第16話
〈雪子〉
「ごめん」
ふいに、秋の手の力が弱まる。
あ、と思わず雪子の口から切なげな吐息が零れた。
無意識に零してしまった物欲しそうな甘い吐息に雪子の頬が赤くなる。
「……落ち着いた?」
「っ……」
「悪いけど、苑子先輩が傷つけられるのを黙って見てられないんだ、俺」
秋のその言葉に、雪子の胸がずきっと痛む。
(どうして……)
どうして、秋はまだ苑子を庇うのだろう。
まだ、苑子のことが好きなのだろうか。
酷い仕打ちをされて、騙されても、まだ好きなのだろうか。
(なんで、私じゃないの……?)
分かっている。
全部、意気地のない自分のせいだということを雪子は理解しいた。
雪子に勇気があり、恥も恐怖も押しのけて秋に想いを伝えていれば……
(私に、もっと勇気があったら、こんなことにならなかったのに)
全部雪子のせいだ。
(全部、私が悪いんだ…… 私が、皆を不幸にしてる……!)
雪子のレンズはもう涙でぐちゃぐちゃだ。
まともに秋の顔が見れない。
今、秋は一体どんな表情で自分を見ているのだろうか。
雪子を、軽蔑したのだろうか。
秋は雪子のせいで、苑子に弄ばれ、傷ついたのだ。
きっと、雪子を恨んでいる。
「……ごめんなさい」
雪子はもう立ってるのもやっとの状態だ。
息切れと眩暈。
慣れない感情に慣れない行動。
その全てが雪子の体力を奪い、苦しませていた。
咄嗟に秋が倒れそうになるその身体を抱きしめ、支えなければその場に崩れ落ちていただろう。
「ごめんなさい、秋くん」
擦れた息遣いで、嗚咽と共に雪子は吐き出した。
全部自分のせいだと雪子は自分を責めた。
雪子さえ、いなければ。
「……好きになって、ごめんなさい」
秋を好きになってさえいなければ、秋はきっと苑子によって傷つくことはなかった。
(あなたを好きになって、ごめんなさい)
※
〈秋〉
今にも消えてしまいそうなほど儚く、華奢な肩を震わせる雪子。
美しい黒髪に花びらが舞い落ちる。
それがより一層、雪子の美しさ、儚さを際立たせた。
雪子本人がいくら無自覚で、自身の容姿にコンプレックスを抱いたとしても、その評価が変わることはない。
それは雪の結晶のように一瞬で溶けてしまうような、清純なまでの美であり、姉の苑子には決して真似のできない類の生まれ持った色香だ。
その色香に当てられ、長い間ずっと心を惑わされた男もいる。
そして今、それに当てられているのは、秋だ。
(そっか。雪子さんは俺が好きなんだ)
今更ながら秋は雪子の告白ともいえない告白を聞いて、顔を赤くした。
純粋にとてもとても嬉しかったのだ。
雪子に好意を抱かれたことが。
(すっげぇ、嬉しいかも)
俯き、泣き震える雪子の頭を、そっと秋は撫でた。
無意識の行動だ。
同い年のはずなのに、雪子がずっと幼い少女のように思えた。
どうやら雪子には異性に庇護欲を抱かせる魅力があるらしい。
「謝らなくていいよ」
秋の声はとても温かく、そして爽やかだ。
それは雪子が中学のとき、ずっと心の支えにしていた男の子の声だった。
「俺は、嬉しいよ。雪子さんに、好かれて」
どこか照れたような、年相応の無邪気な声で秋は優しく雪子に囁く。
自分の気持ちを、雪子に好かれ、愛されたという名誉を、感謝を少しでも雪子に伝えたかった。
「ありがとう」
本当に、ありがとう。
涙が出そうなほど、今の秋は雪子に好かれたことが嬉しくて堪らなかった。
「俺を、好きになってくれて」
満面の笑みを浮かべ、秋は幸せそうに雪子に微笑んだ。
これほど、自分の幸運に感謝したことはない。
秋は本当に嬉しかったのだ。
雪子に好かれたという事実に誇らしさと運命を感じた。
(苑子先輩は…… 雪子さんを泣かせたくて、俺と付き合ったんだな)
秋は苑子のどこまでも軽薄で悪びれない告白を思い出す。
何故苑子がそこまで雪子を毛嫌いしているのかという疑問はあったが、今のところその理由まで知る必要はなかった。
苑子が本当は秋のことをどう思っているのか。
それさえ分かればいいのだから。
心のどこかで、ずっと疑問だった。
どうして苑子は自分と付き合ってくれたのか。
本当に自分のことが好きなのか。
そうすると必然的に、秋はあの日、初めて苑子の姿を見たときのことを思い出す。
秋が苑子に惚れた瞬間のことを。
(苑子先輩は、俺の事、好きじゃないんだな……)
視界の隅で舞い落ちる桜の花びらを見ながら、初めてここで苑子に告白したときのことを、そして恋に堕ちた瞬間のことを秋は思い出しながら、雪子の頭を優しく撫で続けた。
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