私の居場所

 昨夜‥‥今朝の私の頑張りも虚しく、瑞樹は朝早くに帰って行ってしまった。

そんなに恥ずかしいのかな。

確かに朝はずっと瑞樹の顔が紅潮していた気がするけれど。


私だって一回聞かれてるけれど、ここまで酷いことにはならなかった。


嫌われたんじゃないかって少し不安になるけれど、朝の態度からしてそんなことは無いと信じたい。

そうじゃなきゃ私は死んでしまう。


ふと考える。

これは瑞樹に対する恋愛感情じゃなくて、ただの所有欲なだけなんじゃないかって。

瑞樹がいることで、私の居場所が生み出されているから、その根源である瑞樹をただ手元に置いておきたいだけなんじゃないかって。


残酷な妄想が頭に浮かぶ。


そんなことを思いついた自分を呪いたくて、瑞樹に申し訳なくて、頭を締め付ける。


ふう。

落ち着いた。

あんな事を思いつくなんて、私はどうかしていたみたいだ。

瑞樹が出て行ってしまったから不安なんだな。


そう結論付けて、無かったことにする。



何気なく、瑞樹に家にちゃんと着いたかどうかメッセージを送る。


既読が付く。

ここまで数秒。


でも、返事が来ない。

おかしいな。

いつもなら既読から数秒で何らかの返答があるのに。


もしかしてと、さっきよりもずっと恐ろしい光景が脳裏をよぎる。

いや、流石にそんなことは無いだろう。

けれど、一度思いついてしまった経験に裏付けられた想像はなかなか拭い去る事が出来ない。


途端に怖くなって、瑞樹の歩いただろう道を駆けて行く。


大丈夫。そんなこと、確率的に起こりっこない。



結局、道で交通事故を見かけたりすることなく瑞樹の家に到着した。


いちどスマホを確認してみる。

やっぱり返事は来ていない。


ここまで来てしまったんだし、入ってしまおうとインターホンのボタンを押し込む。


「だれ‥‥幸音。」


なんて返せばいいか分からない。

そのまま無言の時間が過ぎる。


「また出直してきましょうか。」

「いや、いいよ。今開ける。」


瑞樹が出迎えてくれた。



部屋に通されても、どちらも口を開こうとしない。

気まずいことがあった後みたいだ。


視線を感じてそちらに視線を向けると、瑞樹の顔がクッションに埋められるのが見えた。

怒っているわけではないと思うんだけど。


先に根負けしたのは瑞樹の方だった。

私の方が人と一緒の時間が少ないから、無言の時間への耐性が高いということでもある。


「ごめんね。急に帰っちゃって。」

「‥‥そうですよ。私、不安だったんですから。もっとちゃんと謝って下さい。」

「‥‥恋人に心憂い思いをさせてしまい、大変申し訳なく。ごめんね。幸音。」


恋人と言ってくれたから、変に心配しなくても良さそうだ。


「私が嫌いになったというわけではないですよね。」

「そんなの当たり前。ただ顔を見せたくなかっただけ。ちょっと一人になりたくて。」

「よかったです。けど、どうしてそんな思考になったんですか。」


瑞樹がぷいと顔を背ける。


なんか、思った通りだった。

私は全てを察して最適な行動をとる。


「言いたくないなら聞きませんけど、別に私は気にしてませんよ。」

「幸音のその優しさが、今は深刻なダメージを与えてくるよ。ううう。」


なぜ?

恋人になっても瑞樹は分からないかもしれない。


「でも、追いかけて来てくれてちょっと嬉しかったかも。」

「‥‥えぇ。」


ストーカーされたいタイプの人間?


そんな私の考えを顔から読み取ったのか、瑞樹が違うよ、と言いながら私の額を指で弾く。


「私のことを心配してくれたんでしょ。ちょっと離れただけなのにね。」

「だって、瑞樹の隣が私の居場所なので。」


居場所。


意図せず口から滑り出た単語が私の嫌悪感を誘い出す。

居場所だから、瑞樹が大切なのかな。

それだから好きだって思ってるのかな。


さっきと同じような消したい考えがまた生じる。


抵抗するように握り拳を自分の頭に叩きつける。


「ちょっ。幸音。どうした。」

「気にしなくて大丈夫です。」

「いや、流石に気にするでしょ。」


そう言って瑞樹が見透かすような目で見つめてくる。


ふっと目を逸らしてしまった直後に、これが失策だったことに気づく。


「あ、ほら。後ろめたいことでもあるんじゃないの。」


自分の頭の悪さを呪いたくなる。

それでも言わないでいると、瑞樹が約束の件を持ち出してくる。

でも、相談したいようなことではないから条件に適合しない。


「あの約束って、相談したいことがあったら話すこと、ですよね。今は当てはまらないので大丈夫です。」

「どうしても言わないつもりなの?」

「そう言いましたけど。」

「ふ~ん。恋人に隠し事。‥‥背中を刺されても文句は言えないね。」


怖っ。

私刺されちゃうの?

でも、瑞樹に悪いことをしているという意識があるのも確かなのだ。


なんでもないことだって笑い飛ばしてくれたらいいのにな。

自分の感情と瑞樹とをてんびんにかける。


瑞樹が勝った。

だから、拙い言葉でも何かを伝える。


「私が瑞樹のことを好きな理由が、ただ居心地がいいだけだからなのかもしれないって思ってしまい、そんな自分を殴りたくなって。」


こういう抽象的な言い回しでしか伝えられない自分が歯がゆい。

それでも瑞樹はちゃんと私の話を聞いてくれる。


「つまり‥‥‥どういうこと?」


これを言うと見放されてしまうかもしれない。

失望されてしまうかもしれない。

でも、想いが口から飛び出る。


「私が瑞樹に抱いてるのが、恋心ではなくてただの所有欲なんじゃないかって不安なんです。」


瑞樹が私のことをぽかんとした顔で見つめる。


失敗だったかな。


「所有欲か。それも愛の一つと言えばそうだよね。」


そうなのかな。


「所有欲って言っても、私を物みたいに扱いたいっていうわけではないんでしょ?」

「もちろん。それは、もちろんです。」

「だったら、う~ん。ちょっと強めな独占欲?専有欲?」

「気持ち悪いって思ったりしないんですか?」

「どうして?こんなに好きって言ってもらえて嬉しくない人なんていないでしょ。」


瑞樹はポジティブにとらえてくれたようだけれど、私が自分のこの思いを判断しかねているのにそれは危険じゃないかと思う。


「幸音は考えすぎなんだよ。‥‥もしかして、なっちゃんとかに嫉妬してたりする?」


そう言われるとそうなのかもしれない。

また顔に出ていたようで、瑞樹が頭をなでながら


「幸音ったら。可愛いなあ。」


と言う。


「瑞樹が好きだって言っているのは、自分がいやすい場所を確保するための打算的な行動なんじゃないかって、時々怖くなるんです。」


申し訳なさか、それとも他の感情か、いつの間にかきちんと文章として構成された私の感情が言葉として発せられる。



そうだね。打算的な行動だよ。

自分の心は時として、残酷なまでに分かりやすい。


瑞樹が好きなのか、瑞樹と一緒にいることが好きなのか。

面倒な人間だと自分でも思う。


「変な話になってしまいましたね。ごめんなさい。」


瑞樹は何も声を発さないで遠くを見つめるような目をしている。


長い時間が経ってから、瑞樹が口を開く。


「別にいいんじゃない。私だって、もしかしたら自分の都合で幸音が好きなのかもしれない。自分でも分からないよ。でもさ、それで幸音のことが大切だって思えてるなら、そのことが一番大事だと思うよ。理由なんてなくたっていいと思う。だって好きって理屈がない感情のことだから。」


長々しい。

早口でまくしたてられたようで、もしかしたら瑞樹も自分に言い聞かせようとしているのかもしれないと思った。


私はずっと大切というものを作ることを拒絶してきたせいで、大切であるということに理由がないと不安なんだ。


「でもやっぱり、ちゃんと理由が分からないと落ち着かないです。」

「‥‥幸音が私が声をあげるくらいまで触ってきた理由って何?」


いきなり何だろう。

そんなの、瑞樹の私のためだけの顔が見たかったからに決まってる。


そう考えるとやっぱり独占欲だと思う。


どうしてだろう。

瑞樹を誰にも取られたくない。

大切な人だから。


どうして大切な人なのか。

私を掬い上げてくれたから。


どうしてそれが好きにつながるんだろう。

‥‥‥。


答えは出ない。

でも、瑞樹がいなくなったら駄目だということだけは知っている。


本当になんなんだろう。

人間ってこれほどまで理論的じゃないんだな。

自分のことさえも全く理解できない。


どうりで国語の点数が低いわけだ。


でも、理解できない感情が先行しても、瑞樹のことが好きだ。

目の前で笑っていてくれる、彼女が大切だ。



この気持ちだけは理解したくない。

理解しない方がいい。そんな気がする。

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