始まりの化け物

少し重いです。

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 七瀬さんに変なことをされたせいで、今日は顔を合わせたくなかった。

だって、あんな声を聴かれちゃったから。好きって言ってしまったから。

今からでも、あの時間に戻って私の首を締め付けてやりたい。


叶わない願望だけれど。


今だけは、七瀬さんが来る頻度が減ったということがありがたい。

昨日のソファーの上に座る。

事があったとは思えないほどいつも通りの部屋。

でも、どれだけ切り離そうとしても、七瀬さんがどこかにいる。


昨日は七瀬さんも、私もどこか変だった。きっと、洋酒入りのチョコ。あれのせいで気分が酔ってしまった。


だから、今はどうだろうかとふと疑問に思って自分の手を崖に添える。

小さい。それだけしか感じない。

昨日会ったような心臓が浮いているような心地はしない。

まあ、心臓って実はしっかりと固定されていなくて、浮いているといっても間違ってはいないみたいなんだけど。


やっぱり昨夜の私たちは変だったと、これで証明が出来たことになる。

良かった。

正常な状態であの言葉を私が発していたのだとしたらと思うと、今でも気が狂いそうだ。

主に自己嫌悪で。


次に七瀬さんが来るまでに、ウイスキーボンボンは処理しておこう。



その夜は酔わなかった。



 七瀬さんが来る頻度が下がったとは言ったものの、週に二日、日曜に来ることも含めれば三日は会うことになる。

それが今日になっただけ。


「ゆきね。もっとくっついて。」

「もう間にスペースがないんですけど。」

「じゃあほら。乗って。」


最近七瀬さんに抱えられるということが増えた。

七瀬さんに触れられて嬉しいけれど、いきなり近づきすぎている気がする。


「この前の好きってさ、どっちの意味だったの?」


私の髪を指で梳かしながら、七瀬さんがそんな風に聞いてくる。

どっちって。私にも分からない。


「七瀬さんは恋愛感情がどういうものかわかりますか?」

「どうしたの急に。恋愛感情とか普段言わないのに。恋愛。う~ん。私だったらずっと一緒にいたくて、頼ってほしい。ついでに、たくさん触りたいとかかな。」

「最後ので台無しですね。」

「でも実際そうなんだもん。好きな人に直接触れていたいってそんなに変な事?」

「知らないです。」


ずっと一緒にいたい。

確かにそうだ。七瀬さんがいない人生なんて生きられない。

頼ってほしいかというとそうではない。どちらかというと私が七瀬さんに頼ってばっかりだし、七瀬さんは完璧超人な変態だから私に頼ってくることもないだろう。


最後。七瀬さんとなら、ずっと触れていたい。

これは今でもそう思う。あの夜の後からずっとそう。


三分の二。実に七十パーセントは恋愛かも知れない。

結構進んだな。


「七瀬さん。私、七瀬さんに七十パーセント恋してます。」

「何それ。名前にかけて遊んでるの?」

「違いますよ。三分の二を四捨五入しただけです。」

「じゃあ残りの三分の一は何?」

「頼られることです。正直、これはかなり難しそうですね。」

「ああ、さっきのに当てはめてるのか。」

「そうです。」

「ん?ということは、七瀬さんは私とずっと一緒がよくて、それでいて触れ合いたいと思ってる?」

「‥‥一応は。でも、私は七瀬さんみたいに痴女ではないので、変なことはしません。」

「痴女!?ひどい言われようだね。別にえっちなことはしてないでしょ。」

「胸を触っておいて何を言うんですか。」

「女の子同士なら大丈夫だって。問題にならないから。」

「私は問題だと思います。七瀬さん、私を対象としてみてるんですよね。」

「好きだからね。でも、それだけじゃないよ。いつまでも守ってあげたいからさ。だから一緒にいたいんだよ。」


不覚にも胸を動かされる。七瀬さんは欲しい言葉を全て言ってくれる。


「ずっと一緒にいてくれるんですか。」

「そう言ったじゃん。」


そう言って七瀬さんは私の頭を撫でる。


「だからさ、ゆきねがつらかったら言ってね。私がなんとかするから。」


こんなにやさしい七瀬さんに、私は自分を打ち明けられずにいる。

申し訳なさが増してくる。


そんな思いをかき消すようにまた七瀬さんに


「好きです。」


と言う。


「私も。」


七瀬さんがキスしてくる。

私からも返す。


でも、違う。

どうしても合わない。

最後の壁が、私の醜い傷が、最後の一歩を強引に引き戻す。

痛い。つらい。自分自身が憎くなる。

一度自分も全てぐちゃぐちゃにしてやり直したいという利己的な欲求が頭に浮かんでしまう。


アンバランスで、すぐにでも傾いて倒れてしまいそうだから、私はどうすればいいか分からない。


それでも、最後に道を作ってくれたのは七瀬さんだ。

ただ、ぎゅっと強く私を抱きしめている。


「ごめんなさい。」


言葉が零れる。

ごめんなさい、ごめんなさい‥‥‥‥。


私が壊れそうでも七瀬さんは突き放したりしないでずっとそこにいてくれた。

何も聞かずに、ただ私を温めてくれる。

待ってくれている。



「七瀬さん。私がこうなったのを、聞いてくれますか。」


もう話してしまおう。私の始まりを。

最後まで、七瀬さん頼りだった。




 その日は雪が降っていた。三が日で雪が降ることは実はとても珍しい。

少なくとも、私の記憶ではその一回しかない。


私達はお正月には父方の実家に帰省している事が多く、その年も例に洩れずそこへ帰省していた。少し都心から外れた程度だが、のどかな地域でゆったりと過ごすにはちょうどよい場所だったと記憶している。


そして、例年通り一月三日に帰路についた。私の両親は、そこで帰らぬ人になった。


ただ交通事故にあっただけ。だが、人の命が失われるには十分すぎるほどだ。

事故を起こした犯人を恨めたならどれだけ楽だったかと思う。

けれども、その人は私達にぶつかる前に車内で心停止を起こしていたようだ。

それで、たまたまアクセルが押し込まれただけ。そこにたまたま私たちの乗った車があったというだけ。


誰のせいでもない。ただ偶然に偶然が重なった。それだけのことなのだ。

そうして私は一人になった。



「‥‥という話です。少し重かったですね。お茶でも入れてきます。」


しばらく七瀬さんは一人にしておこう。いきなりこんなことを話されたら反応に困るだろうから。



お茶を淹れながら、どうして話してしまったのかを考える。


両親が死んだとき、始めはどうしようもないほど苦しくて、何度も死のうと思った。

そうすれば楽になれるって。でも私はその選択を取らなかった。

手元には凶器があったし、怖いというわけでもなかった。


多分、子供みたいな理由だ。


大切な人がいなくなったこの世界で、寂しく生きて、そうしてつらいまま死んでやろう。

そうしたら、この世界の汚点が一つ増える。一矢報いられる。そんなふうに考えていたんだと思う。

理論的でないし、まともな思考ではない。そんなこと最初からきっと知っていた。

それでも、駄目だったんだ。

大切な人を作りたくないという理由づくりだって、自分すら偽る実のない感情。

ずっと自分も、七瀬さんも、誰も彼も騙してきた。そうする必要があると知っていて。



だから私はずっと可哀想な女の子でいた。

卑怯でひねくれた腐った人間。

救えない最低なもの。


ああ、言葉にしたら分かる。

私は絶対に七瀬さんと釣り合えない。

だから今までずっと先延ばしにしてきたんだ。

心が氷点下まで冷え込む。


だって同情を寄せるべき人間じゃないから。そう演じてきた人ならざるものだから。

ただ、涙をもらっていただけ。

最低の行動だ。

誰の前からもいなくなる。それが最適解だ。

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