交易都市カルゴ

 辺境伯領に入っても、旅は終わらない。

 バサタ姫が向かわなければならぬのは、オーカー辺境伯が治める交易都市カルゴであり、そこまでは、領境からさらに三日ほども必要とするからだ。


 これまでの旅路では、食卓を彩る料理などから、王都との違いを感じてきたピエールであるが……。

 辺境伯領に入って、領内の村や町などに宿泊してみると、家々の建築様式なども異なっていることへ気づく。

 そして、旅の終着点――交易都市カルゴに入っての第一声が、これであった。


「ここはもう……異国としか思えない」


 ピエールがそう思ってしまったのは、無理もない。

 何しろ、この都市はまず……建物の立つ地面が違う。

 王城の中庭に敷かれた川砂とは、また性質の異なるきめ細やかな砂が、通常の土に代わって足元を覆っているのだ。


 また、王都と同等はあろう規模の都市でありながら、城壁というものは一切存在せず、ばかりか、通行料を取るための関所も見当たらない。


「そうすることで、商売をより活発にしているのさ。

 迂闊に真似をすれば税収が減るだけの施策だけど、オーカー辺境伯は上手くやっているよ」


「そういうものか……。

 建物も、ずいぶんと異なるな」


 すっかりお馴染みとなりつつあるキースの解説にうなずきながら、交易都市の建物を眺める。

 目に入る建築物は、まず、用いている建材からして異なっていた。

 砂と同じ色をしたレンガが無数に積み重ねられ、曲線的な建物群を形成しているのである。

 その様は、遠目からだと、砂が固まって都市の形をしているようにも錯覚させられた。


「君も、ここへ来るまでの間に、気候の変化を感じてきただろう?

 ここいらは、先に続く砂漠地帯の影響もあって、昼は暑く、夜は寒い。

 レンガ建築だと、昼間は涼しく、夜は暖かく過ごすことができるのさ」


「確かに、ずいぶんと暑いとは思っていた。

 人々の格好が開放的なのも、この暑さに対処するためか」


 ピエールが目を向けた交易都市の住人たち……。

 彼らの格好は、王都周辺地域では決して目にできないようなものである。


 男の場合は素肌の上に、女の場合は袖がないシャツの上から、薄手のベストを着用しており……。

 腰から下には、ゆったりとしたズボンを履いていた。

 足元を守るのはサンダルで、分厚いブーツを履いているピエールからすれば、何とも心もとない格好に思える。

 だが、人間というのは汗をかく生き物であるから、こうして足の風通しを良くしておけば、馬車の御者を悩ませている水虫も防げるのだろう。


 とはいえ、そういった格好をしているのは、一般の人々……。

 ピエールがより注目したのは、身のこなしから戦闘者と思われる旅人たちであった。

 思われる……という表現には、理由がある。

 黒髪に黒目が特徴的な彼らは、武器らしい武器を持っていないのだ。


「あの旅人たちは、一体何だ?

 身のこなしから、武芸者だと思うが……。

 武器を、持っていない」


「ああ、彼らは武闘家だね」


 棒と布だけで構成された露店に囲まれる目抜き通りを、自分と同様に騎乗しながら進むキースが軽く答えた。


「東方の国における戦士階級で……まあ、僕たち騎士の異国版かな。

 驚くべきことに、その拳や蹴りだけで、恐るべき魔物とも対等に渡り合うらしい」


「武器を使わずにか? 驚きだな……」


 キースの説明を受けて、あらためて武闘家なる者たちを見やる。

 露店で買い物をしたり、あるいは単に目抜き通りを歩いている彼らの格好も、これまでの旅路では見られなかったものだ。


 これは……異国の文字か紋章なのだろうか?

 共通しているのは、『龍』という絵図が胸に描かれた服を着用していることであった。

 その他はまちまちだが、いずれも薄手かつ、頑丈そうな衣服をまとっており、蹴りの威力を高めるためか、なかなか頑丈そうなブーツを履いている。

 肌を露出させている者の筋肉は、惚れ惚れするほどに隆起しており、なるほど、この者たちが放つ打撃の数々は、刀剣に劣らぬ凶器であると思えた。


「それにしても、異国の武芸者たちが、どうしてこうも数多く集まっているのだ?

 別段、兵力として雇用しているわけでもないのだろう?」


「そこなんだよなあ……」


 答えながらキースがちらりと見たのは、辺境伯領の騎士と思われる男である。

 街中の巡回でもしているらしい彼は、土地柄に合わせて少々軽装気味なものの、金属製の鎧に剣や槍といった装備は王都の騎士とさほど変わらない。

 こういった辺境伯領の騎士たちは道中でも何度か見かけており、オーカー辺境伯が兵力に不安を抱いているわけではないと判断できた。


「この街には、国内でも珍しい闘技場が存在するという……。

 もしかしたら、それが関係しているのかな?」


「ふうむ……。

 まあ、あまり別のことに頭を悩ませても仕方がないか」


「そうだね。

 僕たちは、殿下の護衛に集中しよう。

 僕たちの失態は、そのままバサタ殿下の失態となってしまうからね。

 何しろ……」


 そこで、キースが目抜き通りの到達点……。

 円形の巨大建築物に隣接した、辺境伯家の居城を見上げる。


「殿下は、オーカー辺境伯家の代替わりを祝いにここへ来られたのだから……」




--




「バサタ姫殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう。

 よくぞ、遠路はるばる我が居城までおいでくださいました」


 謁見の間にて、そう言いながら一同を迎えた人物……。

 新たなオーカー辺境伯であるナージルは、二十代半ばの若者であった。

 街の人々が着用していたのと同等の格好に加え、立派な装飾が施された丈長の上着を羽織っており、それが、彼の身分を保証していると思える。


 肌は小麦色に焼けていて、金色の髪は男子でありながら、腰の辺りまで伸ばされていた。

 顔立ちも甘く、それだけなら軟弱な印象も与えられそうなものであるが……。

 身のこなしには隙がなく、腰に刺した曲刀は単なる飾りではないと直感させる。

 総じて、これだけの都市を任されるにふさわしい資質の感じられる青年なのだ。


「本来ならば、オレの方から王都を訪ねるのが筋……。

 そこを、姫殿下自らにご足労頂けたこと、感謝の念が絶えません」


 そう言いながら、バサタを迎える彼は――座っていた。

 それも、一人でではない。

 幾人もの、女をはべらせながらである。


 彼が座っているのは、天井からのヴェールに覆われた幅広の椅子であり……。

 その中央で、刺激的な……水着のごとき格好をした美女たちに、肩を揉まれたり、しなだれられたりとしながら、バサタに語りかけているのであった。


 ……あまりに。

 あまりに、不敬ではないか?


 そのようなことを考えるピエールであったが、この場でそんなことを気にしているのは自分だけであるらしく、キースはおろか、当のバサタ姫自身も問題にしていない。

 ならば、余計な真似はせず、控えているのが最上だろう。

 何しろ、自分は常識というものが欠けているのだから。


「あなたはお父上からの引き継ぎがありますし、国境地帯である辺境伯領を守るのは重大な使命です。

 どうか、気にしないで下さい。

 それに、わたしも久しぶりに――」


「――あー! バサタ! もう到着していたのね!」


 バサタとナージルの会話へ割って入った声は、ピエールたちの背後……入り口の方から響いた。

 振り返ると、そこには一人の……武闘家らしき格好をした少女が立っていたのである。

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