私を形作るもの

 「今日帰れそう?」

「無理かもしれないです。」

「じゃあ、泊ってく?」

「出来ればお願いします。」

「うん。いいよ。今日は私達だけだし。」


辛うじて体を起こせるようにはなったけれど、まだ立とうとするとふらふらするし、頭もふわふわしている。

冷たい水でもかぶれば少しはすっきりするかもしれない。


「シャワー、借りていいですか。」

「いいけど、大丈夫?ふらついてるよ。」

「大丈夫です。うあっ。危な。」

「本当に平気?もう既に転びそうになってるけど。」

「何かあったら呼びますので。」

「‥‥遠慮なく呼んでいいからね。」

「はい。」

「じゃあこれ、私の着替えだけど小さいのを選んだから合うと思うよ。それと、洗濯機は洗剤入れて使っていいから。」

「ありがとうございます。」



何とか浴室までたどり着く。


鏡に映る自分の体が、知っているのとは異なって見えた。

私自身の着ぐるみを着ているようなそんな感じ。


お腹には赤くキスマークが残されている。

痕をなぞるように、それに触れる。

すると、先ほどの事を体が思い出したように反応する。


「うっ。どうして。」


自分の体じゃないみたいだ。



再び火照り始めた肌を冷まそうと少し温度を下げたシャワーを浴びる。

それだけで、自分の体温が異常なほど高いと認識する。

自分を自分で支えていられないほどの何かが内側から溢れ出ようとしているようで、思わず壁に手をつく。


数分間か、そのままで深呼吸をしていると、だんだんとそれが落ち着いてくる。


一人だと怖かったので、すぐに着替えて瑞樹の待つ部屋に行く。



「シャワー、ありがとうございました。」

「どう?少しはすっきりした?」

「多少は良くなりました。」


もう歩いてもふらつきはしないけれど、力が入りにくい。


「そう。取り敢えず座りなよ。もうそろそろご飯が届くみたいだから。」


やっぱり自分では作らないみたいだ。

あんまり食欲がわかないから、軽めがいいな。



夕食が終わると、瑞樹がソファーに座って彼女の膝を叩く。

そこへ座ると、彼女が私の腰の前で両手を組む。

それだけで、無条件で安心させてくれる何かがある。

一人でない気がして落ち着ける。


この時間がずっと続きますように。



 朝、物音がして目が覚める。

いつもと違う景色に一瞬脳が混乱する。

そうだ。瑞樹の家に泊まっているんだった。


隣で寝ていたはずの瑞樹はもう起きたようだ。

階下に降りると、甘い香りと共に瑞樹の声が聞こえる。


「おはよう。幸音。」

「おはようございます。」


そうか。今まで気にしたことがなかったけれど、朝ご飯は基本瑞樹が自分で作っているのか。

そこは私と同じだ。

朝ご飯を作るんだったら、少し多めにしてお昼にも回せばいいのに。

まあ、そのおかげで瑞樹のお弁当係になれたんだけど。


「幸音は朝はほとんど食べないよね。」

「そうですね。前は食べていなかったので。」

「りょーかい。私の分を少し食べるのでいい?」

「全然大丈夫です。」


そう答えると、瑞樹が卵を割る。

卵焼きを作るみたいだ。

少し油が足りないんじゃない?


‥‥やっぱりだ。

巻こうとしても、なかなか剥がれないせいでだんだんと崩れていく。


「じっと見てないで手伝ってよ。幸音の方が上手いでしょ。」

「これはもう手遅れですね。スクランブルエッグのままでいいですよ。」

「そんな。‥‥これだから料理は嫌いなんだよ。」

「すぐそんなこと言わないで下さい。今度教えてあげますから。」

「幸音が作ってくれるんだったら、私が出来るようになる必要ないじゃん。」

「そんなこと言って、私が過労で熱でも出したらどうするんですか。」

「‥‥やっぱり練習する。」


そう言い合っている間に、卵が完全に固体になる。

そのまま朝ご飯を瑞樹から少しだけもらってから、お弁当を作る。


あまり時間も無いし、卵焼きとか簡単な物を詰めるだけでいいや。


出来たお弁当を入れるために、瑞樹の部屋に自分の鞄を取りに行く。

それを持ち上げた拍子に、瑞樹の机の上に置かれたものが目に入る。


この前の記憶がなければきっと意識もしなかっただろう物が。



そこに置いてあったのは、白い和紙でできた栞だった。

ぽつんとくっついた薄桃色の花びらが彩りを与えている。


瑞樹のお守りだ。

花びらの使い道に関して、同じ発想に至っていたことが嬉しい。


少し考えて、自分の分のお守りを瑞樹のものの隣に置く。

ちょっとしたいたずらだ。


気付いてくれるかな。



二つが肩を寄せ合うように並んでいるのを軽く眺めたら、瑞樹とともに学校へ向かう。



一歩一歩歩幅を合わせるように、軽い足音をたてて歩く。

歩くリズムが合うだけで、瑞樹とつながっていられる気がする。


「幸音。ちゃんと歩きなよ。」

「ちゃんと歩いてますよ。」

「歩き方変だよ。」

「大丈夫です。転ばないので。」

「幸音がいいならいいけど。」



そうこうしているうちに校門までたどり着く。



こんな何気ない日常を繰り返す事だけが、私の望み。

瑞樹といられればそれでいい。



下校は一人だった。

瑞樹にしたいたずらに、早く気付いてほしくて敢えてこうした。


家で瑞樹が来るのを待つ。

時計を何度も見ても、なかなか針が進まない。


もしかしたら瑞樹が気付かずに今日が終わってしまうかもしれない、と少し不安になり始めたころに、インターホンが鳴らされた。



「幸音。これ忘れてたよ。」


そうして瑞樹が渡してきたのは、私が瑞樹の部屋に置いてきたお守り、ではなく、もう一つの方。

瑞樹が思い出の花びらで作った押し花だった。

これで合法的に瑞樹のものが手に入った。


「これは瑞樹の。ありがとうございます。」

「うん。いつの間にか増えてて驚いたけど、幸音もあの日の思い出を大切にしてくれてたみたいで嬉しかったよ。」


私も、瑞樹がこうして彼女の思い出の結晶を私に送ってくれたことが嬉しい。

こうやって何か大切な思いの込められているものを共有できたことが、何よりも意味がある。そう思えた。



瑞樹がくれた押し花の栞は透けてしまいそうなほど薄く、それでも確かな質量と手触りとを私に感じさせてくれていた。

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