騎士ピエール

 ――呪文。


 それは、自身に備わった魔力を用い、様々な自然ならざる現象を発現させる術法である。

 此度、ピエールが発動させたそれは、敵中で小規模な爆発を引き起こすという代物であった。


 ――バン!


 ――バン! バン! バン!


 騎士団長スタンレーの周囲で、頭蓋ほどはあろう大きさの爆発が、複数巻き起こる!


「――うおおっ!?」


 魔法の心得がなくとも、鍛え抜いた戦士には、呪文への抵抗力が宿るものであり……。

 ましてや、騎士団を預かる身として、鋼の鎧を身にまとっているスタンレーだ。

 爆発そのものによる手傷は、さほどのものではない。

 だが、呪文によるこの一手は、彼の猛烈な剣撃を食い止め、動きを止めるのに十分な代物である。

 ピエールからすれば、最後にして絶好の――勝機。


「――つあっ!」


 ピエールが、再び、身を屈めてからの突進を行う。

 人間のものとは思えぬ柔軟な関節が、地を這う獣じみた踏み込みを可能とした。

 下からかい潜るようにして放たれたのは――首への刺突。

 奇しくも、最初の試合で、スタンレーの息子たるキースに向けて放ったのと似た一撃だ。


「む……う……」


 これに、スタンレーは――反応しきれない。

 彼が、盾や剣を操るよりも早く……。

 ピエールが突き出した剣の切っ先は、騎士団長の喉元へ到達する。


「な……あ……」


 審判役を務めた正騎士が、目の前に存在する光景へ絶句した。

 騎士団長スタンレーといえば、ライナット王国の誇りそのものである。

 それが、今日、騎士団の門を叩いたばかりな若者に剣を突きつけられ、身動きが取れなくなっていた。


 こうなってしまえば、審判のすべきことは明らかだ。

 だが、眼前の状況を認められない頭が、それを拒んでいたのである。


「んっふっふ……」


 喉元に剣を突きつけられたまま、スタンレーが笑う。


「がーっはっはっは!

 俺の負けだ!」


 そして、審判役の部下に代わって、己の敗北を宣言したのだ。


「まさか、呪文を使えるとはな!

 恐れ入ったぞ!」


 称賛する騎士団長を前に、新たな騎士となる男が剣を鞘に収めた。

 そして、空いた右手をスタンレーにかざしたのである。


『――癒しを』


 やはり、通常と異なる声質で紡がれたのは――呪文。

 今度、発動させたそれは、回復の呪文であり……。


「おお! 回復呪文まで扱えるか!

 先の呪文で負った火傷が、見る見る消えていくぞ!」


 全身の傷が癒される爽快感に、スタンレーが笑みを浮かべた。


「……今の戦いは、私の負けです」


 スタンレーの治療を終えたピエールが、ぼそりとつぶやく。


「呪文を持ち込み、不意を打った。

 これでは、正々堂々たる勝負とはいえません」


「何を馬鹿なことを!」


 殊勝たる若者の言葉に、スタンレーが力強く返す。


「よいか! 俺は、持てる力の全てを発揮せよと、そう言ったのだ!

 その中には、呪文も含まれている!

 貴様が、剣技だけではなく、呪文まで扱えるということ……。

 入団前に知ることができて、俺は嬉しいぞ!」


 あまりに、豪放磊落。

 呪文の不意打ちにより、多少なりといえど手傷を負わされているとは思えぬ発言であり……。

 それが、スタンレー・ロイエンスという男の懐深さを感じさせる。


「それに」


 と、それまで豪快な笑みを浮かべていたスタンレーが、ふと真顔になった。


「戦いにおいては、卑怯も何もない。

 もし、これが実戦だったならば、俺は貴様の剣によって喉を突かれ、息絶えていたのだ。

 ――誇れ!

 この勝負、間違いなく貴様の勝ちよ!」


「……はっ!」


 騎士団長の言葉に、顔の見えぬ若き騎士が小さく頭を下げる。


「さて、そうなると……。

 貴様の望み、叶えてやらねばならんな!」


「――では!?」


 ピエールが、下げていた頭を素早く上げた。

 まるで、餌をちらつかされた小動物のような態度であったが……。

 それだけ、彼にとっては大望だったということだろう。


「うむ!

 たった今、正式に决めた!

 騎士ピエールよ! 貴様を、姫殿下の近衛騎士に任ずる!」


「――ははっ!」


 素早くひざまずいたピエールが、深々と頭を下げる。


 ――パチ。


 最初に拍手をしたのは、スタンレーの息子であるキースだ。

 彼の顔はさわやかなものであり、心からこの新たな近衛騎士を祝福しているのが知れた。


 ――パチ、パチ、パチ。


 他の受験者や、正騎士たちもそれに続き……。

 やがて、ライナット王城の中庭には、素晴らしき若者を称える万雷の拍手が鳴り響いたのである。


「ところで、ピエールよ?

 貴様、その面を取る気はないのか?」


 拍手が鳴り止むと、不意にスタンレーがそんなことを尋ねた。


「……お許しを。

 この見苦しき顔、神聖なる王城でさらけ出せるものではありませぬ」


 ピエールの言い分は、わがままといえば、あまりにわがままであったが……。


「ふうむ……。

 まあ、良い!

 それもまた、個性よ!」


 豪快な騎士団長は、笑ってこれを認めたのである。




--




 ……翌日。

 ピエールやキースなど、今年の騎士登用試験に合格した者たちは、玉座の間へと集められていた。

 何のためかは、語るまでもあるまい。

 早速にも、騎士としての叙勲を執り行うためである。


「では、これより……騎士叙勲の儀式を行う」


 一同がひざまずく床よりも、一段高い場所から玉座に座った国王ライナット十三世が、厳かに宣言した。

 普段は、王宮魔術師筆頭のラーテルを始め、様々な高官が詰めるこの空間であるが、今ばかりは、騎士団関係者と聖職者たちによって占められている。

 これは、騎士叙勲というものが、余人の立ち会うことを許さぬ神聖な儀式であることを意味していた。


「まずは、今年の最優秀者から行っていこうか……。

 キースよ、前へ!」


 国王の言葉に、しん……とした静寂が空間を満たす。

 呼ばれた当のキースはといえば、ひざまずいた姿勢のまま、密かに苦笑を浮かべるばかりだ。

 国王たるライナット十三世であるから、当然ながら、騎士団の内部事情や実力者たちについてもよく知っている。

 そんな彼にとって、騎士団長スタンレーの息子であるキースが優勝することは、半ば既定事項であったのだろう。


「あー……陛下」


 騎士団長として、叙勲者たちを見守るように壁際へ立っていたスタンレーが口を開く。


「恐れながら、文官に伝えさせました通り……。

 今年の優勝者は、ピエールという若者にございます」


「なんと!?

 キースめが、敗れたというのか!?」


 その言葉に、国王がくわと目を見開いた。


「そのキースを、第一試合で下したのが、今、名を挙げたピエールなのです」


「むうう……そうであったか。

 いや、済まぬな。

 どうせキースが優勝したのだろうと思って、報告書を読んでおらなんだ」


 意外にもいい加減かつ、親しみやすいところを見せる国王に、叙勲者たちの肩から力が抜ける。


「ならば、今一度、この場でご報告致しましょう」


 試験結果ばかりか、その後の展開についても知らぬだろう主君に対し、スタンレーが続けた。


「その者……ピエールは、試験の勝ち抜き戦を制したばかりか、私との模擬試合にも、見事勝利したのです」


「な、なんじゃと!?

 スタンレー! お主まで負けたというのか!?」


 国王の目が、驚きにますます見開かれる。

 長い黒髪と黒髭が特徴的なこの人物は、普段ならば、四十という年に相応の威厳を漂わせるのだが……。

 どうも、驚きの連続で、メッキが剥がれてしまっているようだ。


「いかにも。

 そして、私はこれを不覚とは思いません。

 それだけ、ピエールの実力は優れているのです。

 よって、本人の希望通り、彼を姫殿下の近衛騎士に任じようと思います」


 その言葉へ……。

 この場の誰よりも、敏感に反応する者がいた。

 玉座の隣という、注目を集める場所にいながら、一言も発さず、置き物のようにしていた人物……。


「嫌よ。必要ないわ」


 すなわち、ライナット王国の王女――バサタである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る