んでも、個人が手に入れられるものではありません。

 ですが、ピエール……私は君の何です?」


「高見人……で、合っているでしょうか?」


「そう! 後見人です!

 つまりは、間接的にドラゴン退治へ貢献したともいってよい立場……。

 ならば、国王陛下も、きっと融通を利かせてくれるに違いありません!

 ピエール! あなたの口添えがあれば、より完璧です!

 分かりますか!?」


 いつにない剣幕の宮廷魔術師に、苦笑いを浮かべる。

 だが、ここら辺で多少は恩を返しておくべきだろう。

 何しろ、彼のおかげで、自分は今の体を手に入れたのだから……。


「お引き受けしましょう」


「おお! ありがとう!

 いやあ、楽しみです!」


 心臓だか脳だかが手に入る日を夢見てうきうきする様は、まるで子供のようで……。

 少しだけ、彼を見る目が変わったピエールなのであった。




--




 それからの日々は、順風満帆の四文字で表せるだろう。


 近衛騎士に就任するや否や、すぐさまバサタの辺境伯領行きへ同行することになったピエールであり、実のところ、まともな城勤めをするのはこれが初ということになる。

 そんな新人騎士に対する周囲の反応は、これは、驚くほどに好意的なものであった。


「ピエール殿、おはようございます」


「今度の訓練で、是非、お手合わせ願いたい」


「何か、仕事で分からぬことがあったら、気安く相談してくれ」


 武官、文官、侍女を問わず、気さくに話しかけ、また、何かと便宜を図ってくれるのだ。

 おそらくだが……。

 今回の一件を経ず、単なる一騎士として登城していたならば、このような扱いは受けられなかったに違いない。


 経歴というのは、人を輝かせるもの……。

 ドラゴン退治の逸話は、素顔を隠した怪しい騎士に魅力を付与してくれたのだ。


 ただ、それは裏を返せば、注目を浴びるということであり……。

 馬の世話をする時や、稽古の最中など、常に無数の視線が突き立っているのは、少しばかり落ち着かないものである。

 特に、食事をする時はそれが顕著で、ピエールとしては食堂の隅に位置する席を確保し、慎重に面で隠しながら食べる他にない。


「はっはっは!

 キースから聞いた通りだな!

 顔を隠したまま、上手に食べる!」


 遠慮なく向かいの席に座り、豪快な笑い声を発したのが騎士団長スタンレーであった。


「団長……。

 本人にも事情があるのですから、あまり詮索するものではないかと」


 その隣で、今は父を役職で呼びながらたしなめるのが、キースである。


「すまん! すまん!

 しかし、こうなると、どうしても気になってしまってな。

 何しろ、ドラゴン退治の立役者が一人だ。

 どうだ? ピエール?

 誰にも言わぬ秘密とするから、この俺にだけ顔を見せてはみぬか?」


「団長。

 あなたのお立場でそのようなことを言えば、それは無理強いとなるのです」


 目の前で繰り広げられる親子のおかしな語らい……。


「ふっ……」


 それを見て、思わず笑みを漏らす。

 自分にも親はいるのだろうが、いかんせん、気がつけば城の中に入り込んでいたような人生……いや、スライムの生い立ちだ。

 こういったやり取りに、多少の羨ましさを感じるのは、少しだけ人間に近づけた証かもしれない。


「あー!

 こんな所にいた!」


 そんな会話を遮ったのは、食堂入り口から響いた声である。

 ここを利用する騎士たちの視線が一斉に集まるも、声の主は臆するところがない。

 ばかりか、小柄な体で胸を張り、こちらに向かって大声を上げたのだ。


「ピエール! キース!

 食事を終えたら、あたしと一緒にバサタの所へ行くわよ!」


 声の主――ミーリンの言葉に、キースと顔を見合わせた。

 姫の傍で守護するのが自分たちの役割であるから、当然、一日の予定は事前に聞いている。

 バサタは本日、この後は自室で過ごされるという話だったが……。


「皆でお出かけするの!

 いいわね!?」


 つかつかと歩み寄ってきたミーリンが、そう宣言した。

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