ごめん、もう食べちゃった

埴輪

第1話 冷凍庫にプリンがあったらどうする?


 桜咲く季節。


 桜の木から花びらが舞い落ちる体育倉庫の裏。


 桜色の絨毯の上を踏みしめる真新しい制服姿の長身の少年と、それを見上げる少女。


「す、好きですっ!

俺と、付き合ってください!」


「えー…… 唐突」


 突然呼び出されて告白された苑子は冷静だった。

 苑子に緊張感はまったくない。

 似たようなシチュエーションを過去に何度も経験しているからだ。


 なんてことはない春麗らかな今日。

 苑子は目の前のやたらと大きい新入生に呼び出された。

 教室で多くの視線に晒されながら張りつめた声で名前を呼ばれた瞬間、苑子はすぐにこの男の目的を察した。


 ほぼ100%、「告白」だと。


(あとでなんか聞かれるんだろうな)


 目の前の新入生が、(悪い意味で)学校の有名人である苑子を呼び出した。

 教室を離れたときの二人に注がれた好奇心旺盛な視線の数を思い出す。


(だる…)


 普段の苑子ならば面倒だと一瞬でも思えばその場で容赦なく断る。

 しかし、断らなかった。


 女友達の驚いた顔や一連の流れを興味津々で見ていた他の同級生達のことを思い出し、少々げんなりする。


 苑子がまずその呼び出しに素直に応じること自体、珍しい。


 新入生と苑子のやりとりに興味を示さない奴の方が少ないだろう。


「す、すみませんっ…… いきなり、呼び出したりして…… そ、苑子、先輩……」


 頬を染めて照れたように苑子の名前を呼ぶ男に薄ら寒いものを感じる。


(名前呼び…)


 そもそも、一体どこでどうやって苑子のことを知ったのだろうか。

 流石に苑子の噂がこの高校以外にまで広がっているとは思いたくない。


「あの…… 本当に、いきなりで、すみません……」


 なんの反応も返さず、ずっと黙り込む苑子に顔を赤くしていた男の顔が徐々に暗くなる。


 苑子の反応が思わしくないからだろう。


「苑子先輩の事情も考えないで、突っ走っちゃって……」


 長身の男がどこか不安気な、泣きそうな顔で苑子に謝る。


 その顔を見て、苑子は率直に「悪くないな」と思った。


 こうして「リアル」で見るのは初めてだが、顔は悪くない。


 むしろいい。


 がっちりとした体格に苑子が見上げるぐらいの長身。

 垂れ目が妙な愛嬌を醸し出し、どこか爽やかな雰囲気を持っている。

 これはモテそうだなと苑子は半ば他人事のように思った。


 爽やかスポーツ少年か、暑苦しい犬属性か。


(顔はいいんだよね〜 好きなタイプじゃないけど)


 残念ながら苑子の好みとは逆である。


「あ、自己紹介… お、俺…… 『間宮 秋』っていいます。東中出身で、一年です!」


 今更な自己紹介に、相当動揺していたのが分かる。

 知ってるよと、苑子は心の中で呟いた。


(これがリアル「アキ」くんか…… なんかイメージと違ったな)


 新入生、間宮秋のことを苑子は知っていた。

 だから苑子はこのダルい呼び出しに応じたのだ。

 間宮秋への好奇心と、悪辣な悪戯心が勝ったのである。


 東中のアキくん。


 「画面越し」に苑子はその顔と存在を知っていた。


「一目惚れなんです」


 生のアキくんは年下とは思えないほど真剣な目で苑子を見つめて来る。


 その目を見て、この告白を冗談と受け取る者はいないだろう。


「一目惚れ……」


 アキくんの熱意の濃さは苑子からするとマイナスポイントだ。

 顔は悪くないが、初対面で告白してくるその行動力や真面目そうな性格が、重い。


「私に一目惚れしちゃったかぁ」


 これがアキくん以外であればさっさと振ってしまっただろう。


「俺は、苑子先輩が、本当に、本当に好きなんです!」


 でも、苑子を好きだというこの男はあのアキくんなのだ。


(やば…笑いそう…)


 ニヤける自分の顔をそれとなく隠しながら、苑子は上目遣いで秋を見る。

 

「アキくんは私のことが好きなんだね…」


 何かを確認するような、まるで念押しするような苑子の呟きに、秋はひたすら胸を焦がしていた。


「はいっ、俺は苑子先輩のことが好きです…!」


 抑えきれない恋心を吐き出すような秋の告白に、苑子の口角が上がる。

 もちろん、秋にはその様子は見えなかった。


 沈黙がその場に広がる。


 衝動のままに苑子に告白をした秋にとっては地獄のような沈黙だ。  


 秋はらしくもなく不安を抱いた。

 だが、すぐに弱気な自分を内心で叱咤する。


 もしも苑子に告白を断られたら、また再チャレンジをしようと固く心に誓ったのだ。

 これぐらいで諦めるつもりはない。

 とにかく苑子に自分を意識してもらうことから始めようと秋は自身の心を奮い立たせた。


 当の苑子は秋のそういった前向きな姿勢が激しく苦手なのだが。

 苦手なのだが、それを上回る魅力が秋にはあった。

 秋はまだ、そのことを知らなかった。


「……いーよ」

「……え?」


 苑子は数秒の沈黙の末に今までの面倒そうな雰囲気がまるで嘘のように、にっこりと秋に微笑んだ。


「そ、それって……」

「アキくんの彼女になってあげる」

「っ…… ほ、ほんとう、に……?」


 苑子の承諾に、秋は敬語を忘れるほど驚き、次いで喜びで息がつまりそうになった。


 真っ赤になった後輩、いや、今できた新しい「彼氏」に苑子は愛らしい笑みを浮かべたまま愛想良く応える。


「うん。付き合おうか」

「……はいっ!」


 拳を握りしめて、今にも万歳しそうな素直な秋の様子を苑子はにこにこ笑いながら見つめる。

 苑子をよく知る人間が見れば、それは良からぬ何かを企んでいるときの顔だと気づいただろう。


 残念ながら、そのような人間はこの場にはいなかった。


 苑子は秋のような素直で真っ直ぐで、暑苦しい人間が苦手である。

 嫌いではないが、性格がよろしくない苑子との相性が非常に良くないのだ。


 そもそも年下という点でも秋は対象外なのだが、それらを上回る魅力が秋にはあった。


 なんてことはない。


 ただ、苑子は見てみたかったのだ。


 この世で一番イラつく奴が、どのような反応をするのかを。


 思考の末に苑子の中で好奇心と暗い優越感と意地の悪い気持ちが勝った。


 ただ、それだけのことである。


「これからよろしくね、アキくん♡」


 この日、「妹が片思いしている男」は苑子の彼氏となった。

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