第14話


「秋くん……」


 珍しくも苑子は気まずげに顔を顰めた。

 基本的にどんな悪事も悪びれもなくやってしまう苑子にとっては非常に珍しい。

 一瞬、秋と目を合わせたが、すぐにそれを逸らしてしまう程度には動揺し、後ろめたく思っているのだ。

 やらかした自覚がある分、なけなしの良心が珍しくも疼く。

 そんな自分に苑子はほんのちょっぴり焦っていた。


「いつから、そこにいたの?」


 平静を装うのも馬鹿らしいと思いながらも、口から出る言葉は焦る内心と違い随分と冷たく聞こえた。

 苑子の平坦な問いに、その場の視線が集中し、更に空気が険しくなるのが分かる。


「もしかして…… 嵌められた?」


 今自分がどういう表情をしているのか分からないが、少なくとも煩いぐらいに睨みつけて来る幼馴染が更に視線を鋭くするくらいにはふてぶてしいらしい。


「意外だな。自分がどんだけ最低なことをしたのか、やったのか、自覚するぐらいの良心がお前にもあったのか?」

「ムッツリクソ野郎はちょっと黙ってくれる?」


 苑子の吐き捨てるよう暴言に春斗の額に青筋が浮かぶ。

 言い返そうとしたが、隣りで目を潤ませて、今のこの状況に恐怖し怯え、戸惑う雪子に気を遣い、仕方なく口を閉ざした。


 そんな春斗に苑子はいらっとした。


 全ての元凶は自分かもしれないが、結果的に部外者に嵌められたという事実に苑子は今最低な気分なのだ。

 春斗にキレた回数はもう覚えていないが、たぶん過去上位5位以内に入るぐらい今回の春斗の策略は苑子を怒らせた。


「……まさか春斗が他人の恋愛事情に首を突っ込みたがるオトメンだったなんて。覗きに、聞き耳? 趣味悪すぎてゲロ吐きそう」 

「全部お前の身から出た錆だろうが。悪趣味なのはお互い様だ」


 高校に入ってからはお互い無視することが多かっただけに、苑子と春斗が面と向かって罵り合うのは久しぶりだ。

 そして苑子は改めて春斗が苦手だと思った。


「悪趣味は否定しないけど、わざわざ雪子使って呼び出して嵌めようとしたのが女々しくてキモイ」


 苑子と春斗は、相性がとにかく悪い。


「男を弄んで悦に入っている尻軽にとやかく言われたくねぇよ」


 おまけに春斗は堅物で冗談や揶揄い、軽口の類が一切きかない。


(その尻軽に発情したのはどこのどいつだよ)


 雪子の存在も忘れ、今にも苑子を殺しそうな顔で青筋を立てる春斗に見下されながら、苑子はもう取り繕うことを止めにしようと思った。

 先延ばしにしていた秋との関係を不本意な形で破綻させられ、春斗と雪子という最悪なコンビの前でこれ以上の醜態を晒したくなかったのだ。


 さっさと逃げるが吉。

 もしくは流す。


「はいはい。尻軽でもビッチでも淫乱でもどうぞご自由に」


 半ば投げやりな気持ちでいつの間にかにじり寄って来た春斗の胸を押しのけ、不自然なほどの沈黙を保ったままの秋に視線と軽い笑みを向けた。


「で。秋くんはいつからそこにいたの?」


 秋の肩が微かに揺れる。


 苑子と秋の付き合いは非常に短い。

 だが、この短期間の中で秋が呆れるぐらいに馬鹿正直で素直な男だということを苑子は知った。


「……最初から、です」


 秋の声はかつてないほど弱弱しかった。

 苑子に俯く秋の表情を確認することはできない。

 もっと近くによって、その顔を確認したい好奇心もあったが、流石の苑子も自制した。


「そっか」


 一瞬、胸を過ぎった罪悪感と、名残惜しさ。

 それはすぐに儚く散ったが。


「全部聞いちゃったなら、もうしょーがないよね」


 へらっと自分でも間抜けな笑みだと自覚しながら苑子は笑う。


「ごめん! 秋くんのこと、利用しちゃった♡」


 ぱんっと両手を合わせて謝罪する。

 随分と身勝手で、傍から見ると今の謝罪のポーズも相当イラつくだろうなと思いながらも、苑子は秋が心底自分に惚れていることを逆手にとって可能な限り可愛らしく振る舞った。

 身長差を利用し、手を合わせながら首を傾げて秋の様子を伺う。

 ぴくっと、秋の肩が揺れ、その拳が握りしめられる。


「いけないことをしたって、分かってる。もう、本当に反省してる」

「……」

「……ほんとうに、ごめん」

「…………」


 相変わらず場の空気は最悪だ。


 頭を下げ、出来れば秋が逆上して暴れず、このまま苑子との付き合いはちょっとした火傷だと思って解放して欲しいと苑子は思った。

 なんとも身勝手である。

 この時点で今だ反応の薄い秋を見て、苑子はもう完全に諦め、気持ちを切り換えていた。

 ほんの僅かだが、確かに胸にあった秋を手放すことへの名残惜しさ、率直に言えばもったいないと思う感情を捨てたのだ。

 物凄く自分に忠実な彼氏という名の下僕を割と苑子は気に入っていたが、どう言い訳しても自分の先ほどの告白はあまりにもゲスすぎた。

 百年の恋も冷めるだろうと本人が一番分かっている。


「できれば、許して欲しいんだけど…… ダメ?」


 ならばとりあえず謝るしかない。

 秋にまだほんの少しでも自分に対する情があることを期待して。

 そんな苑子のふざけた態度に春斗は我慢できなかった。


「苑子、お前いい加減に……」


 苑子のふざけた謝罪を嫌悪も露に見ていた春斗だったが、顔を上げた秋を見て、訝し気に眉を顰めることとなる。


「苑子先輩」


 秋は怒っていなかった。


「謝んなくていいです」


 失望もしていなかった。

 代わりに苑子の耳に届いたのはひどく穏やかな声だ。


「俺、全然気にしてないんで」


 その声色の通り、秋はどこか少し困ったように、それでいてひどく穏やかに笑っていた。


(……あれ?)


 秋の返事を聞きながら、苑子はなんだか想像していたのと違う……と思いつつ恐る恐る秋の顔を見上げた。

 視界に映る秋の顔を見て、懐かしいとすら思えた。

 何年かぶりに再会したような気持ちだ。

 たぶん、きっともう二度とそのどこまでも明るく陽気な、大型犬のような笑顔を見ることはないんだろうなと思っていたせいだ。


「俺の方こそ、結果的に盗み聞きしちゃって…… すみませんでした」

「え、あ…… うん?」


 がばっと勢いよく腰から頭を下げて謝罪する秋に、苑子はなんと答えるべきか迷った。

 眉を下げ、謝罪する秋に含むところはまったくないようで、正直その反応はまったくの予想外だ。

 大なり小なり嘘がつけないであろう秋がこの場で激怒するか、嘆き恨みを零すか、もしくは絶望して人間不信に至るか。


「おい、間宮、お前本当に分かってんのか?」


 非常に不本意ながら、苑子と春斗はほぼ同じ様な未来を予測し、そして同時に外れたことに戸惑っていた。


「なんでそうなんだよ……」


 呻く春斗に苑子も思わず頷きそうになる。


「お前、正気かよ?」


 どこか焦るように春斗が秋に詰め寄ろうと、苑子の肩を掴みどかそうとする。

 だが、春斗の手が苑子に触れるよりも前に秋はその手首を掴み、威嚇するように睨みつけた。


「苑子先輩に気安く触んなよ」


 秋は完全に春斗を苑子に害成す者として認識していた。

 恋のライバルとかそんな可愛いものではない。

 春斗の端整な顔を睨みつけながら、秋はここに来る前までに同級生達から聞かされた春斗の噂話を思い出していた。


 派手で目立つ苑子と春斗。


 今まで苑子のみの情報を集めることに必死だった秋はその中で時折交る春斗の話を意識的にシャットアウトしていた。

 よく考えればこれだけ顔立ちが整った男が暇人凡人の多いこの高校で悪目立ちしないはずがなかった。

 ちょっとクラスの噂好きの女子に聞けば喜々としてその情報を提供してくれる。

 その中で苑子との親密な噂が多々あったが、実際に春斗の苑子に対する嫌悪を感じ取った秋からすれば的外れも甚だしく感じられ、つくづく噂など当てにならないと実感したものだ。


「お前、あんだけのこと言われてまだそいつに尻尾振るのかよ? とんだマゾ野郎だな。プライドも糞もねぇ」

「はぁ? あんたに文句言われる筋合いなんてねーよ。こんな、騙し討ちみたいなことして…… 俺はてっきり苑子先輩とあんたとでなんか話でもすると思ってここに来たのに…… 苑子先輩の妹使ってこそこそ盗み聞きするなんて聞いてねぇよ!」


 途中、思わず聞き入ってしまって結局最後まで全て盗み聞きしてしまったことを棚上げし、秋はここぞとばかりに春斗を批難する。

 普段頭がいいとか冷静沈着と謳われる春斗だが、どうやら秋の指摘は彼自身非常に不本意であり、悔し気に歯を食いしばった。


 実際、今のこの状況は春斗の望んでいたものではない。

 秋の反応もそうだが、元々春斗は雪子を巻き込むつもりは欠片もなかった。

 ただ、春斗は雪子が苦しむところを見たくなかった。

 どうすれば雪子が泣き止むのか、そればかりを考え、慰めたのだ。

 そして、健気にも苑子に嫉妬する自分を嘆き、秋と苑子二人の幸せを願おうとする姿に、春斗はキレた。


 春斗は苑子の悪辣さをよく知っている。


 気まぐれな苑子がわざと噂が立つように秋と絡み、雪子に見せつけていることを瞬時に悟った。

 衝動のまま、雪子にキスをし、その華奢な身体を抱きしめながら、春斗は決意したのだ。

 これ以上雪子が傷つかないよう、彼女が愛しているという男の目を覚まさせてやろうと。

 例え、苑子の手から解放された秋が雪子の気持ちを知り、二人が晴れて付き合ったとしても。

 それが雪子の、愛する少女の幸せならば喜んで身を引こうと。


 そう、春斗は決意したのだ。 


『私、お姉ちゃんに嫉妬する自分が恥ずかしい…… そんな、資格なんてないのに…… 秋くんの幸せを願えない自分が、大嫌いっ』


 違うと、違うのだと、春斗には上手く雪子を慰める方法が見つからなかった。


『雪子は悪くない、全部苑子が悪いんだ』


 春斗は不器用な男だ。


『俺が、それをあの男に証明してやるから』


 自分を責め立てる雪子を慰める方法が、そして雪子を笑顔にさせる方法がこれしか思い浮かばなかった。

 衝動的にキスをし、そしてそれを許されただけで春斗はもう満足だ。


 誰も知らないであろう春斗の雪子への献身。


 皮肉にも、それを一番理解しているのは苑子だったりする。

 春斗にとっては不本意でしかないが。

 そして事情も何も知らない秋に春斗の気持ちが分かるはずもない。


「いい加減、目を覚ませ」


 春斗と秋。

 互いに睨み合い、ピリピリとした空気を発する中、蚊の鳴くような必死の制止が上がった。


「やめて……!」

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