第23話 苑子の失恋


〈苑子〉


 苑子は春斗のことが好きだった。

 何故好きなのか。

 どこが好きなのか。

 ぶっちゃけ顔が好みだったという一言に尽きる。

 具体的にいえば昔苑子のお気に入りだった絵本の中の王子様に春斗はそっくりだったのだ。

 その絵本はいつの間にか手元から消えてしまったが、苑子の記憶にはちゃんと残っている。

 初めて春斗を見たときは正直興奮して一晩中眠れなかったほどだ。

 なんとかして春斗とお近づきになりたい。

 男の子なんてものは訳も分からずちょっかいをかけてくるだけの面倒なものだと思っていた。

 ちょっと反撃すればすぐに泣くし、ちょっと優しくしてやれば鬱陶しいぐらいに纏わりついて来る。

 当時の苑子にとっては単純でつまらない生き物に思えたのだ。

 春斗という王子様に出会う前は。 


 苑子の初恋は絵本の中の王子様だった。


 初恋の王子様にそっくりな春斗を気に入らないはずがなかった。

 あんな綺麗な男の子ならば、ずっと後を追いかけて欲しい。

 だが、現実は無情である。

 なんとかきっかけを探ろうとこそこそしている間に春斗は大嫌いな妹に獲られてしまったのだ。


 苑子、一生の不覚である。

 公園でキラキラとしたオーラを振りまく春斗。

 その春斗に尽くされ甘やかされ、綺麗なスカートを靡かせている雪子。

 そのまま絵本の世界に入って行けそうな二人の姿に苑子は愕然とした。

 仲睦まじく遊ぶ二人が羨ましく妬ましい。

 幼すぎた当時の苑子は自身の煮えたぎった感情を上手く制御できず、その晩一睡もできなかった。


 誰が見てもお似合いの二人だ。

 それでも諦めきれなかった。

 春斗が欲しい。

 だって初恋の王子様とはもう夢の中でしか会えないのだ。

 それにそっくりな春斗まで奪われるなんてあまりにも横暴だ。

 雪子とは姉妹なだけあって気味が悪いほど趣味嗜好が似ていることを苑子はこのときからなんとなく自覚していた。

 そしてそれこそが自身の不運であることも。

 苑子が気に入ったものは雪子のものに。

 その逆はありえないのだ。

 何故かは分からないし、そういうものだと当時の幼い苑子はそれが自然の摂理だと思っていた。

 姉である自分はとにかく我慢をして、妹は甘やかされる。

 それが世の中の常識なのだと信じていた。

 年齢が上がるにつれ少しずつ疑問が生じて行ったが、当時の苑子はただそういうものだと諦めるほかなかったのだ。


 でも春斗だけは諦められなかった。


 玩具でもお洋服でもお人形でもお菓子でもない生きた人間だったからかもしれない。

 幼くとも女としてのプライドが揺れ動いたのかもしれない。

 とにかく当時の苑子は春斗が欲しくて仕方がなかった。

 具体的にどう欲しいのかなど分からない。

 単純に仲良くなりたいとも違った。

 とにかく独占したかったのだ。

 春斗の意識を、心を独り占めしたい。

 当時の春斗はムカつくぐらいに苑子に無関心で、そのくせ雪子は目に入れても痛くないほどでろでろに甘やかしている。

 そしてそんな二人をにこにこと見守る母親。

 癪に障るとは正にこの事だ。

 もう手段など選んでいられない。

 とにかく苑子の存在をまず春斗に意識させなければならなかった。

 できればその後苑子のことが頭から離れなくなるようにしないと。

 だが、春斗の「好き」は雪子が独占し、よく分からないけどとにかく怖い母が常にガードしている。

 どうしようと苑子は悩み、そして幼いながらに考え付いたのだ。


 もうこの際、嫌われてもいいんじゃないか、と。


 春斗とごく普通に仲良くなりたい願望もあった。

 だが当時の苑子は贅沢は言ってられないと強引な手段に出ることにした。

 雪子の存在に重きを置く春斗に自身を強烈に印象付けなければ、姉妹格差は広がっていく一方だと。


 チャンスは割とすぐにやって来た。 

 運よく家から追い出されて公園で時間を潰していたときにこそこそと鉄棒の練習をしている春斗を発見したのだ。

 なんでもできる春斗の意外な姿に驚きはしたが、苑子はぶっちゃけ春斗の内面などどうでも良かった。

 春斗の顔しか興味がないのだから。


「こんなのも出来ないなんて、噂の春斗君って本当は大したことないんだね」


 苑子の理想ともいえる春斗の綺麗な顔。

 普段はまったく変化しないその綺麗な顔が苑子を見上げている。

 驚き目を丸くする顔の間抜け具合、その後に耳まで真っ赤にして悔しそうに睨みつけて来たときはちょっと驚いた。

 薄っすらと目に涙を浮かべながら必死に悔しさを我慢している春斗はちっとも怖くなかった。

 プライドを傷つけられたと言わんばかりの春斗の表情。

 その目に漸く自分が映り込んだとき、苑子はとても幸せな気持ちに包まれた。

 だからかもしれない。

 苑子は必死に虚勢を張るときの春斗が一番好きだった。


 春斗が忌み嫌う情けないときの彼が、一番好きだった。




*




 苑子はちらっと隣りでにこにこと楽しそうに話している秋を見やる。

 苑子の鞄を当たり前のように持ち、きゃんきゃんとはしゃぐ様はとにかく無邪気だ。

 ついこの前まで中学生だったと思うと、より一層幼く見える。

 あくまで内面の話であり、秋の身体はもうとっくに成人のそれを上回っていたが。

 歩きスマホでだらだらと歩く苑子の周囲を見やり、信号の点滅から向かいから来る自転車や歩行者まで秋は身を盾にするようにして苑子を守ろうとする。

 たかだか小石が苑子の前に転がっていただけで慌てて蹴り飛ばす様には若干呆れるが。

 呆れるが、嫌ではない。

 一歩間違えれば鬱陶しいその行動も秋相手だとまぁ、許してやろうという気になる。

 今は特にぶりっ子する必要もないため苑子の浮かべる表情はとにかく淡泊だ。

 時折見せる笑い顔もどこか人を小馬鹿にするよう軽薄なものが多い。

 そんな苑子に秋はきゅんきゅんするというのだから、どこで需要と供給が成り立っているのか分からないものである。


 今の苑子は機嫌がいい。

 いちいち秋とどうなったあーなったと詮索してくる友人達は鬱陶しいが。

 それらを上回る程に今は気分がいい。

 飼い始めたばかりの犬を自慢する飼い主のような。

 そんな心境が最も近いかもしれない。


 何よりも校門を出る直前、面白いものが見れた。

 さんざん人の邪魔をした幼馴染のあの青褪めた顔。


 あれは本当に見物だった。


 と、機嫌良くスマホを弄る苑子の指にぽつっと滴が落ちる。


「あ、雨っすね」


 天気予報など見ない二人だ。


「傘、買って行きますか?」


 一気に曇ってくる空模様に秋は近くにあるコンビニを指差す。

 特に異論もない苑子は無言で頷き、自分よりもだいぶ長身の彼氏を見上げて揶揄った。


「ねぇ、秋くん」

「はい?」


 こてんと首を傾げる姿が妙に似合うに秋に対する苑子のちょっとしたお茶目だった。


「あとで相合傘してあげようか?」


 答えはもちろん決まっている。







「苑子先輩って髪、伸ばさないんですか?」


 コンビニで適当な雑誌を立ち読みしていると、じっと覗き込んでいた秋がキラキラと眩しい目を向けて来た。

 雑誌に載っているモデルとその煽り文句を苑子よりも真剣に見ていたからだろう。

 流行りの髪型、ショートとロング対決、イマドキ男子にモテるのはどっち?と頭の軽そうなポップな文字が飾られている。


「昔、ロングだった」

「え!? ま、まじっすか!?」

「まじまじ」

「もったいなあ! 苑子先輩のロング……めっちゃ見たかった…… なんで切っちゃったんですか?」

「失恋したから」

「え」


 ぴくっと、秋の身体が強張るのが分かり、苑子はパラパラと捲り終わった雑誌を棚に戻す。

 違う雑誌を取ろうとし、いつの間にか腰にがっちり秋の腕が回っているのに気づいた。

 鬱陶しいと思うよりも先に、分かりやすく動揺した秋の反応に苑子はにやにやと底意地の悪い笑みを浮かべた。


「ばーか。嘘だよ」




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ごめん、もう食べちゃった 埴輪 @tofulove2024

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