9変わり身

「少々お待ちくださいね。シュー様」

「あ………はい」


可愛らしい笑顔で私に了承を得ると、細められていた目が見開かれ、いつもは綺麗なコバルトブルーの瞳をしているのに、アイアンブルーに変わったような暗く冷たい視線がウィリアに踏まれているオルトロスに向けられた。


抵抗しようとしていたオルトロスが途端に大人しくなる。


「あなたはシュー様に何をしようとしていたんですか?」


ブルブルっと体が震え上がった。


ウィ、ウィリア!?


私に向けられた言葉ではないのに、ウィリアが発したのはたったの一言だと言うのに、絶対零度よりも冷たいような恐怖を感じるその言葉がウィリアの計り知れぬ強さを物語っていた。


薄々感じてはいたけど、ウィリアって魔王の娘なだけあって相当強い……少し殺意を発せられただけでもその場がウィリアに制圧され、従うしかなくなるような厳しさがある。


ウィリアにお腹を見せて屈服のポーズをとりたくなるような……


そうそう。そんな感じで……


って、オルトロスがお腹を見せて屈服している!?!?


はっはっはっと舌を出してお腹を見せ、尻尾をふりふりしている。いや、尻尾は蛇だったろ!?なんでお前尻尾みたいなふりしてるんだよ!?


「シュー様を傷つけようとしていましたよね?」


ブンブンとオルトロスの二つの頭が左右に勢いよく振られる。そんなことありません!みたいな様子だ。いやいや、お前思いっきり口を開けて私に襲いにきてただろ!


闇に近いような影を落としたウィリアの姿に恐怖を感じたオルトロスの尻尾がお腹の方に回され丸くなった。


「今回はシュー様に怪我が無かったみたいですし、見逃してあげますが……今後シュー様に危害を加えるようなことがあればどうなるかわかっていますよね?」


口調はゆったりと丁寧に最後の言葉は強調して、言葉一つ一つに宿怨のような怒気が含まれている。


柔らかく朗らかな感じで私には接してくれていて、多分あれが普段のウィリアなんだと思うんだけど……たちまちウィリアの怒りを買ってしまったら、こんな風に言葉や態度だけでその場を支配してしまえるくらいの力があっただなんて……


魔王にはなれないと言われたウィリアだけど、魔王になれるくらいの素質はあったのではないかと思う。


ウィリアに踏まれながらもガクガクと体が震えているオルトロスは二つの頭と尻尾の蛇が縦にブンブンと振られて大きく頷いている。


「わかっていただけたのならよろしいです」


オルトロスに乗せられていた足をゆっくりと退けると、すぐにウィリアの横でおすわりの体勢になり尻尾をふりふり。一見忠実な犬のように見える。ついさっきまで私に牙を向けていたと言うのに、勝てない相手だと分かれば手のひらを返すように従うなんて調子のいい奴だ。


「よしよーし。シュー様もどうですか?とてもふかふかしてて気持ち良いですよ?」


ウィリアに気持ち良さそうに頭を撫でられ、お腹をみせて服従のポーズをしたり、お手まで披露している。


こうして見ていると、なんだか可愛く見えてきた。私もちょっと撫でてみようかな……


二つの頭の左側の艶やかに黒く光るたてがみに触れてみると、思った以上にふかふかしていて確かに触り心地がすごく良い。


「おぉぉ。これはすごい毛並みが良いね」

「きっと良質なご飯でも食べているのでしょうね」


良質なご飯って人間とかじゃないよね?動物とかそういうのだよね?魔物の主食ってなんだ?


ふかふかとその毛並み楽しんでいると、ふと右側のもう一つの頭がこちらを見ていることに気づいた。


(お前みたいな弱い奴に頭を触らせてやっているんだ感謝しろ)


と言いたげな表情をしている。私を小馬鹿にしたような鋭い視線と下げるようなバカにした口元。こいつ表情だけで何考えてるんだかわかるぞ!?めっちゃ私のこと下に見てやがる!


危うくコイツに殺されかけたとは言え、なんでこんなに見下されたような視線を向けられなきゃいけないんだよ!


「ふっ……」

「あ!今鼻で笑っただろ!?私のこと馬鹿にしてるな!?」


「え?そうなんですか?」


お腹を撫でていたウィリアは気付いてないみたいだ。顔を上げたウィリアにオルトロスはキュルンと瞳を輝かせて、二つの頭が違う違うと左右に振られ、私に尻尾をふりふり。さっきまでの態度と明らかな差が生まれている。


なんなんだコイツ!!変わり身が早すぎるだろ!!


はっはっはっと舌を出して、従順な犬を演じている。もうお前の頭なんか撫でてやるもんか!!ふんっ


と、後を向けば私が倒して気絶していたオルトロスがのそのそと起き上がった。


「あら、もう少し寝ていても良かったのですよ?―――でも、あなたはシュー様に危害を加えていましたからね。どう……調理をいたしましょうか」


丁寧な言葉の奥には冷たい絶対零度。凍え上がるほどの暗い恐怖が見え隠れしている。

のそのそと起き上がったオルトロスの全身がガクガクと震え出し、今にも恐怖で再び倒れてしまいそうなほどガクガクブルブルとして、生まれたての仔馬みたいになっている。


ウィリアがポンと手を叩くと、オルトロスが消えた。


「おっと、力加減を間違えました」


オルトロスがいた場所には大きな穴が開いていた。穴を開けるのに力加減とはなんだ?と思い穴の中を覗くと、真っ暗な空間が広がっている。地面にできたブラックホールのような暗闇から、オルトロスの叫び声が穴の奥から響いてきていた。


お、おい。大丈夫なのか。


オルトロスの従順な犬みたいな意外な一面見てしまったからか、ちょっぴり心配になる(ちょっぴりな!)


「あ、シュー様。一緒に朝ごはんをいただきましょうか」


消えたオルトロスに興味をなくしたのか、さっきま絶対零度と化していたウィリアは私に振り返って笑顔を向けてきた。


こっちも変わり身が早すぎる!!

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