宿場にて

 貴人たちが移動するにあたっては、馬車というものが必要不可欠であるが、これを用いての旅路には、一つの問題が付きまとう。

 すなわち、宿泊場所をどうするかであった。

 馬車そのものも場所を取るし、牽引する馬たちの面倒を見るためにも、それなりの設備というものがいる。


 この問題を解決するために、時の王が採った政策は単純明快なものであった。

 国内の街道沿いへ、一定箇所ごとに馬車での宿泊が可能な宿を作ったのだ。

 それらは、普段は商いをしていない場合もあるが、貴人たちの先触れが到着するや否や、周辺の労働力を集めて宿泊体制を整える。

 そうして、いざ貴人が訪れた際には、全力でもてなすのであった。


 当然ながら、利用する側である貴人も少なくない額を対価として用意するため、これは、街道沿いの村や町にとっては、重要な収入源であるのだ。

 だから、最初に訪れた宿場でも、バサタ姫御一行は手厚い歓迎で迎えられたのである。


「道中で遭遇した魔物は、結局、あのスライムのみ……。

 順調にいって何よりだ」


 かねてより定めていた宿ヘと到着し、姫君を一室へ預けても、近衛騎士の任は終わらない。

 むしろ、ここまでで、仕事の半分であるといえるだろう。

 では、残る半分は何かといえば、これは馬の世話であった。


 馬というものは、非常に繊細な生き物であり、毎日、長時間のブラッシングをしてやることが必要不可欠である。

 また、そのようにして手厚い世話をすることにより、騎乗者との関係性が構築されるのだ。


 従って、ピエールとキースは姫君を送り届けるなり、こうして馬房へと直行し……。

 すでに馬の世話を始めていた御者と共に、自身の馬を世話し始めたのであった。


「順調でなければ困るさ」


 隣の馬房でブラッシングをしていたキースが、そんな言葉を返す。


「君は、護衛力に不安があると言っていたけどさ。

 王家の紋章を掲げるような派手な真似はせず、街道をそのまま行くんだ。

 それで、凶悪な魔物や賊と出くわすようじゃ、我が国は商人の行き来もかなわないよ」


「そういうものか……」


 ――ピエール、注意しなさい。


 ――教えられる限りのことは教えましたが、それでも、あなたの常識には欠落が多い。


 ――何をするにしても、努めて注意深くすることです。


 ラーテルの言葉が、思い出される。

 彼には、呪文を始め様々なことを教わったが……。

 所詮、学びで得られることなどたかが知れていると言っていた。

 時に失敗などもしながら、その肌で覚えていくことが重要なのだとも。

 それに従い、注意深く行動しよう。


「そういえば、君はラーテル様の縁者らしいけど……。

 そんなことも知らないってことは、どこか別の国からやってきたのかい?」


「いや……」


 こういった応答に関しては、ラーテルと事前に練り合わせてある。

 出した結論として、ただでさえ嘘で固めている身なのだから、可能な限り、真実で誤魔化すこととしていた。


「私は、王都の出身だ。

 だから、外の世界を知らない」


「そっか。

 君くらいの使い手が埋もれていたのは、不思議だけど……。

 いや、王都は広いんだから、それも当然か」


 自分の簡潔な答えを、キースは都合よく解釈する。

 これも、ラーテルから事前に教えられていた通りの反応……。

 人間というものは、よほどに突飛なことを言わない限り、自分の頭でいいように解釈してしまうものなのだ。


「実家は、どんなことをしてるんだい?」


「両親は早くに亡くし、ラーテルさんの援助で暮らしていた」


「へえ。

 じゃあ、呪文もラーテル様に?」


「そんなところだ」


「じゃあ、剣の修行はどこで?」


「独学だ」


 どうやら、キースという若者は、なかなかの話好きであるらしく……。

 ブラッシングをしながらも、次々と他愛ない質問をぶつけてきた。

 ピエールはそれに、馬へのブラッシングと同等の注意深さで答え続けたのである。




--




 食事は、上手く食べれたと思う。

 ピエールの顔は、面によって覆われているわけだが……。

 これを、ほんの少しだけ浮かせて、その隙間から料理を食べるのだ。


「食事の時くらい、面を外してもいいと思うんだけどなあ。

 僕は、その下がどんなだったとしても、気にしないよ?」


「許してほしい。

 私が、気にするのだ」


 余談だが、バサタ姫たちはあてがわれた部屋で、別の……おそらくは、より上質な食事を取っている。

 部屋に送り届けてさえしまえば、後はもう侍女たちの仕事……。

 男である騎士にできることなど、馬の世話を除けば、食って寝ることしかないのであった。


「それじゃあ、寝るけど……。

 本当にそのまま寝るのかい?」


「問題はない。慣れている」


 隣の寝台で寝そべるキースへ、手短に答える。

 彼が苦笑いするのは当然で、動きやすい格好へ着替えたあちらと異なり、ピエールは鎧姿のままであった。


 ――体を清めるのも、別の場所でしたい。


 ピエールはそう言って、湯桶で体を拭くのもこっそり隠れて行ったのである。

 もっとも、自分にそんなものは必要ないため、ただ、鎧の下地を洗濯して、別のものに着替えただけであるが……。


「とことん、正体を隠すんだなあ」


「重ねて済まない。

 こればかりは、な」


「まあ、嫌がるのを暴こうとしたりはしないさ。

 それじゃあ、お休み」


 キースという若者の気風に感謝しながら、眠りにつく。

 それから、しばしの時を眠り……。

 ふと、目が覚めたのは、床板のきしみを敏感に察知したからであった。


「む……」


 部屋の中は、ランタンによって薄暗く照らされている。

 こうしておかないと、夜間、小用に出る時など、どうにもならなくなるからだ。


 隣を見れば、キースが安らかな寝息を立てており……。

 彼を起こしてしまわないよう、注意して備え付けの油皿に火を移す。

 金属製の鎧を着ながら音を消すのは、常人ならば難しいだろう。

 それを可能とするのは、己の体が持つ特性であった。

 かくして、相棒の目は覚まさないまま、部屋を抜け出すことに成功する。


 部屋のみならず、宿からも抜け出した後、どこへ向かえばいいかはすぐに分かった。

 自分と同様に油皿を使った明かりが、宿場の中を歩いていたからである。

 その明かりが止まったのは、宿から程近い場所に立っている老木の下であった。


 あえて、密かに近づく必要もなし。

 油皿の明かりを頼りに、堂々と近づく。


「……あなたも起きていたの?」


 老木の下で、夜風に銀色の髪をなびかせていた人物……。

 それは、自分が守るべき姫君――バサタであった。

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