魔物の出現

 ライナット王都周辺の地域は、中央部に王都を囲うような三日月状の山岳地帯が存在し、さらには、南部と西部に実り豊かな森林地帯が存在する。

 本日、バサタ姫は東部に存在する辺境伯領へと向かうわけであるが……。

 そのためには、森林地帯へ至るまでの平原に築かれた街道から、ぐるりと北部へ抜けて山岳地帯を迂回する必要があり、これは、結構な長旅であるといえた。


 当然ながら、姫君の旅路には、周囲の世話をする侍女たちも数人が同行するわけであり……。

 彼女らの乗った馬車を護衛するのは、若き近衛騎士たちに課せられた重要な任務であるといえる。


「まさか、騎士に任命されると同時に、こんな大役を任されることになるなんてな……」


 ピエールと同様に騎乗し、一行の先導役を務めるキースが、独り言のようにそう漏らした。


「済まない。

 私の希望へ、君が巻き込まれた形だ」


 今日より与えられた馬を操りながら、同期の騎士にそう返す。

 剣技と呪文の鍛錬には余念のないピエールであるが、諸事情から馬術の腕にはあまり自信がない。

 しかしながら、騎士団長スタンレーが手配してくれた馬は経験深い老馬であり、己のつたない手綱捌きにもよく応えてくれた。


 ――未熟な若者の相棒とするならば、思慮の深い馬を。


 そのような心遣いが感じられる差配であり、つくづく、大した人物だと思わされる。

 そんな騎士の息子だという若き騎士は、自分の言葉に苦笑を浮かべた。


「いや、別に君のせいじゃないさ。

 むしろ、君には感謝しているよ。

 君が推薦してくれたおかげで、本来なら失格でもおかしくなかった僕が、晴れて騎士となることができた。

 そればかりか、姫殿下の近衛騎士という栄誉ある任務まで頂いている。

 ただ、少し……緊張すると思ってさ」


「そう……だな」


 キースが抱いたという緊張は、そのまま、ピエール自身にも当てはまることだ。


「経験が浅い我々では、護衛力に不安が残る。

 普通、王族の移動というものは、もっと多くの兵士を引き連れて行うものだと思っていたが……。

 このような少人数で、大丈夫なのだろうか?

 ……ん?」


 ピエールが喋るのを止めたのは、キースが意外そうな顔でこちらを見ていたからである。

 端整な――自分からすれば、羨ましくて仕方のない顔立ちをした騎士は、幼い頃より鍛錬してきたのだと思える見事な手綱捌きで馬を寄せてきた。


「驚きだな。

 君から、そんな言葉が出てくるだなんて。

 てっきり、どんな敵が出てきても、自分さえいれば大丈夫って言うと思ったよ」


「もちろん、最善は尽くす。

 そのための努力はしてきたつもりだ。

 だが、私は自分という存在が、どれだけ矮小で弱いかをよく知っている」


 ピエールの目が見つめるのは、遥か遠き日のことである。

 あの時……。

 自分にもっと力があったならば、今、見ている景色は、きっと違ったものであったに違いない。


「謙遜するなあ。

 君は今年の騎士登用試験優勝者で、しかも、僕の父を倒している。

 言ってしまえば、この国で一、二を争う騎士であるわけだ。

 そんな人間に、そこまで卑下されてしまっては、敗れた僕なんかは立つ瀬がないさ」


 ――そんな


 その言葉に思うところがありつつも、慣れぬ馬上でうなずいた。


「そうだな……。

 少し、卑屈になり過ぎていたかもしれない。

 ただ、君のお父上に勝てたのは、呪文の不意打ちに加え、あの方が私の力を引き出そうとしていたからだ。

 尋常な勝負では、まだまだ及ばないだろう」


「ふっ……」


 自分の言葉に、キースがそっとほほ笑む。


「何か、変なことを言ってしまっただろうか?」


 その笑みが意味するところを測りかねたので尋ねると、共に騎士となった若者は、好意的に答える。


「いや……。

 まだまだ及ばないってことは、いつか真っ向勝負で勝つつもりなんだと思ってさ。

 謙遜していても、しっかり向上心は持っているじゃないか?」


「当然だ。

 私は、あらゆる苦痛や困難からバサタ殿下を守り抜くと誓っている。

 そのためには、どれだけ強くなっても足りない」


「随分と、殿下に思い入れてるんだな?

 何か、そうするだけの理由でもあるのかい?」


「それは……」


 答えようとして、どうしたものか悩む。

 キースの質問は、自分という存在の根幹について触れているものだからだ。


「ううむ……」


 思い悩むピエールであったが……。

 それを救ったのは、突如として茂みから出現したスライムであった。




--




「男二人でくつわを並べ、随分と楽しそうだこと。

 一体、どんなことを話しているのかしら?」


 ふと、馬車の窓から顔を出し……。

 前方で自分たちを引率する若き騎士たちの姿を見たバサタは、そのような独り言をつぶやく。

 その言葉へ、敏感に反応するのが、同席する侍女たちである。


「やっぱり、バサタ殿下も若い殿方が気になられますか?」


「無理もありません。

 キース様は、王城で働く者たちの間でも評判ですもの!」


「これまでは、お父上の用事とかでたまに城を訪れるだけでしたが……。

 今日からは、殿下の近衛騎士として近くで働いてくれますものね!」


「それとも、もう一人のお方……ピエール様がお気になりまして?

 あちらも、面の下に隠した顔はどんなだろうかと、噂になっております」


「私、少し話しましたけど、格好はともかく、言葉遣いや態度はとても丁寧で誠実な方でしたわ!」


 きゃいきゃいと……。

 自分と年頃の近い侍女たちが、黄色い声を上げ続けた。

 二頭立ての大型馬車を使用しているわけだが、広々としているはずの空間も、狭苦しく感じられてしまう。


 とはいえ、これを咎める気はないバサタだ。

 この侍女たちは、家族も同然の存在だからである。


「そうね……」


 だから、車窓で頬杖をつきつつ、ふと思ったことを口にしたのであった。


「ピエールという、その名前だけは気になるわね」


「ピエール様の、名前……ですか?」


「とてもありふれた名前だと思いますけど……」


 自分の言葉に、侍女たちが疑問符を浮かべる。

 それは、当然だろう。

 このことは、世界で自分しか……そう、きっと、もう自分しか知らない思い出なのだから。


 ――ピエール。


 幼き日の自分は、その名と願いを……。


「――失礼。

 一度、停車させます」


 バサタの思考を断ち切ったのは、御者の言葉であった。


「どうしたの?」


「魔物です。

 といっても、野生のスライムが一匹、飛び出してきただけのようですが……」


 ――スライム。


 その言葉で、反射的に車窓から身を乗り出す。

 そうすると、今まさに、茂みから飛び出した魔物へ対処しようとする若き騎士たちの姿が目に入る。

 特に、キースの方は早くも剣を引き抜きつつあり……。


「駄目! 殺さないで!」


 そんな若者たちの背中へ、バサタは半ば反射的に叫んだのであった。

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