第106話究極の二択
よく人を傷つけるよりも、人から傷つけられるほうがまし、と言ったことが、話題になることがある。
ふと考えるのだが、どちらのほうが楽なのだろう?
人を傷つけることは、後々まで罪悪感を引きずる。自分ではその時は当然のことをしたまでと思っても、心はごまかせず、嫌な気持ちが残る。いくら言い訳をしても、相手を傷つけた事実は残り、それは、重荷となって、自分にのし掛かる。
逆に人から傷つけられた場合はどうだろうか?その場合、相手の不条理な言動に、怒りや悲しみが沸き起こる。つらいのだが、相手が悪いのだという逃げ道が残る。
この場合は全てを相手のせいにできるという強みはあるな。でも、思い悩む人は、傷つけられたのは自分の責任だと思うかもしれない。そう思ったら地獄だ。相手から傷つけられ、さらに自分をも自分で追い詰める。救いがないな。
人を傷つけるか、それとも人から傷つけられるか、どちらがましなのか?
私は多少、強引に言ってしまえば、傷つけられるほうが、若干楽かもしれない。自分は被害者だという被害者意識を持てるだけ、自己を正当化できる。多少ではあるが、気持ちはそれで楽になるかもしれない。
かといって、常に傷つけられるのを受け入れていたら、身が持たない。
最低限、加害者にはならないでおこうという良識をもつことで、良心は救われるのかな。
ああ、究極の二択を考えていたら、気が重くなってきた。
まぁ、たまにはおも~い思考実験も脳の刺激になっていいかもしれない。
平和ボケ予防として、たまにはこういう究極の選択を模索するのも、いいですぞ。
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