溶けてゆく
今回は真面目に重めです。
苦手な方はご注意下さい。
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部屋に戻ると、七瀬さんは私のベッドで膝を抱えていた。
「七瀬さん、大丈夫ですか。これ、お茶です。すっきりしますよ。」
「‥‥うん。ありがと。」
お茶を飲む音だけが静かに響く。
「あのさ、幸音。」
「なんですか。」
「‥‥‥その、平気?」
「はい。心配してくれてありがとうございます。」
七瀬さんは優しすぎる。そんな彼女を引きずり込もうとした私は死ぬべきだと思う。
「ねえ、ゆきね。いやならいいんだけど、お腹の傷、見せてくれない。」
私は無言で服を上げる。
私の内面の醜さを露出するかのように、腹部を傾いて横切っている疵をさらす。
それに乗じて、私は今やっと理解した自分という化け物の話を七瀬さんにする。
「私は最低な人間なんです。」
「へ?」
「今は少し真面目に聞いていて下さい。
私はどうしようもないクズです。七瀬さんは私が孤独に苛まれる可哀想な子って思ってくれてますけど、実際はそう思われるようにするために自分を演じているだけなんです。
そうして死ぬことで何かを否定しようとしてる。全てを嘘で塗り固めて。
こんな最低な人間なんです。本当の私は。
七瀬さんに話して気付けました。」
七瀬さんも絶句している。
そりゃそうだろう。今まで好きだと思っていた人間の全てが演技だったんだから。本性は恐怖の対象にしかなりえない、凶悪だ。
自分でも気づいたのが今なんだ。七瀬さんが気付けるはずもない。
申し訳ないな。
「だから、私から離れたほうがいいですよ。」
私が出ていった方がいいか。
ドアノブに手をかけると、それを七瀬さんに掴まれる。
ホラーかと思った。
「ああ、帰るんですね。見送っていきますよ。」
「‥‥‥‥」
ガンッ。と音がするのと同時に、視界が天井を向く。
背中と後頭部が痛い。
そして、首を七瀬さんに絞められている。どうして?
「幸音。殺すよ。」
いいよ。七瀬さんに殺してもらえるなんて、今まで生きていてよかったと思える。
あ、でもそうすると七瀬さんが犯罪者になってしまう。もう少年法は適用されないんだ。
七瀬さんの未来を奪うような真似はしたくない。
声は出せないから、顔だけ横に振る。
そのまま私たちはしばらく見つめ合った。
しばらくして七瀬さんの手が緩む。
少し頭がぼーっとする。酸素不足だ。
「ねえ。どうしてそんなこと言うの。」
泣きそうな声で七瀬さんが私に問うてくる。
「どうしてこんな人間を気にかけてくれるんですか。お人よしが過ぎますよ。」
「バカ。ばかばか。幸音はものすごくバカだよ。
〝こんな人間゛じゃない。幸音のこと、今なら分かるよ。
死んでしまいたいくらい寂しくて。受け入れられなくて。だからつらい人をさらに演じているように振舞う。一つ目がはがされたときに、それが本性だったって、そうやって自分を守れるように。
二重に演じて。
どれだけ一人で抱え込もうとするのさ。」
「そんなんじゃないです。いいからさっさと帰って下さい。私なんかと一緒にいようとしないで。」
「絶対帰らない。死んでもここからは動かない。」
「どうして。」
どうして七瀬さんは私なんかにこだわるんだろう。
私なんかいなくなった方がためになるのに。
「どうして?そんなの決まってるでしょ。好きだから。この世の誰よりも大切に思ってるから。それ以外の理由なんてない。」
「まだ好きでいるんですか?狂ってます。」
「狂ってるのは、狂わされてるのは幸音の方。全部からたった一人で自分を守ろうとして、嘘をはいて、本当の自分なんていないものみたいに振る舞って。本当にバカ。
‥‥‥ちょっとは信じてくれたっていいじゃん。消えないからさ。」
七瀬さんが私の胸元に顔をうずめる。
私のせい?
「七瀬さん‥‥‥。」
なんて言葉をかければいいのか分からない。
どうして私が可哀想な子に戻されているのかも分からない。
確かなのは、七瀬さんが私にこうやって体重を預けてきたのは、これが初めてだということ。
「‥‥ゆきね。」
七瀬さんに口をふさがれた。
この流れで普通そうなる?
「ねえ。ゆきね。楽しい?」
いつか聞かれたことをまた聞かれた。
「いやです。」
だから、私は今度こそはっきりと拒絶する。
「そう。じゃあ、」
そう言って七瀬さんは私を寝台へと引く。
逃げたかったし、離れて欲しかったのに、体は七瀬さんの方へ向く。
「全部分からせてあげる。」
全部?
そう疑問を口にする間もなく、七瀬さんの舌先が侵入してくる。
いやだけど、嫌いじゃない。きらいだけど、嫌じゃない。
奥へとひっこめていた舌が、自然と前へと緩んで七瀬さんのものと接触する。
いつもよりも高い体温が伝わってきて、なぜか鼻のてっぺんが熱くなる。
そのまま、七瀬さんの手は私の服を捲る。
声を発さないように、息を精一杯吐き出した。
七瀬さんはただ、傷の残る私のお腹にぺたり、と手を付けてゆっくりとこう言った。
「生きててくれて、ありがとう。」
その言葉で、胸がふっと軽くなったような気がした。
ただ嫌悪していた生に、初めて光がともったようだった。
大切な人がいなくなり、価値を失った人生に意義を与えられた。
七瀬さんに掬い上げられて、救われた。
七瀬さんの顔がにじんで見える。
大粒の涙が頬を伝ってシーツにしみ込んでいっている。
全部しまい込んでいた色々な感情が溢れ出してくる。
寂しい。つらい。孤独。死にたい。嫌い‥‥。
幼くて醜い思いが、液体となってこぼれ出てくる。
何年も封印していた分、私の嗚咽が部屋に響く。
七瀬さんはただ何もせず、私を捕まえていてくれた。
今はその重みが、私の存在を確かにしてくれる。
ひとしきり泣いた後、素を曝け出してしまい守ってくれるものがなくなってしまったから、七瀬さんを私は求めた。
七瀬さんの口の中は、私よりもずっと熱かった。
七瀬さんの全部が欲しくて、愛おしくて、息が出来ないほどに七瀬さんの唇を吸い続ける。
私が傷を隠していた醜い絆創膏は全て剥がれ落ちていく。
すぐそばにいる七瀬さん。今は崩れることのない安心感。それに私は身を委ねる。
そうして、溶け合ってしまったかのように、元からそこにあったかのように七瀬さんの中で絡み合う。
今までで一番ビターで、甘くて、幸せの味がした。
これだけでいつもなら満たされていた。
けれども、覆いを取り去られてしまった私にはまだ足りない。
「七瀬さんが欲しいです。」
気づいていた。
私にはこの人が必要だって。
それでも、また消えてしまうことが怖くて、自分を偽って。
結局は全部溶かされてしまった。
怖くないと言ったら嘘になる。
まだ逃げ腰になってしまう私がいる。
私は弱くて幼くて、失う怖さを知ってしまったから。
自分をどうやって助ければいいのか分らなかったから、七瀬さんが見つけてくれた。助け出してくれた。守るって言ってくれた。
それを、私は必要としていたんだ。
だからどうやってでも七瀬さんを手に入れる。
後戻りはできないし、するつもりも無い。
「私のものになって下さい。」
こんな物語でも言わないような科白を、七瀬さんにぶつける。
拒絶されるかもしれないなんて考えない。
私のために怒ってくれたのも、泣いてくれたのも、全部七瀬さんだから。
‥‥‥理由になってないや。
でも、理由なんて無くても七瀬さんは私が一番に望む答えを返してくれた。
「‥‥‥私もゆきねが欲しい。」
急に身軽になった心に、溢れんばかりの幸せが押し寄せる。
「じゃあ私達、両想いってことですね。」
「そうだね。じゃあ今もう一回言うね。」
そう言って七瀬さんは私達の関係を一歩進めるための言葉を放つ。
「ゆきね。好きだよ。だから、私の恋人になって。」
パートナー。拠り所。
それらを全部ひっくるめて、さらにもっと深い関係を手にしたい。
返事は決まっている。
「はい。喜んで。」
その返事を聞いて、七瀬さんが私にキスをしてくる。
この唇は私のもの。
七瀬さん全部が私のものだ。
絶対に消えないように、ずっと離さない。
そう決めて強く抱きつく。
体の芯から指先に至るまで、じわりと熱を持っていくのが分かる。
私の居場所はここなんだと思った。
キスをしながらでも呼吸が出来るということに気づいたのはこの日だった。
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