徹夜の代わり

 初めて完全に徹夜をした。気分は最悪と言っていい。睡眠が思ったよりも大事ということが分かったことだけが今回の収穫だ。

一日徹夜するとかえって元気になると言っていた人も学校にいた気がするが、その人の気が知れない。今にでも意識が落ちてしまいそうだ。

考えることすらつらく感じる。とにかく寝たい。このままソファーに座りながらでも眠ることができてしまいそうだ。でも七瀬さんが昨日しようとしてきたことを考えると、気を緩めることができない。結果としてこんな長い間起きていることができたんだけど。


その七瀬さんというと、朝の八時になっても惰眠を貪っているようだ。早く代わってほしいのに。


七瀬さんってロングスリーパーなのかな。前に泊まりにきた時も、かなり長い時間寝た上に、お昼寝までしていた気がする。

頭がいい人にはロングスリーパーな人が多いと耳に挟んだことがあるけれど、あながち間違ってはいないのかも知れない。



‥‥遅い。起こしに行こう。

前は布団の中に引き込まれてしまったが、今回同じことをされてしまうとそのまま眠ってしまいそうなので、頭側に回り込んで七瀬さんをつつく。


「七瀬さん。そろそろ起きてほしいんですけど。私が倒れる前に。」

「ん~。やだ~。ゆきねも来なよ~。」


寝不足の私にとって、それは甘美な響きを持って脳まで届く。


いや、だめだ。ここで飲まれたらいけないと頬を噛んでじっと耐える。


「無理やり叩き出しますよ。いいんですか。」

「ゆきねがやるなら‥‥‥ふぁ~。どっちでも。」

「言質は取りましたからね。」


強硬手段だ。七瀬さんをベッドから引きずり下ろし、ソファーまで運んでいく。

抵抗はされなかった。というか寝ている。よく運ばれながら起きないな。


やっと鍵がかかる部屋が空いた。

ベッドへとダイブする。

さっきまで寝ていた七瀬さんの香りがする。


幸せ。

そのまま私は眠りについた。



今何時だろう。現代人としてまず確認するべきものである時間を確かめる。

十三時。

遅いようで実際の睡眠時間は四時間強といったところか。

でも、だいぶ頭はすっきりした。


七瀬さんにはタブレットのパスワードを教えてあるし、多分まだリビングにいるだろう。

朝は勝手に食べていることを願うばかりだ。



「おはよう。ゆきね。」

「ひゃっ。」


思わず黄色い声が出てしまった。

急いで後ろを振り返る。

いた。七瀬さんだ。気づかなかった。

私鍵閉めたと思うんだけど‥‥‥閉めたっけ?


あの時の記憶が定かではないのでよく分からない。


「結局ゆきねも寝ちゃってたね。というか、私が外に運ばれてたのは何で?」

「嫌だったので。」

「ゆきねは私のこと好きじゃないの?」


嫌いじゃないけど。好きだけど。だからといって全てを容認できるわけじゃない。


「そんなことは無いですけど。昨日のことを鑑みた結果です。」

「あーあ。ゆきねとの時間を作るためにせっかくお泊りしたのに。これじゃあ何のためだったのか分からないよ。」

「それは、すいません。」

「だからゆきねの十分、私に頂戴。それで許してあげるから。」

「だからに繋がってませんよね。前から思ってましたが、七瀬さんたまに接続詞の使い方を間違えてませんか?」

「そんな事ないよ〜。どちらにせよ、今回はゆきねが悪い。私がせっかく一緒にいようとしたのにさ。」

「昨日の夜のこと、もう忘れたんですか。」

「いいじゃん。どうせいつかすることなんだから。今でも変わらないって。」

「結構変わりますけどね。」

「それで、どうするの。十分だけで私は許してあげるって言ってるんだよ。」

「許される必要はないと思うんですけど。私は何も悪くないですし。」

「だったら無理やり口開かせちゃうけど。」


そう言って私をホールドしてくる。ゾゾっとした。


十分。短いようで単純に計算すると六百秒。長い。

だが、どうしても嫌な事はしてこないだろうし、ここでとやかく言っても無駄である事は経験から明らか。

私が布団のことを忘れていたことが全ての原因だし、今回は諦めて受け入れることにしよう。

キスくらいならもう変に緊張はしない。かな?何度もやったことだし。


「変なことしないで下さいね。嫌いになりますから。」

「分かってるって。それじゃ、今から十分ね。」


七瀬さんは律義にスマホでタイマーをセットした。


どんなことをされるかと思いきや、七瀬さんは私をただ抱きしめているだけだった。

これくらいなら、いつでもいいのに。むしろいつでもして欲しい。


いや、こうやって安心を誘う魂胆かも知れない。気をつけなくちゃ。


五分くらい経過しただろうか。

七瀬さんが腕を緩める。


いよいよか、と思いきや七瀬さんは何もしてこない。


「七瀬さん?」

「ん。ゆきね。‥‥今は私のいうことを聞いてくれるんだよね?」

「可能な限りですが。」

「だったらさ、私にこの前みたいにキスしてよ。」


‥‥‥‥何がしたいんだろう。恥ずかしいって前に言っていたような。


まあ、それくらいならいいか。減るものでもないし。

七瀬さんの口に軽く触れさせる。

彼女の顔はやっぱり赤かった。


「満足しました?」

「うん。大好き。」


いつもと何か違う。私が寝ている間に何かあったのだろうか。


そして十分が経った。



朝ご飯‥‥お昼ご飯を食べた後は、七瀬さんの提案でスケートをしに行った。

近くの公園に期間限定で特設リンクが設けられたようだ。どこからそんな情報を手に入れてくるんだろう。

スケートは中々に大変だった。まず、摩擦がない。つまり、いつものように立とうとしても、バランスが取れず転んでしまうのだ。七瀬さんにさんざん可愛いと言われて泣きそうになった。

少し慣れてからは、足が慣れたのか周りにいる人と同じくらいには滑れるようになっていて嬉しかった。普段しないような運動だったので割と疲れてしまったけど。


七瀬さんはとりあえず凄かった。一人だけクルクルと回っていて人目を集めていた。

なんでもできるとは聞いていたし、わかっていたつもりだったけれど、こうも差を見せつけられると驚きを通り越して帰って呆れてしまった。

本当になんで私なんかを好きになったんだろう。全く釣り合わない。


途中からは完全に見物に回ったので、少し冷えてしまった。



七瀬さんとはそこで別れて帰ってきたので、帰宅した時には一人だ。

でも、前まであったような虚無感はそこに無かった。


また七瀬さんが来てくれるから。不確かな確信がある。

いや、七瀬さんは私のことが好きなようだから来る事は確かなんだけれど。

七瀬さんに色々と依存してしまっている気がする。もう後戻りはできそうにない。それほどまでに、私の大部分を占めている。

好き、なのかな。自問自答しても分からない。

こんなことを考えるのは、時間の無駄だと現実に戻る。


今日はほとんど寝ていないので、早く寝てしまおう。

そう決めてシャワーを浴びる。



鏡に映った私の腹部には、斜めにかかった白い傷跡がある。

手で触れても痛みはない。ただ、僅かな違和感があるだけ。今までもそうだったが、この傷を見た人は決まって同情をしてきて、可哀想なものを見るような目をする。本人の思いなんて関係無く、まるでそうする事が至上の事であるかのように。

だから、これは誰にも見られたくないんだ。

七瀬さんなら、きっと善意で慰めようとしてくるだろう。でも、そんなことは望まない。


お風呂から上がると、七瀬さんからのメッセージが来ていた。

次は二人で水族館に行きたいらしい。水族館ならまだ楽しめそうだ。


その日はいつもより早く寝てしまった。


まだまだ寒い冬は続くが、少しだけ春の足音がし始めた気がする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る