マイ・ストーリー 上

 スライムの意識というものは、おそらく路傍の植物じみたものであり……。

 果たして、生まれてからそこに至るまで、どのように過ごしていたかは、ピエール本人にも分からない。

 ただ、今になってから城中を見回ってみると、おそらくは下水の中か何かを通って、侵入したのだと思える。


 ともかく、幼き日の自分は……名を持たぬ一匹のスライムは、城内に存在する大木の下にいたのであった。

 眠っていたのだろうか。

 あるいは、木の根元に生えている雑草でも、食べていたのかもしれない。

 本能のまま過ごしていた自分を抱き上げたのが、一人の少女である。


「あなた? こんなところで何してるの?」


 意識が芽生えた瞬間を、生まれた時だとするのならば、きっと、自分はその時に生まれたのだろう。

 少女の髪は、見たこともないほど美しい銀色をしており……。

 にこりとした笑顔は、これまでに見たどんなものよりも魅力的であると思えた。


「はじめまして! わたし、バサタっていうの!

 このくにの、おひめさまなんだよ!」


 それが、少女――バサタとの出会いだったのである。




--




 それから……。

 バサタは、毎日のように大木へと通ってきた。

 他でもなく、自分と遊ぶためである。


「なまえがないのは、ふべんよね。

 ……よし! ピエール!

 きょうから、あなたはピエールよ!」


 ピエールという名前をもらったのは、そんな日の中であった。

 ともかく、バサタは自分に対し、様々なことを話してくれたものだ。


「おとうさまもおかあさまも、いろいろとうるさいの。

 もっと、べんきょーしろって。

 わたし、おべんきょうよりも、こうやってピエールとあそんでいるほうが、たのしいわ」


「きいて、きいて!

 こんど、へんきょーはくけのこどもたちが、こっちまであそびにくるんだって!」


「えへへ、おやつのクッキー、ちょっとだけかくしてもってきたの。

 はい、あなたにもおすそわけよ」


 自分はといえば、そんな彼女に抱きかかえられ、ぷるりとした体を撫でてもらうのが、何よりの幸せであったと思う。

 ただ、幸せに浸りながらも、バサタが何を言っているのか、伝えようとしているのかは、一生懸命に考える。

 そうすると、不思議なもので、スライムがごとき下級の魔物にも、おぼろげながら言葉を解する知性が芽生えたのだ。


 相槌を打ったり、返事をしたい。

 そう願っても、果たせないもどかしさの中……。

 ひどく印象に残ったのが、この言葉であった。


「きょう、おしろできしのしけんをやるの。

 それで、いつかはわたしも、じぶんのこのえきしをえらばないといけないんだって。

 ねえ、ピエール?

 わたし、そばでまもってくれるなら、あなたがいいな。

 おおきくなったら、きしになってくれる?」


 ――うん、なるよ!


 ――バサタのきしになる!


 そう、答えたかった。

 だが、それはかなわない。

 結局、自分は何も答えられないまま……。

 大人たちに発見されたのである。


「姫様! そ、それは!?」


「大変だ! 魔物が入り込んでいるぞ!」


「殿下! 早くそいつを放してください!」


「やだ! このこは、ともだちだもん!」


 囲みながら、口々にそう言う大人たちを見て、バサタはますます自分を強く抱き締めた。

 しかし、しょせんは子供……。

 あっさりと、ピエールは取り上げられてしまう。


「殿下の前で殺すのは忍びない。

 堀にでも捨てておくとするか」


「やだ! はなして!

 ピエール! ピエール!」


 城の外へと連れて行かれる中、バサタの涙声が、いつまでも自分の中へ残響したのを覚えている。




--




 乱暴に堀へと投げ捨てられ……。

 しばらく水中へ沈んだ後、どうにか地上へと這い上がった。

 そこへ通りがかったのが、宮廷魔術師ラーテルである。

 いや、通りがかったというのは、違うか。

 彼は騒ぎを聞きつけ、自分に興味を覚えて待ち構えていたのだ。


「ふうむ……。

 殿下へ襲いかかることもなく、ただ、じっとしていた魔物ですか……。

 興味深い」


 しゃがみ込み、自分を見つめてくるラーテルに、ピエールは本能的な恐怖を覚えて身を縮こませた。


「ほおう。

 いたずらに襲いかかるでもなく、逃げようとするでもない。

 いや、これは……私を観察している?

 あなた、スライムでありながら、理性があるのですか?」


 意外そうな顔をするラーテルを、自分はじっと見つめたものである。

 つまりは……観察。

 しばし、見つめ合い……。


「ふむ……」


 ラーテルは、ついにこの質問をぶつけてきたのだ。


「あの子……。

 バサタ殿下に、もう一度会いたいと、そう思いますか?」


 自分が見せた反応は、劇的なものであった。

 その場で弾んだり、体を膨らませたりする。

 精一杯、肯定の意思表示をしたのである。


「素晴らしい。

 言葉を、理解している……!

 いいでしょう。あなたが望むなら、その手助けをしましょう。

 もっとも、途中で死んでしまうかもしれませんが……。

 どうせ、このままいても、見かけた誰かに退治されてしまうか、野良犬にでもやられてしまうのです。

 ――さあ」


 差し出された手の上へと、迷うことなく乗った。

 ラーテルは、そんな自分をローブの内側へ隠し……。

 そして、屋敷へと持ち帰ったのである。




--




 ――進化の呪法。


 ラーテルが己に施したのは、そのような秘術であった。

 魔法ではなく、錬金術。

 ラーテルの生き血を始め、様々な素材を捧げての儀式である。

 魔法陣の中央に置かれた自分へ、それら素材は吸い込まれるように入り込んでいき……。


「――――――――――ッ!?」


 声にならぬ苦悶の声が、己の口から発された。

 全身が、沸騰するような感覚……。

 体を構成する無数の何かが、造り変えられ、置き換えられ……。

 そして、膨らみ、増殖しているのだ。


「素晴らしい……!

 その激痛にも耐えるとは……!

 スライムだから……?

 いや、違う!

 この個体自身の適正という他にない!」


 歓喜の声を上げるラーテルであったが、自分はそれどころではない。

 ただ、耐え続けた。

 終わりなどないと思えるこの苦しみに……。


 果たして、幾日が過ぎ去っただろうか。

 術者であるラーテルが不在の間も、魔法陣は作用し続け、ピエールの体を間断なく造りり変えていく。

 だが、地獄の苦痛は、ふとした瞬間に途絶えたのである。


「立ちなさい」


 代わりに聞こえたのは、ラーテルの声……。

 立つ……?

 そう、立てるのだ。


 初めは、四足獣がそうするように四つん這いで……。

 やがては、二本の足――そう、足だ――を使って直立する。

 そうすると、視線の高さに驚くこととなった。


 これまでは、あらゆるものを見上げていた世界が……。

 今は、見下ろせている。


「今日、これより、君は望みを叶えるために、様々な学びを得ていくことになる。

 さて、君のことをどう呼んだものか……」


「……ピエール」


 振り向き、悩んだ様子でいるラーテルに、間髪入れず答えた。


「……それが、君の名かい?」


「ピエール」


 まだ、他の言葉を発することはできない。

 しかし、それが自分の名であることは、正しく認識できていたのである。

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