ダンス
おそらく、自分の踊りというものは、傍から見ればあまりにも拙く、糸で操られる人形のごとき、ぎくしゃくとしたものであるに違いない。
バサタの手を取り、周囲の人間を真似ながらステップを踏んだピエールは、そんなことを考えた。
そうなっている理由は、何もダンスが未経験だからというだけではない。
今、手袋越しに感じている彼女の体温が……。
見つめ合うことで交わされる視線が……。
兜の面を撫でる彼女の吐息が……。
どうにも己を熱くし、動きをぎこちなくしてしまうのである。
「バサタ姫殿下……やはり、お美しい」
「ああ、将来は絶世の美女となろう」
「それが、鎧姿の……それも、顔を面で隠した騎士と踊るというのは、いささか似合わぬな」
踊りに交わらず、談笑をする貴人たちの声が、自分の耳を打つ。
釣り合わぬ存在であるということは、自分でもよく分かっていた。
それこそ、十年前から……。
「今、あなたが見なければならないのは、わたし一人よ」
正面から向けられた言葉に、はっとなる。
見れば、バサタがこちらを見つめながら、少しだけ頬を膨らませていた。
「このようなこと、滅多にしないのだから、もう少し集中してほしいわね」
「……失礼しました」
ゆるりとした足さばきで踊りつつ、会話を交わす。
「ですが、せっかくの場なのです。
私などではなく、もっと地位のある方と踊られた方がよろしいのでは?」
「つまらないことを言うのね。
わたしが、あなたと踊りたいと思ったから踊るの。
それは、理由にならないかしら?」
「……滅相もありません」
楽団の奏でる音楽は、あくまでも優雅で穏やかなものであり……。
自分のような初心者でも、どうにか歩調を合わせることができる。
とはいえ、所詮は見様見真似だ。
「あれだけ立派に剣や呪文を操れるのに、ダンスとなるとさっぱりなのね」
こう言われてしまっては、返す言葉もない。
「踊りというものは、鍛錬しておりませぬゆえ」
「責めているわけじゃないわ。
ただ、そう……。
不思議な人だと思っただけ」
バサタの視線が、じっと自分の面に注がれた。
「ラーテルの縁者であるということ以外、素性の全てが謎。
顔も隠していて、食事の時ですら、面を外さないそうね?
いつか、あなたが自分のことを教えてくれる日は、くるのかしら?」
「それは……」
バサタが口にしたのは、ピエールにとって最大の願いである。
もし、叶うのならば……。
今すぐ、自分が何者であるのかを、彼女に教えたい。
そして、約束は果たされたと、これからも果たされ続けるのだと、そう伝えたいのだ。
だが、それは決して、やってはいけないこと……。
もし、正体を明かしてしまえば、自分はせっかく得られたこの立場を、永遠に失ってしまうことだろう。
だから、これでいい。
こうして、間近に彼女の体温と息吹を感じられるだけでも、望外の喜びであるのだから……。
「……まあ、いいわ」
ふと、バサタが追求を止める。
「大事なのは、あなたがわたしの騎士ピエールであるということ……。
どうか、そのことだけは絶対に忘れないで」
「は……?」
姫君が口にしたのは、当然といえば、あまりに当然の事実だ。
だから、それをもって何が伝えたいのか分からず、首をかしげてしまう。
そんな自分に、彼女は続けてこう言った。
「それから、あなたはもうドラゴン退治の英雄……。
これからは、一介の騎士ではなく、様々なことに駆り出されるでしょう。
そのことも、覚悟なさい」
「それは……」
バサタが返したのは、言葉ではなく行動である。
彼女は、ふっ……と自分から手を放し、近くに寄っていたナージルの手を取ったのだ。
周囲を見れば、踊っていた人々が、同じように相手を変えていた。
どうやら、そのように振る舞わなければならない局面らしい。
とはいえ、半ば強引に引きずり込まれた踊りの輪だ。
どのように振る舞ったものか分からず、やや途方に暮れてしまう。
いっそのこと、踊りをする場から離れ、壁際で観戦するのも手か……。
そう考えたところで、強引に手を取られた。
「ちょっと。
せっかくダンスへ混ざったのに、一人とだけ踊って終わらせるつもり?」
勝ち気な声と共に手を引いてきたのは、他でもない……。
オーカー辺境伯家のご令嬢ミーリンである。
「ですが、私はダンスの心得がなく……」
「だったら、この場で覚えればいいのよ。
それに、バサタの騎士は、相手が見つからずに困っていた女の子を見て、何もせずに立ち去るのかしら?」
「むう……」
このような言い方をされてしまっては、断るわけにもいかない。
それにもはや、周囲の人々は踊り始めており……。
どうやら、抜け出すための機は逸してしまったようだった。
「ならば……」
だから、観念して彼女の手と腰を支えることにしたのである。
「そうそう。
男は決断と度胸が大事よ。
安心なさい。あたしがしっかりとリードしてあげるから」
「リード……ですか?」
周囲を見る限りでは、どうも男性側の方がリード……すなわち、踊りの先導役を務めているようだが……。
ピエールの困惑をよそに、ミーリンがパチリと楽団に向けてまぶたを閉じた。
おそらく、あらかじめ打ち合わせておいたのだろう。
それが合図となって、優雅だった曲調が大きく変わる。
激しく、熱く、情熱的に……。
楽器の音色というよりは、ドラゴンが吐き出す火炎を浴びせられているかのような気分になる音色へ……。
「うん……やっぱり、ダンスっていうのは、こうじゃないと!」
はしゃぎながら舞うミーリンの動きは、ダンスというよりも、もはや投げ技の一種であった。
手を取っている……というより、手を取られてしまっているピエールとしては、振り回される他にない。
それでも、どうにか踊りらしく足をさばけているのは、きっと、ミーリンがそのように導いてくれているからだろう。
「よくついてくるじゃない?
試合の時にも思ったけど、あなた、関節がすごく柔軟なのね。
ひょっとしたら、あたしよりも柔らかいんじゃない?」
「柔軟は、武術の基本でありますゆえ」
振り回される分銅のような気分になりながら、そう答える。
いつの間にか、ピエールたちは広間の中央へやってきたようであり……。
あまりに激しい二人のダンスへ、周囲の人間が感嘆の吐息を漏らしていた。
「基本を大事にしてるってわけ?
その割に、剣術はすごく独特よね?
あんな地を這うような剣捌き、他に使う人は見たことがないわ」
「師に教わった戦い方です」
うっかりと、キースにも漏らしていない秘密を話してしまったのは、慣れぬダンスで余裕がなくなった証拠だろう。
「ふうん?
どんな人なの?」
「それは……。
目立ったりするのを嫌う人ですので、ご容赦下さい」
すぐにそのことへ気づき、はぐらかしにかかる。
「そう……まあ、いいか」
ミーリンはそう言うと、ぱっとこの手を放してきた。
「おっと……っ!」
ピエールが転がる無様を見せずに済んだのは、まさしく、先程褒められた関節の柔軟さゆえだろう。
「その内、あんたの秘密も分かるかもしれないしね」
「その内……?」
ピエールの問いかけに、ご令嬢は答えず……。
ひらひらと手を振りながら、踊りの輪を出て行ったのである。
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