秘め事
私の仕事は、喫茶店での給仕だ。チェーン店とかではなく、いかにも昔の喫茶店です、といった雰囲気を出しているお店。
ここで働くようになったのは、なんとなく親の遺産で生きているという状況に不安になったから。きっと私が大学に入っても難なく暮らしていける分ならあるが、それとこれとは別の話だ。そして、同世代の人間がほとんど訪れることがないから、という単純な理由だ。
当初は週に二三回は顔を出していたが、最近は土曜日だけということにしている。この日が一番人手が足りないのだ。日曜日は定休日だし。
スライド式のドアを開けると、香ばしいコーヒーの香りが漂ってくる。マスター(便宜上そう呼ぶことになっている。)が淹れるコーヒーとチーズケーキとはここにくるお客さんの大半が注文するほど人気がある。
「こんにちは。今日もいい香りですね。」
「こんにちは。白世さん。そうか、もう土曜日か。それじゃあ今日はよろしくね。」
「はい。お願いします。」
そうして、仕事のスイッチを入れる。
「いらっしゃいませ。あいているお好きな席へどうぞ。」
「コーヒーとチーズケーキのセットを二つですね。かしこまりました。」
「こちらがケーキセットとなります。ラテアートはマスターのサービスだそうです。」
口が勝手に動くくらいにはこの仕事に慣れた。働き始めてから半年も経ったのだ。短いようで長い。
だから、頭を使わずに色々と出来るようになっている。
こんな風に。
「幸音。」
「かしこまりました。ゆきねですね‥‥?‥‥七瀬さん?」
どうしてここに七瀬さんが?というか、腰巾着たちもいる。どうして?
「幸音、ここで働いてたんだね。やっと見つけた。」
ということはストーカーではない?
じゃあ何で見つかったんだろう。
「どうしてここに来たんですか?」
「だって、ここのチーズケーキがおいしいって口コミであったから。幸音が帰ってくるまで暇だし、ちょうどみんなもどこかに行こうとしてたみたいだから。幸音がここにいるってことは知らなかった。これは本当。」
「そんな偶然あるんですね。」
出来すぎた話だと思う。でも事実だというのだから仕方がない。ばれたらこれといった不都合があるというわけでも無い。七瀬さんが来るようにならなければの話だけど。
「まあ、取り敢えず注文しよ。みんなはチーズケーキとコーヒーでいい?」
「それで頼むわ。」
「じゃあ、チーズケーキにコーヒーを四つずつ。お願い。」
「かしこまりました。少々お待ち下さい。」
「白世さんの友人かい?」
「はい。同じクラスの人です。」
「そうかい。珍しいね。白世さんは今までそういったことは無かったのに。」
「偶然見つけたそうですよ。私が呼んだわけではありません。」
「ほお。そんなことがあるんだね。じゃあ、はい。これ持って行ってあげて。」
「了解です。」
「お待たせいたしました。ミルクと砂糖はこちらを使って下さい。」
「ねーねー。幸音のおすすめ比率は?」
「そうですね。コーヒーとミルクが半々程度がいいかと思います。私がやりましょうか?」
「じゃあお願いするね。」
「かしこまりました。」
コーヒーにミルクが広がっていくのは見ていて楽しい。
「出来ました。」
「わあ。上手。ありがとう。」
「どういたしまして。」
お店口調でやるか、いつも通りでやるか少し迷う。
七瀬さんたちは一時間くらいで帰っていった。
私のバイトが終わったのは、この三時間後くらい。
終わるのに決まった時間はないけれど、大体五時には終わる。
約束通り七瀬さんに連絡を入れると、ものの数秒で既読が付いた。
早い。
「幸音遅いよ~。」
「まだ六時前ですよ。夜にすらなってないですけど。」
「待ちくたびれたの。仕方ないから、今日は泊っていく。」
「はい?何でですか?」
七瀬さんってたまに接続詞の使い方が変になる。
「今日は全然幸音といられてないから。」
「う~ん。親に許可は取りました?」
「もちろん。ばっちりだよ。」
心なしか恐怖を感じる。
「別にいいですけど‥‥‥」
「嫌なの?」
「嫌では、無いです。」
「だったらいいよね。じゃあお邪魔しま~す。」
人の気も知らないで。
「働いてる幸音。可愛かった。」
「‥‥人が真面目にやってるのに。」
「褒めてるから。全然褒めてるから。」
「普通かっこいいとか言うものじゃないですか。なんで可愛いって。」
「いいじゃない。は~。また見に行こうかな。そこまで遠くないし。」
「絶対来ないで下さい。見られたくないので。」
「恥ずかしいの?」
「そうじゃないと思います?」
「でも見たいから。お金を払えばこっちはお客さんだからね。」
「お客様は神様みたいなこと言わないで欲しいんですけど。」
「じゃあまた行ってもいいんだね。」
「説得しても無駄ですね。もう勝手にして下さい。」
バイトの曜日、変えてもらいたい。
でも、日曜日は定休日だし。変えようがない。
甘んじて受け入れよう。
七瀬さんは基本無視だ。
「ゆきね。そろそろお風呂入ろ。」
「お湯は沸いているので大丈夫ですよ。好きな時に入って下さい。」
「じゃあ今ね。ほら。ゆきねも行くよ。」
「‥‥私もですか?」
「そう言ったの。」
「拒否しますね。」
これだけは無理だ。お腹の傷を見られたら怖がらせてしまうだろうから。
「かたいなあ。頑張れば二人で入れるって。」
「そういう問題じゃないんです。とにかくお風呂には一人で入って下さい。」
「うーん。そうだね。まだ早かったね。今日はやめておくよ。」
「今後もやりませんよ。」
「それは、幸音が一番分かってるでしょ。」
含みのある言い方だ。
やらないから。
「お先にいただきましたっと。幸音も入りなよ。寒いでしょ。」
「じゃあそうしますけど、入ってこないで下さいね。」
「‥‥‥うん。入らないと思うよ。」
「今の間は何ですか?」
信用できない。鍵を閉めておこう。
がちゃん。
私がシャワーを浴びていると、何かの音がした。
十中八九七瀬さんが侵入しようとしてきたのだろう。
転ばぬ先の杖というが、本当に役に立った。
「七瀬さんの変態。どうして開けようとしたんですか。」
「た、たまたま手が滑っただけだし。」
「手が滑った?この距離をどうやって滑らせたら浴室の扉まで届くんですか。つくならもっとましな嘘をついて下さい。はぁ。」
「入れてくれたっていいじゃん。女の子同士なんだから。」
「いくら同性でも嫌なことくらいあります。」
「じゃあ寝る時くらい一緒でね。いいでしょ?」
あ、完全に失念していた。
前回布団を買いに行こうって考えたのに。
明日は絶対に布団を買いに行く。必ずだ。
「じゃあ、今日は私徹夜するので。ベッドは好きにどうぞ。」
「そんな。嫌われてる?」
「聞きますが、お風呂に侵入しようとしてきた人と同じところで寝たいと思いますか?」
「‥‥‥私はいいと思う。」
どこがだよ。
「とにかく朝まで私はドラマでも見ているので、寝たいなら勝手にして下さい。」
「お肌に良くないよ。」
「そんなことは知ってます。」
「うーん。私も寝ないように頑張る。」
「七瀬さんは別に寝てもいいですからね。」
そんな会話があってから四時間くらい。
映画も二本見終わった。
隣を見ると、七瀬さんが寝ていた。
だから言ったのに。
仕方がない。運ぼう。
一人で眠る七瀬さんは、とても愛らしい見た目で、まるでおとぎ話の世界から出てきたようだった。
「おやすみなさい。」
七瀬さんの眠る部屋に、私の声はゆっくりと溶けていった。
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