第2話
呼び出しから戻って来た苑子に群がる友人達。
何で呼ばれたのかと、口々に聞いてくる。
答えなど初めから分かっているのに苑子自身の口から彼女達は詳しい話を聞きたいらしい。
そんな好奇心の塊のような彼女達に苑子は何も隠すことなくあっさりと答えた。
「別に。告白されただけ」
特に自慢することも恥ずかしがることもなく答える苑子はいつもと変わらない。
いつもと同じように丈の短いスカートで遠慮なく脚組みをして、だるそうにスマホをいじっている。
机周りに集まる友人達に視線を向けることもない。
苑子の友人達、または苑子の取り巻きと呼ばれる彼女達はどこか偉そうなその態度にもうとっくに慣れていた。
教室には煩く騒ぐ苑子達を不愉快そうに見る女子グループもいるが、表立って文句や悪口を苑子に言うことできない。
苑子達は俗に言う学年カーストのトップだ。
「うっそ~ やるじゃん、その一年」
「てかムボウじゃない? そのちゃんに告るとか」
一年の頃からの付き合いのせいか、友人達は苑子のことをよく分かっている。
「あの1年君、めっちゃ顔いいけど、全然苑子のタイプじゃないじゃん」
苑子の目の前で口々に勇気と無謀をはき違えた一年を可哀想と同情するふりをして茶化す友人達。
性格の悪い苑子の取り巻きは当たり前のように性格が悪い。
自分の机の周りに当たり前のように集まって離れない彼女達のお喋りを聞きながら、よくもまぁ、他人の告白やら恋愛やら、付き合う付き合わないにそこまで盛り上がれるな、と苑子はスマホを見ながら他人事のよう思った。
「ねぇ、そのちゃん〜」
「何、あゆ」
「その後輩君の名前とか、聞いた?」
「秋くん」
「やばっ、アキくんって、名前可愛いんだけど」
今だスマホに集中している苑子は実に素っ気ない返事を返したが、1年の頃から苑子の態度に慣れていた彼女達は全く気にせずに、きゃ~と盛り上がる。
次々に苑子に質問をするが、残念ながら苑子の持っている情報は「東中出身の間宮秋」という薄いものだった。
しかし、それだけでも彼女達には十分らしい。
「秋くんかぁー…… なんか可愛いかも」
友人の一人、あゆのその意味有り気な呟きに、周囲から囃し立てるような黄色い声が上がる。
「え、マジ? あゆ、本気で狙ってる?」
「うん。ちょっといいな~って思ってる。だって背高いし、顔も私好みだし、あと犬っぽくてなんでも言うこと聞いてくれそうな感じとかぁ〜 お姉さんが全部教えてあげたい! みたいな?」
「何それ、マニアックすぎ」
甲高い笑いが上がる。
その煩さに苑子は眉をしかめた。
「それにぃ、今だったら、秋くん、失恋して弱ってると思うんだぁ。落ち込んで落ち込んで、どん底にいる後輩君を…… 私が優しく慰めてあげたら、簡単に落ちそうな気がしない?」
「…………ゲスい」
「……うん。あゆって本当腹黒いとこあるよね」
若干引いたような視線を浴びせられ、ゆるふわパーマを揺らしながら、あゆは小首を傾げる。
「えー? そうかなぁ? 傷ついた男の子を慰めるだけだよ? むしろ慈善事業じゃん。そのちゃんもそう思うよね?」
と、何故か同意を求められる苑子。
苑子の性格ならば一度振った男がその後誰と付き合おうと興味も関心も持たないであろうことをあゆもその他の友人達も知っているのだ。
「だめ」
だからこそ、苑子の口から素っ気なく否定の言葉が出たとき、皆思わず口を閉ざした。
「秋くんにちょっかいかけるのはダメ」
苑子らしくない強い否定だ。
教室で、苑子達が集まる席の周りだけしーんと静まり返った。
苑子の言葉に怒りや苛立ち、不愉快という感情は見えない。
それでも、常にない温度に彼女達は敏感だった。
事の発端のあゆに視線を向けることなく、苑子の目はスマホの画面の文章を追う。
早速鬱陶しいぐらい熱いメッセージを送って来た「彼氏」に思わず笑みがこぼれる。
純粋とは程遠く、それでいて見惚れるほど綺麗な笑みだ。
「秋くんはだめ。だって、もう私のものだし」
笑みを浮かべたまま、苑子は顔を上げずにその場にいる友人達に言い聞かせる。
心の底から楽しそうにしている苑子は実に珍しい。
「皆にも紹介するね」
漸くスマホから顔を上げた苑子は実に清々しい笑みを浮かべていた。
スマホを掲げ、そこに映る顔を真っ赤にした噂の後輩と、その腕に腕を絡めて顔を寄せる苑子の写真を見せつける。
随分と下手くそな自撮りだ。
それでも知り合いが見れば誰が写っているのかすぐに認識できる。
画面の中の苑子は失敗した写真でも実に可愛らしく写っており、そしてわざとらしいぐらいに可憐だ。
その笑みはまるで画面越しからこちらを挑発しているかのようである。
固まったまま、画面を凝視する友人達に悪戯っぽく苑子は笑う。
苑子は隣りで間抜けな顔をしているあゆをチラッと見る。
「ごめんね、あゆ」
まったく、ちっともごめんと思っていない口調で苑子は形ばかりの謝罪をした。
本気で悪いとも思っていないし、そもそも悪い事など何一つしていないのだ。
これは一種の苑子なりの揶揄いである。
「これ、私の彼氏なんだ」
だから、今はまだ、あげることはできない。
*
周囲から好奇心丸出しの視線を浴びせられながら、秋は二年の教室がある通路の端で立っていた。
自意識過剰でなければ、あからさまに秋の顔をちらちら見たり、何か噂したり、わざわざ見に来る生徒がいるのだ。
だが当の秋は度胸があるのか、それとも鈍感なのか、一向にそういった視線に頓着しない。
忠犬のように指示された通りに大人しくその場で待っていた。
もちろん秋が待っているのは今日告白し、めでたく交際の許可を貰った「恋人」だ。
(苑子先輩…… 早く会いたい)
出来れば早くその顔を見て、声を聴きたい。
教室ならもう既に一度行っているため、できれば直接迎えに行きたかったのだが、何故か苑子はそれを拒否し、人通りが多い階段付近で待っているようにとメッセージを送って来た。
なんの疑問も持たずに、惚れた恋人のお願いに秋は快く了承して、今この場にいる。
(苑子先輩…… まだかな……)
ちらちらとスマホの時計や新たなメッセージが来ていないかと確認する。
一分に3回以上は同じことを繰り返していることに秋は気づいていない。
落ち着きのないその様子を笑い、近づく影にもまだ気づいていなかった。
「秋くん」
秋にとって何よりも心地が良く、胸をときめかす声。
意識するよりも早く、条件反射のように勢いよく振り返る秋に、呼んだ当人である苑子は可笑しそうに笑った。
「そ、苑子、せんぱいっ」
苑子が自分を見て笑っている。
その事実だけでもう胸がいっぱいいっぱいの秋はただアホみたいに名前を呼ぶしかできない。
大勢に見られていることなど秋はまったく気にしていない。
今の秋の目には苑子しか映っていないからだ。
「顔、真っ赤だね」
くすくすと、それこそ砂糖菓子のように甘い笑い声に秋はもうどうしようもなく胸が苦しくなった。
苑子先輩。
目の前の彼女が自分の恋人だという事実が今だ信じられない。
「ごめんね。待たせちゃって」
秋の心臓が壊れてしまったかのように激しく揺れ動く。
苑子がなんの躊躇いもなく秋の近くに寄ったからだ。
長身の秋を見上げる苑子。
必然的に上目遣いになる彼女のどこか潤んだような眼差しが堪らなく綺麗で、吸い込まれそうだ。
人形のような長い睫毛や、色白の頬に差すほんのりとした赤。
ふっくらとした下唇に無意識に視線が集中してしまい、秋は慌てて目を逸らした。
(そ、そのこせんぱい、ち、ちかいっ)
石鹸の甘く爽やかな香りが鼻孔を擽る。
(うわ、うわ、なにこれ、めっちゃいいにおい)
シャンプーか、ボディーソープか、それとも柔軟剤か。
何かは分からないがその清純そうな匂いに秋は興奮した。
体育倉庫裏で告白し、了承されたその直後に記念として一緒に写真を撮ったときは緊張しすぎてまともに鼻もきかなかったが、少し落ち着いたせいで今は余計なことまで過敏に意識してしまう。
自分はこんなにも奥手だったのかと秋は新たな自身の一面に激しく戸惑っていた。
そして秋がまったく注意を向けなかった周囲にもまた戸惑いが広がっていた。
廊下でいちゃいちゃする目立つ二人の姿に。
良くも悪くも苑子は目立つ。
派手な外見や性格で敵を作ることが多い上に、他者に対して興味関心が極端に薄いのだ。
苑子の美しい見た目と年不相応な色気に惹かれて集まる輩は非常に多い。
一年の頃はまだ苑子の性格が知られておらず、甘い蜜を吸おうと面白いぐらいに男達に群がられていた。
そしてコバエほいほいに集まるコバエのような男達はゆらゆらと苑子に夢中になり、干からびていくように苑子の冷淡な態度に打ちのめされたのは有名な話だ。
だからこそ、彼らは俄かに目の前の光景が信じられなかった。
あの苑子が、男に、しかも一年に甘えている姿が。
「ねぇ、早く帰ろうよ」
「は、はいっ!」
ぎゅっと秋の腕にしがみ付き、小首を傾げて見上げる苑子。
実にわざとらしいぶりっ子具合であり、これを一般の女子がやれば失笑ものだが、外見だけは極上の苑子がやるとその本性を分かっていてもときめいてしまう。
苑子の本性を知らないであろう秋にとっては相当な威力だ。
心臓に直接核弾頭を発射されたようなものである。
「秋くん、秋くん」
そして恋の戦争における無情の司令官である苑子は容赦がない。
「ねぇ、お願いがあるんだけど」
既に白旗を振る秋の心臓を木っ端微塵どころか塵一つ残らずに殲滅する気でいるのだ。
「今日、家に来ない?」
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