第57話死刑の意義
2019年に起きた京アニ放火殺人事件。36人もの人が亡くなった。もう新聞に詳しいことは書いてあるので、ここでは裁判の詳細は書かないが、青葉被告は昨日死刑宣告を受けた。ここではその「死刑の意義」について、書いてみたい。
殺人を犯した時に、犯人を死刑にすること。それは一般の人にとって、事件を忘れて日常に戻ることを意味する。
殺人事件とは悲しい犯罪だが、一般人にとっては区切りをつけて日常に戻ることが必要だ。もし、死刑がなかったら、犯人はその後も生き残り、妙に不快な感覚を一般人は保持したまま日常をおくることになる。
死刑が必要だと私が考えるのは、被害者のためというより、社会一般の人のためになると考えるからだ。
忘却することは無責任と同じことだと思われる人もいるかもしれない。しかし、一般人は社会的事件にずっと関わっていくことはできない。冷たい言い方になるが、日々の生活のほうが大切なのだ。
なので、殺人犯を死刑にすることによって、ひとつの区切りがついて、一般人の大半はほっとする。そう、そうすることによって、事件を忘れることができるからだ。
この事件の青葉被告が死刑と宣告されて、私はほっとした。それは事件を忘れることのできる自由を手に入れたからだ。
人は、忘れるから前に進める。今日もコツコツ、いろいろ忘れつつ、前を向いていこう。
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