第21話 雪子の悲恋

〈春斗〉


 雪子は間もなく見つかった。

 汗をかき、息を乱しながらも春斗は膝を抱えて座り込む雪子の姿を見て漸く生きた心地がした。

 それと同時に途方もない疲労感が一気に押し寄せて来る。


「雪子……」


 何も考えずに、春斗は雪子に近づく。


「は、ると…… くん?」


 擦れた声は痛々しく、雪子がずっと泣いていたことを示していた。

 その弱弱しい声は春斗の胸を強く抉る鋭い刃でもある。


 春斗は失敗してしまったのだ。

 全てがそう、丸く収まると思っていた。

 本来あるべき形へ世界は修復されたと思っていたのだ。

 悪い魔女は罪を暴かれ、間抜けな王子が真実の愛に目覚めて、美しい王女に恋い焦がれる。

 そして、王女の騎士はその役目を終えて無言で退場する。

 それでめでたしめでたし、ハッピーエンドのはずだった。

 もう春斗が雪子のために、雪子の幸せのためにしてやれるのは二度と魔女が悪さをしないようにずっとそれを見張ること。

 それしかないと、それでいいと思っていた。


「なんで……」


 だからこそ、こんな結末など知らない。

 春斗の口から漏れた疑問は雪子ではなく、現状全てに問いかけるものだった。




〈雪子〉


 雪子は赤く腫れた目を瞬かせながら、自嘲する。


「ご、ごめんね、はるとくん…… わ、わたしの、ためにっ、い、いろいろ、してっ、くれたの、に……っ」


 壊れた涙腺から溢れ続ける涙。

 腫れた瞼にそのしょっぱい液が沁みる。


「でも、でも…… だめ、だったのっ わ、わたひゃっ ふっ、わたしが、いくらがんばっても……! わたし、なんかのこえ…… あ、きくんに…… とどか、なくって……っ!」


 手の中で握りしめていた眼鏡のフレームが歪むのも気づかないほど雪子はやり場のない感情に翻弄されていた。

 繰り返し頭の中を駆け巡るのは秋と苑子の姿だ。

 初めて秋を好きになったときのこと、明るくて優しい人気者の秋を遠くから想うだけで幸せだった過去の日々、いけないことと知りながらも隠し撮りした秋の写真を苑子に見られたときのこと、そこから高校に入った後のこと、二人が付き合うと知ったときの衝撃と哀しみ、初めて見る男女の秘め事……


 そして、繰り返し蘇る秋の言葉。


 桜の花びらが舞うここで聞かされた秋の本音に雪子はどれだけ泣いただろうか。


 どれだけ傷つきショックを受けたか。


「あきくんを、たすけて、あげれなかった……!」


 自分の無力さを、秋を救えなかった自身を雪子は嘆き責めた。

 苑子がどれだけ人を傷つけることに躊躇いがないのかを雪子は誰よりも知っているのだから。


「わたしじゃ…… おねえちゃんに、かなわないから……」


 雪子よりもずっと男を知り尽くしている苑子が純真な秋の心を誑かし、陽の光が似合う彼の心を歪なものにしてしまったのだ。


「あきくんを、秋くんを助けたいのに……! でも、でもっ……!」


 苑子は雪子を苦しめようと、絶望させようと思い秋を誘惑したのだ。

 そんなちっぽけな理由で秋の全てが、肉体も心も全部穢された。

 許されていいはずがない。


「どうすることもできなくて、もうっ、どうしたらいいのか、どうすればいいのかっ、なんにも、わかんない…… わかんないよっ!」


 許されていいはずがないのに、無力な雪子にはどうすることもできないのだ。

 今の雪子は絶望していた。

 自暴自棄となっていた。

 苑子が、実の姉が憎い。

 その妹として生まれた自身の不幸を呪うほど。


 雨が降っていた。

 まるで雪子の心を映したような空模様だ。


 ぽつぽつと。


 少しずつ勢いが増していく雨に打たれ、雪子の興奮が引いて行く。

 熱が雨に流され、残されたのは途方もない無力感だ。


「私のせいだ…… 全部、私のせい…… 私さえ、いなかったら…… 私なんかが秋くんを…… 好きになんて、ならなかったら良かったんだ」


 それは紛れもない雪子の本心だ。

 だが、雪子が例え秋ではない男を好きになったとして、今度はその男が苑子の犠牲となるのだろう。

 かつて、春斗を盗られたときと同じだ。

 雪子の大事なものは、欲しいものは皆苑子が奪ってしまう。

 初めから分かっていたことなのに。


「……なんで、こんな辛い思いをしなくちゃいけないんだろう」


 雨に打たれながら、雪子の唇から虚ろな声が淡々と零れる。


「……生まれて、こなければよかった」


 そうすれば、こんな苦しい思いを味わうこともなかっただろう。

 愛する人を不幸にすることも、奪われる苦しさを味わうこともなかった。

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