恋人のはずなのに
日曜日の翌日は当たり前だけれど月曜日だ。
学校に行かなくてはいけない。
今日は一緒に登校はしない。瑞樹がいつもやっている好感度管理はきっと大変だ。
私は、ずっと一人だったことが今となって良い方向に効いている。
瑞樹に全部合わせられるから、今までの私の行動を褒めてあげたい。
私に必要なのは、瑞樹との時間だけ。
いつもと同じ教室は、少しだけ明るく見えた。
人の活気が眩しいけれど、今はそれを視界に入れても目を背けたくはならない。
朝、授業が始まる前の十数分だけの短い時間が、その日の全部を閉じ込めているかのように弾んだ空気を生み出していた。
授業はいつも通り。そこまで難しいことは無い。数学なら大体形が決まってるから、解法もすぐに思いつく。
今日やる範囲をさっさと解き終えて、瑞樹を観察する。
シャープペンの先で頬をぺちぺちと叩きながら、じっと考えている。
数学だけなら瑞樹にも勝てると思う。というか、実際に勝ってる。
‥‥視線に気づいてくれないかな。
ちょっとすると、瑞樹のペン先がノートの上を走り始めた。
学年一位という色眼鏡なしにしても、頭が良さそうに見えるから不思議だ。
いかにもって感じ。
恋人フィルターがかかっているかもしれないけれど。
この人が私のものだと思うと、自然と頬が緩んでくる。
そうやって瑞樹を見てたから、気づかなかった。
「‥さん。白世さん。」
隣に座っている子に肩を揺さぶられる。
「はい。どうしました。」
「先生。当てられてるよ。」
先生の方を見ると、机に手をついて不機嫌そうな顔をしている。
ごめんなさい。
さっき解いた問題だから、答えるのは簡単だ。
瑞樹がちらっとこちらを見たけれど、すぐ目線をノートへと戻してしまう。
もう少し気にしてくれてもいいじゃん。
そう思いながら、解き方を出来るだけ分かりにくく先生に伝える。
瑞樹にもっと見て欲しい。
承認欲求なのかもしれないし、瑞樹にただ褒められたいだけなのかもしれない。
とにかく何かを変えたいと、そう思った。
私達が恋仲になったことは当たり前だけれど、私達以外誰も知らない。
だから、バレないように前と同じように振る舞うって決めてた。
というか、好きって瑞樹に言ってからは変なアピールが少なくなったので、接触機会も減った。
瑞樹が腰巾着たちと話をしているのを見ると、割って入って瑞樹を攫っていきたくなる。
もう。むしゃくしゃする。
だから、この気持ちを宿題にぶつける。
苛々はしてない。
簡単。簡単。簡単。こんな簡単な問題を宿題に出す必要なんてないでしょ。
何も拗ねてない。宿題は義務だから。終わらせるのは早い方がいい。
夏休みの宿題も最初の一週間で全部終わらせるタイプだから。
知らない問題に手が止まる。
少し考える。分からん。
むかつく。
せっかくいい気分になってたのに。
うーん。
一回頭をリセットするために瑞樹の方を見る。
やっぱり楽しそうに話をしている。
私は宿題も解けなくて今にも爆発しそうなのに。
‥‥あ、漸化式か。
ちょっと考えれば分かるのに。
瑞樹のせいで短慮になってた。
式から答えが導き出される。
今日の分は終わりだ。
やり場のない気持ちをペン先に乗せて丸をつけていく。
丸。丸。丸。丸。
丸つけも終わり。
授業中に少しやっていたし、そこまで時間はかからなかった。
瑞樹はまだ話し込んでいる。
私も混ざりたいけれど、そうしたらこの前の話が飛び出てきてしまう可能性があるし、もっと言えば、恋人ということがばれてしまうかもしれない。
腰巾着の人達は面倒な人間だけれど、別に悪い人たちではないから、知ったところで変にいじってくることは無いと思う。
問題なのは時々出没する人達だ。
私達がカップルだとかはやし立てていた例の女子高生達。
本当にカップルになってしまったからごまかしようがない。
その人達に知られてしまったら色々と不都合だろうから、学校では今まで以上に勘ぐられないように気を付ける。
そのせいで、色々と疲れてしまう。
授業中にガン見していたのはその分の埋め合わせということにする。
グダーっと顔を机につけて窓の外を見る。
楽な姿勢になっても、瑞樹といたいという気持ちは消えなくて、それが実現しないこの環境がもどかしい。
そんな私の気持ちとは対照的に、木の隙間からは真っ青な空がどこまでも続いていた。
今日は瑞樹は来ない。結局一緒だったのはお昼休みにお弁当を食べている間だけ。
その時間も、前みたいに私に食べさせようとしてきたりはしなかった。
そこから食べるなんてことは、人前では絶対にしないけれど、しようとしてこない事がなんだか嫌だった。
恋人になったのに、共有する時間が減った。
たった一日でそう判断するのは早計過ぎるけれど、瑞樹のことになるとおかしくなってしまう。
でも、もう少しくらい私を大切にしてくれたって罰は当たらないと思う。
悶々と時間を過ごしていても仕方がないから、瑞樹に会いたいとだけメッセージを送ってソファーにごろりと寝転がる。
電源を落としたスマホの画面に自分の顔が反射して見える。
黒い画面の向こうからこちらを見つめる私がいる。
「寂しいね。」
返事を求めない言葉が喉から発せられる。
過去に何度も言ってきた言葉だ。
けれど、今はその意味が違ったものに感じられる。
いままでのが一人ぼっちだったから寂しかったものだとすると、今のは二人でいられないから寂しいんだ。
何考えてるんだ。そんなこと考えるくらいなら、現代文で点数を取る方法を考えた方が、まだ時間を有意義に使えている。
画面の中の私とこちらの私は同時にくすりと微笑んで、お互いの世界に戻る。
「よし。」
何をするでもなく、ただ気合を入れるように息を吐き出して、何をするか決める。
机に向かってから数時間が経っただろうか。実際には数十分も経ってないかもしれない。
インターホンが鳴らされる音に気づく。
誰かと思ったら瑞樹だ。
軽い足取りで、玄関に向かう。
ドアの隙間から見える外は、もう夕日がほとんど落ちていて赤く染まっている。
「会いに来たよ。返事しても既読がつかないからいないんじゃないかと思った。」
こうやって夕方なのに会いに来てくれたことが純粋に嬉しい。
瑞樹が私の部屋に来ると、勉強机がいつもと違うことにすぐ気付いたようだった。
「こんな時間まで宿題が残ってるなんて、珍しいね。」
「宿題は終わってます。やることがなくて暇なので、頭を使うようなことをしていただけです。」
「いつもなら本ばっかり読んでるのに?」
「今回の学年末、本気なので。」
「学年末試験?どうして?」
学年末試験で、もし万が一にでも瑞樹に勝てたなら、きっと彼女はもっと私を大事にしてくれる。
頑張ったねって。そう言ってくれるかもしれない。
もしかしたら、中野さん達といるよりも私との時間を大事にしてくれるかもしれない。
そういう風に言ったら、瑞樹は私のことを構おうとしてくるはずだ。
それが望みではあるけれど、素直にそうなってほしくない。
我儘でもばれないまま突き通したい。
自然と瑞樹が私のことを見るようになるのが、最終目標だ。
だから、そのためにこれも勝負事にする。
「七瀬さん。勝負しましょう。今度の学年末試験で上の成績をとった方が相手の言うことを聞く、というルールで。」
私は瑞樹にではなくて、七瀬さんという一人の生徒に対して宣戦布告をした。
きっとこの意図を瑞樹は汲み取ってくれる。
言うことを聞くだとか関係ない。
七瀬さんに勝つということそのものが、私にとって重要な意味を持っている。
恋人になった翌週に、その人と真剣な賭け事をするなんて普通じゃない。
でも、私が瑞樹にずっと見てもらえるようになる方法はこれくらいしか思いつかない。
今までの点数から考えるに、数学で稼いだ分をいかに国語で減らさないようにするかが今回の鍵となってくる。
私、なんで今数学やってたの?
そんな私の深い思考に気付いたのか気付いていないのか、七瀬さんは不敵な笑みを浮かべて、
「いいよ。」
といつもみたいな軽い調子で承諾した。
瑞樹はきっとここでの本当の意図には気付いていないはずだ。
それでいい。
どちらにせよ、私がやらなくてはいけないのは七瀬さんに勝てるように全力で試験対策をすることだけだ。
この日から、私の今までの人生で一番真面目に勉強をすることになるはずの二週間が始まった。
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