ドラゴン

 ――手強い。


 試合を観戦した時点でも分かりきっていたことではあるが、実際に相対してみると、ミーリンという少女武闘家の戦法は厄介を極めた。

 ピエールが得意とするのは、瞬発力と柔軟性を活かした踏み込みであり、地を這うような攻撃であるのだが……。

 それに対し、ミーリンは身の軽さと跳躍力を活かした立体的な闘法が持ち味であるのだ。


 両者が得意とする戦型は、まったく噛み合ってないという他にない。

 いや、これはミーリンの側が、あえて噛み合わせていないというべきであろう。

 悪漢らを撃退する時、確かに彼女は地に深く伏せての戦法も披露していたのである。


 同じ領域で戦っては、武器を持つこちらが間合いの面で有利だと踏んでのことか……。

 あるいは、大いに飛び跳ね、翻弄することで、こちらの体力を失わせようとしているのやもしれぬ。


 ともかく、得意とする地を這うようなそれへ、時折正統派の剣技も織り交ぜたピエールの斬撃は、ことごとくがミーリンにかわされてしまっており……。

 合間を縫って彼女から繰り出される蹴撃は、盾によって防ぎ、受け流し続けていた。

 まさに――こう着状態。

 互いに戦局を動かす決め手がないまま、いたずらに攻守を変え続けていたのである。


(かくなる上は、呪文を使うか……)


 騎士団長スタンレーを相手にした時と同様、呪文へ活路を見い出すことも考えた。

 これまでの試合で、ピエールは一度たりとも呪文を使っていない。

 ゆえに、使用すればまず間違いなく、意表を突けるはずであったが……。


(だが、それをすれば、ミーリン様に傷が……)


 若き近衛騎士を躊躇させていたのは、まさにこのことである。

 理想は――寸止め。

 自身もそれが使用可能であるし、また、武舞台の近くには回復呪文を使える僧侶たちも控えているとはいえ、伯爵家ご令嬢という身分ある者に対し、傷を付けることはためらわれた。


 今のピエールは、一介の戦士ではない。

 ライナット王国王女バサタへ仕える近衛騎士なのである。

 その戦いには、どこまでも品格というものが求められるのであり、ただ勝てばいいというわけではないのだ。


「ふふん……っ!

 どうやら、そっちの攻め手はそれだけみたいね」


 あれだけ動き回ったというのに、息一つ乱さず……。

 猛禽を思わせる構えで着地したミーリンが、そう呼びかけてきた。


「こっちは、まだまだ余裕あるわよ。

 そろそろ、攻め方を変えさせてもらおうかしら」


「望むところ……」


 左手の盾を突き出した守り重視の構えで、応じる。

 自分たちの戦いを見守る観客たちの熱狂は、最高潮に達していたが……。

 不意に、戸惑いの声が混ざった。


「おい! あれはなんだ!?」


「飛び降り!?」


 人々が、一斉に最も高くに存在する席……。

 すなわち、ナージルやバサタが座る貴賓席へと目を向ける。


「なんなの、もう……」


 それに水を差されたミーリンが、自分に注意を払いながらも貴賓席に目を向け……。

 ピエールもまた、同じようにしてそちらを見上げた。

 そして、見たのだ。

 貴賓席から、身を踊り出す人物の姿を。


「あれは……」


 慌てるナージルやバサタをあっさりと振り切り、宙に身を躍らせた人物……。

 それは、どうやら辺境伯家に仕える侍女たちと同じ服装のようだったが……。


「――違うっ!

 あれは、人間ではない!」


 ぞくりと背筋を走った感触に、そう叫ぶ。

 かつて、己が体験したのと同じ現象……。

 それに近いものが、落下中の人物に巻き起こっていると直感できたのだ。


 その証拠に――見よ!

 侍女の体は、内側から猛烈な勢いで膨れ上がると、たやすく侍女服を破り去り……。

 四肢はたくましく、凶暴な太さとなっていく……。

 体表を覆うのは、見るからに強靭な硬度を備えた鱗であり……。

 その頭部は、人間のものから爬虫類じみた形状へ変化していった……。


 ――ズズン!


 かなりの高さから落下したはずであるが、それをものともせず、人……であった何かが、四つん這いの状態で武舞台へ着地する。

 そうしながらも、変化は止まらない。


 さらに巨大さを増した体は、武舞台の半分は占めようかという大きさになり……。

 骨格は完全な四足獣のそれとなり、さらには、太く長大な尾までもが生え出した。

 背部には、背びれも形成され……。

 いよいよ、完全な肉食爬虫類の形状となった頭部からは、二本の角が突き出す。


『――――――――――ッ』


 口から吐き出すのは、ちらちらとした炎……。

 ずらりと並んだ牙は、一つ一つが、短剣よりも鋭利で分厚い。


 ついに全貌を現したこの魔物と、直接相対した者はこの場にいまい。

 あらゆる生物にとって、それは死と同義であるからだ。

 だが、この魔物を知らぬ者もまた、存在すまい。


 時に、最強の魔物として……。

 また、時には、神聖なる存在として……。

 様々な形で語られ、描かれているのが、これなる魔物なのである。


「……ドラゴン」


 自分たちの前に出現した魔物を見て、ミーリンがぼう然とつぶやいた。


「――ミーリン! 逃げろ!

 そいつの狙いは、お前だ!」


 貴賓席からナージルの声が響く。

 だが、その姿は……。


「――兄様!?

 あたしが狙いって、どういうこと!?

 そもそも、どうして兄様が二人いるの!?」


 そう……。

 どういうわけか、ナージルは二人に分身しており、隣のバサタを困惑させていたのである。


「そんなことは、この際どうでもいい!

 いいから、早く逃げろと言っているのだ!」


 二人並んだナージルの内一人が、そう叫ぶ。


「そうは言っても……」


 ミーリンが、ドラゴンの方を見た。


『――――――――――ッ』


 形容しがたいうなり声を発する魔物は、意識がはっきりしないのが、やや焦点の定まっていない目つきであったが……。

 それでも、ミーリンから目は離さず、逃がすつもりがないことを感じさせる。

 それに……。


「あたしたちが逃げたら、観客へ襲いかかるかもしれない!

 それより、集まった全員でこいつにかかるんだ!」


 叫んだミーリンの姿は、単なるお転婆な少女ではない。

 辺境伯家のご令嬢という、人々を守り、導く地位にふさわしい気高いものだ。

 だから、その言葉が武闘会の参加者たちへ響いた。


「そうだ!」


「俺たちの手で、やつを倒すんだ!」


 東方からやって来た武闘家たちが……。

 あるいは、各地からこの大会へと参じた者たちが、次々と武器を手に、武舞台へとやってくる。


「ピエール! 僕たちも!」


 その中には、当然のようにキースの姿も見受けられた。


「やれそうか?」


 隣に立ち、剣と盾を構えた彼に尋ねる。


「やるしかないだろう。

 怖くて仕方ないけど、さ」


 その言葉通り……。

 彼は、端整な顔を青ざめさせていた。

 しかし、その腰は引けておらず、強大な敵に立ち向かう意思を見せていたのである。


「それでこそだ」


 やはり……。

 やはり、あの試験で彼を推薦したのは正解だった。

 騎士というのは、武技ばかりが重要なのではない。

 このような時、人々の盾となって立ちはだかる覚悟こそが最も必要なのであり、彼は父親から、その資質を受け継いでいたのである。


「お前たち……。

 いいや、分かった!

 全ての力をもって、その竜を討伐せよ!

 闘技場で働く者たちは、観客の避難を!」


 貴賓席にいるナージル二人の内、どうやら本物と思わしき方がそう宣言した。

 その間にも、武闘会参加者のみならず、辺境伯領正規兵たちが武舞台の周囲へ駆けつけており……。

 ドラゴンを倒すための包囲網が完成しつつある。


『――――――――――ッ』


 ピエールにはそれが分かった。

 この竜が、黙ってそれを見逃しているのは、意識が混濁してはっきりしないからだ。

 だが、徐々に徐々にと……それは明瞭なものとなりつつあるはずであり……。


『――――――――――ッ!』


 その証拠に、うなり声ではなく、明確な殺意の込められた雄叫びを上げてきたのである。

 戦いの幕が上がった。

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