龍の爪
大会開始時は昇って間もなかった日も、すでに傾きつつあり……。
夕日を浴びた観客席は、最高潮の盛り上がりに達している。
片や、ライナット王国王女の近衛騎士。
片や、この地を治める新辺境伯の妹君。
あまりといえば、あまりに意外なこの対戦に興奮しているのだ。
もっとも、そんなことは、自分に関係ないが……。
ピエールにとって関心があるのは、バサタのことだけであり、その彼女が全力で戦えと命じた以上は、相手がバサタの親友であっても全力を尽くすだけなのであった。
「強いだろうとは思ってたけど、まさか、決勝まで勝ち残ってくるとはね……。
褒めてあげる! さすがは、バサタの近衛騎士だわ!」
その対戦相手……。
辺境伯領のご息女ミーリンが、余裕の笑みを浮かべながらそう告げてくる。
武舞台に上がった彼女の格好は、最初、謁見の間へ乱入してきた時と同じ道着――というらしい――姿であり、その格好が伊達ではないことは、ここまでの試合ですでに証明されていた。
「いずれも、辛勝でした。
あなたのように、鮮やかな勝利を飾ってはいません」
返した言葉は、謙遜などではなく、単なる事実である。
これまで、ミーリンが見せてきた試合の数々……。
それは、いずれも見事なものであった。
軽業めいた立体的な動きで、対戦する相手を大いに翻弄し……。
そうして生じた隙を突き、小柄な体躯からは想像もつかぬ鋭く重い打撃で、たちどころに相手を沈める。
これまで、ピエールが学んできた剣と盾を用いたそれとは、根本的な思想が異なる闘法……。
それに、どこまで食らいつけるかが勝負の肝であった。
「双方、準備はよいか!?」
武舞台の中央に立つ審判が、自分とミーリンにそう問いかける。
もはや、語るべき言葉はなく……。
後は、剣と拳を交えるのみ。
抜剣しうなずく自分と、身構えるミーリンを見て、審判が右手を掲げた。
「始め!」
こうして、新たな辺境伯の就任を記念しての武闘会決勝は、幕を開けたのである。
--
警備というものは、往々にして、身内に対して甘くなりがちなものだ。
それは、多くの場合において、想定しているのが盗賊などの外敵であることに起因してる。
そもそもの話として、ここ辺境伯家の居城で働くことを許されているのは、身元の確かな者のみであり……。
身内を疑い、敵対視する必要など、最初から存在しないのだ。
まして、自分より遥かに長く仕えている相手になら、尚のこと。
「失礼。
坊ちゃんのご命令で、そちらを取りに参りました」
「おお、これはソチリナ殿」
だから、闘技場内の貴賓席からほど近い控え室を守る若い兵士は、自分――老侍女長ソチリナを、警戒するどころか、敬礼でもって迎えてくれたのである。
「外の熱気を見る限り、まだまだ決勝は続いているようですが?」
そこは、戦闘者としての勘働きということだろう。
外の様子をうかがうように耳へ手を当てた兵士が、そう尋ねてきた。
だが、そう聞かれるのは、想定の内……。
「坊ちゃんの意向です。
優勝者が決まると同時に、そちらの品を大衆に掲げてみせたいと」
そう言いながら、ソチリナがちらりと視線を送ったもの……。
それは、奇怪極まりない面である。
全体的な衣装は、まさしく、絵画で見た竜の頭部そのもの……。
しかしながら、素材が普通ではない。
使われているのは、爬虫類じみた皮であり、鱗であり……。
それらが、三本の骨……いや、何か巨大な生物から切り出した爪を支柱として、面を形成しているのであった。
恐るべきは、明らかに加工が施された状態でありながら、いまだ生命を持つかのように、面の表面が脈打っていることだろう。
こうして、控え室の簡素な机に乗せられた状態でいると、まるで切り飛ばされた竜の頭部が、呪うように自分を見つめているかのようである。
――龍の爪。
ナージルが旅の商人から買い取り、今回の優勝賞品として用意した東方の宝物がこれであった。
商人の話によれば、さる遺跡から出土した品であり、被った者を竜に変じさせるという……。
漂う恐るべき魔力を見れば、それが嘘でないと、鑑識眼のない者でも判断できる。
竜という魔物を神聖視し、それと同等の肉体的強さを得るべく修行する東方の武闘家にとっては、なるほど、魅力的な賞品であろう。
「ナージル様の?
ははあ、あの方らしい、派手な演出ですなあ。
承知致しました!」
ぴしりと背筋を正しながら、兵士が答えた。
拍子抜けするくらい簡単なものであるが……。
これも、長年辺境伯家に仕えてきた自分への信頼ゆえであろう。
「では……」
ソチリナは、兵士に見守られながら、東方の秘宝に触れようとしたが……。
「そこまでだ」
背中から声をかけられ、ぴたりと動きが止まった。
他でもない……。
声の主は……。
「ソチリナ。
まさか、お前がオレを裏切ろうとするとはな。
いや、忠誠の表れというべきか……。
亡きオレの実母に代わり、第二の母として立派に育ててくれたのは、お前だものな。
街でミーリンたちを襲ったというゴロツキたちも、お前が雇ったのか?」
腕組みしながら、控え室の入り口で自分を見つめていた人物……。
それは、まぎれもなくナージル・オーカーそのその人だったのだ。
「坊ちゃん……!
今は、決勝を観戦していたはずでは……!?」
「あれは、影武者だ。
お前にも話していなかったが、オレは、こういった事態に備えていくつもの手を打っている。
身内への監視も、その一つ……。
お前が仕事を抜け出し、こんなところまでやってくる怪しい様は、すぐに報告されたよ」
心から……。
心から哀しそうな眼差しを向けながら、ナージルが語りかける。
そうされると、ソチリナの胸は張り裂けそうになったが……。
しかし、これは我が子も同然であるナージルのために、やらねばならないことなのだ。
「ミーリンを排除し、権力を盤石なものとすれば、このオレが喜ぶとでも?
その面で、一体、何をするつもりだ?」
「……それは違います。
これは、復讐なのです」
首を振り、わずかに後ずさった。
そうすると、爪先が恐るべき面へとわずかに触れる。
「坊ちゃんは、ご存じないでしょうが……。 あなたの母上は、本妻であるミーリンの母に、いじめ殺されたのです。
私はそれを、黙って見ていることしかできなかった……。
これは、その罪滅ぼし……。
あんな女の娘が、辺境伯家の地位を引き継ぐ可能性など、万に一つも残してはなりません!」
「親のしたことは、親のしたこと。
あの子は、オレの大事な妹だ。
少しばかり、お転婆が過ぎるとは思うがな……。
もう一つの質問にも答えろ。
その面で、一体、何をするつもりだ?」
ナージルの手が、それとなく腰へ差した曲刀の柄頭に触れ……。
もはや、他の道がなくなったことを悟った。
だから、素早く振り向いて面を手に取り、こう叫んだのである。
「――こうするのです!」
「――馬鹿! やめろ!」
制止されたところで、もう遅い。
ソチリナは、手にした宝物を……。
龍の爪を、己の顔に押し当てた。
――ずぶり。
そうすると、面の支柱となっている爪が、自分の意思を持つかのように、ソチリナの頭頂部や側頭部へと突き立ってきたのである。
「ぎゃあああああっ……!?」
喉の奥から、自分のものとも思えぬ叫び声が放たれた。
「グウオォォォォ……ッ!」
しかし、それは徐々に……人間の声帯では出せぬ吠え声へと変じていったのである。
同時に、全身の筋肉が! 骨格が! 皮膚が! 脳が!
恐るべき早さで、何か異なるものへと生まれ変わっていく!
「ソチリナ!」
「ルウオォ……ッ!」
わずかに残った理性で、控え室から飛び出す。
ナージルと若き兵士は、そんな自分を止めようとしたが、老女のものとは思えぬ力で壁まで突き飛ばされた。
「オォ……ッ!」
後には目もくれず、残された理性で、武舞台を目指す。
かくなる上は、この手でミーリンを……!
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