お見舞いとお返しと

 私が回復して、再び登校できるようになると案の定、七瀬さんは学校へ来ていなかった。

お見舞いは面倒だが、看病をしてくれたお礼ということでとりあえず顔は出そう。

彼女と同じで、経口補水液と果物、あとはゼリー飲料で良さそう。

そういえば、わざわざ学校名簿から住所を調べてから来てくれたのかな。彼女の住所は友人に聞けばすぐ分かったけれど、私のは知っている人がほとんどいないから。


 彼女の家は学校から徒歩十五分程度で着いた。普通の一軒家という感じだ。

インターホンを押すと彼女が出迎えてくれた。心なしかこの前より、頬が紅潮している。熱が引ききってないようで、そこまでして学校を休みたいかと思ってしまう。やっぱり七瀬さんは分からない。


彼女の部屋へ通されたが、一度台所を借りてリンゴを切る。

おいしそうに食べてくれた。一通り周りの整理をしてあげたりしていると彼女は、


「前のこと、怒ってる?」


と聞いてきた。なんだろう。いきなり。

怒っているわけではないが困惑はしたと伝えようと彼女を見ると、目を伏せ、不安そうな表情をしていた。

私が悪いのだろうか。ここは少し元気になってもらおうと、


「いきなりで驚きましたけど、会いに来てくれてうれしかったです。」


と無難な返事を返す。


「良かった。急に倒れちゃったし、嫌われたかもしれないって少し不安だったの。」

「そんな心配をするくらいなら、あんなことしなければよかったんです。」

「いや。あのお陰で休めてるし、休めることには感謝しないと。六日間分の疲労を一日の休みで回復できるわけがないし。それに、白世さんのかわいい顔が見られたから一石二鳥だよ。」

「そう軽々と恥ずかしいことを言わないでください。」

「そういうところがかわいいんだよ。ね、ちょっとこっち来てよ。」

「また変なことしませんか。」

「大丈夫。もう休めてるから意味ないことはしないよ。」


その程度ならいいかと思い彼女のいるベッドに腰掛ける。


「もう少し寄って。」


言われたとおりにすると、横倒しにされ背中に抱きつかれた。ぬいぐるみじゃないんだけど。

普段のように友人が周りにいないから寂しいのか、と一人納得して仕方なくなすがままにされる。

頭をなでられていると、少しずつお腹の底があったまってくるような、そんな気がした。

ふと、彼女の顔を見ようとそちらへ転がると、そのまま強く抱え込まれる。

クッションに顔を押し付けられる。負けてる、と思った。知ってたけど。まだこれからだから。


そんな馬鹿なことを考えつつ、無意識のうちに彼女に手を回していることに気づく。

優しく抱きとめられていると、一瞬視界がぼやける。こんな場所では泣けないので、顔を強く押し付けて収めた。なんでだろう。



 いつの間にか彼女は眠っていた。

時計を見ると七時を回っている。寒くなり始める時間なので帰りたいが、鍵を閉める必要があるだろうし、病人を起こすわけにもいかない。どうしよう。


幸いなことに、明日は祝日でお休みなので遅くなってもかまわないのだが、彼女の親が帰るまでは暇である。

それまでは、本でも読んで時間をつぶそう。

強く締め付けてくる手を何とか振りほどき、ベッドから抜け出す。


「‥‥‥幸音ちゃん、」


なぜ下の名前で呼ぶのか。どんな夢を見ているんだろう。


どうやら七瀬さんは推理小説が好きなようだ。今の若者って感じ?

中には表紙から何かが暗示されていると思われるものもある。とりあえず、目についた本をぱらぱらとめくっていると玄関で音がした。

挨拶はしておくべきだろう。


「こんにちは。七瀬さんと同じクラスの白世幸音あきよゆきねです。お見舞いに来ました。」


ファーストインプレッションは問題ないだろう。


「あら、こんにちは。瑞樹みずきの母の美雪みゆきです。わざわざ来てくれてありがとうね。でも、うちの子インフルエンザなんだけど大丈夫?」

「おそらく、私がうつしてしまったものなのでお気になさらないでください。」

「もしかして、うちの子が無理言ってしまったんじゃないかと思ったのだけど、そういうことなら気にしないで。あの子の様子だと、どうせどこかで風邪でもひいていたと思うから。」


まあ、言われて来てはいるんだけど。


「そうなんですか。でも、私もかかったばかりなので大丈夫です。心配していただきありがとうございます。それと、今は瑞樹さんは寝ているので、私はそろそろお暇させていただきます。」

「もう遅いから気をつけて帰ってね。白世さん、ありがとう。」

「いえ。大したことはしてませんので。では失礼します。」


そう言って七瀬さんの家から外へ出る。

冬の始まりの夜は思わず身をすくめてしまうほど寒く、けれど私は心の少しの温もりを暖かく感じていた。



 「ただいま。」


私の声に返事をしてくれる人はいない。いつものことだ。数日前に七瀬さんが来た私の部屋を見回す。

寂しい。そう思った。

七瀬さんに抱かれていた時の、満たされるような感覚を思い出して、思わず身悶えしてしまう。

親は、もういない。


「誰か。」


口にしても変わることのない状況に、思わず涙がこぼれ落ちそうになる。

いけない。これも全部七瀬さんのせいだ。

いつも一人で大丈夫だったから、今日も大丈夫。そう言い聞かせて、夕飯の支度をする。

一人でご飯を食べ、お風呂に入り、ベッドに横になる。


一人、孤独‥‥‥心でぐるぐると、自分を追い詰めるようにつらさが蓄積してくる。


眠って忘れなきゃと目をつぶる。

隣に誰もいないことに違和感を覚える自分がいる事に気づく。いつもと何も変わらないのに。

私がもう一人いたら寂しくなかったのかな。

その夜、今年初の雪が降った。



 お見舞いに行ったことで貸し借りはなくなり、もう七瀬さんと話すこともないだろうと思っていた。なのに、彼女が復活したその日の昼休み、


「白世さん。隣、いい?」

「気にしないのでどうぞ。」


なんでや。今まで碌なコミュニケーションをとったこともないのに、いきなり距離が近くなるなんて不自然に思われる。

ほら。周りの人も不思議そうな目でこっちを見てる。

そんな視線を意に介さず、彼女は


「そのお弁当、白世さんが作ってるの?」

「はい、そうですよ。自分で作っています。」

「それじゃあさ、この卵焼き。もらってもいいかな?」

「別に構いませんよ。ただの卵焼きです。」


いきなり話しかけてきたと思ったら、お弁当とられちゃった。お腹すいてたのかな。


「うん。おいしい。」


よかった。まずくなくて。

そんなやり取りをしていると、いつも七瀬さんといる人たちが寄ってくる。


「白世さんと瑞樹ってそんな仲良かったっけ?」


あ、七瀬さんの腰巾着。

なんか申し訳ない。でも七瀬さんは、


「白世さん、私が休んでいるときにお見舞いに来てくれたんだ。」

「七瀬さん?!」

「そうだよね。幸音。」

「えっと‥‥はい‥そうです。」

「ほら、そういうわけなの。」


どういう訳だよ。

あと名前呼びは卑怯だと思う。いきなりそんな風に呼ばれたら困る。


「瑞樹ってインフルじゃなかった?白世さん大丈夫なの?」

「それは、おそらく私がうつしてしまったからだと思うので。私は免疫がついているので大丈夫です。」

「ふーん。瑞樹、ごめんね。インフルだからお見舞いはいかないほうがいいと思ってた。」

「大丈夫。白世さんが特別だっただけだから。でもなっちゃん、心配してくれてありがとう。みんなもありがとうね。」

「それならよかったよ。」


周りを囲んでいた人たちが自分の席に戻っていく。


「あの、七瀬さん。今のはどういう。」

「ねえ。幸音。」

「‥はい。なんでしょう。」


やっぱり名前呼びは苦手だ。というか名前、覚えてたんだっけ。


「幸音。今日行くから。家にいてね。」

「?‥分かりました。」

「よし。じゃあ待っててね。」


否定することもできなかった。これだから名前で話しかけられたくないのに。

今日七瀬さんが来るのか。今度はポッキーゲームでも断固拒絶だ。




 「いらっしゃい。どうぞ。」

「お邪魔しまーす。」


七瀬さんが来た。とりあえずダイニングに通す。

なんでこんな何もない家に来たんだろう。まだ外で何かするのなら分からなくもないが。


七瀬さんは私の向かいの椅子に腰かける。


「それで今日はどうして家に?」

「お見舞いに来てくれたでしょ。それのお礼をして来いってお母さんがうるさくて。」

「ああ。そういうことですか。」

「ということで、はいこれ。ちょっといいバウムクーヘンらしいよ。」

「そんな大層なことしてないのに、わざわざすいません。ありがとうと伝えていただけますか。」

「おけおけ。」


バウムクーヘンなら紅茶でいいかな。

確か茶葉は人数プラス一杯だったかな。


「ところでお昼、なんで私の名前で呼んだんですか。」

「え?なんとなくだけど、ダメだった?」

「ダメではないですが、あまり気分が良いわけではなかったです。」


私の名前を呼んで区別する必要なんてもうないから。親しい人はもういないから。

そう理由を頑張ってつけても結局は家族がいない寂しさにつながる。それだけだ。


「そっか。ごめんね。次からは気をつけるよ。」


本当は私が謝らなきゃ。七瀬さんはただ親切にしてくれてるだけだから。

暗い女だな私。


「白世さんはいつもこの時間帯に何をしてるの?宿題?」

「普段は宿題をするか、本を読むかで時間を潰してます。それと土曜日はバイトです。」

「働いてるんだ。でも、うーん‥‥ぼっちって感じ。友達いる?」

「一人でも死ぬわけじゃありませんし、友達と言える人もいないわけではないので平気です。」


一人でいることにはもう慣れた。

本には私と同じように一人で生きているような子供の話がよくある。私の好みはそういった類のもの。

フィクションだとしても、同じような感情が吐露されているこういった小説が一人でいるという空虚感を紛らわせてくれる。


「そう?それとさ、前から気になってるんだけどなんで同年代に敬語を?」

「これは、癖と言いますか、当たり障りのない学校生活を送るためには必要かなと。」

「多分そのせいで近寄りがたい雰囲気を醸し出しているけど。」

「仕方ないことです。そもそも、私と付き合うメリットはほぼないでしょう。口調程度で人間関係が大きく変わるとは思えませんし。」

「そんなことないと思うんだけどな。試しに、私に敬語なしで話しかけてみない。」


自分を偽るということが癖になってしまったから、私は愛想のない人になった。


「ちょっと今は難しいので、また今度ということでお願いします。」

「え〜。つれないなあ。」

「いきなり変えるというのは難しいので。

それと、逆に聞きますが七瀬さんはこの時間に何をして過ごしているんですか。」

「七瀬さんじゃなくて呼び捨てでいいよ。瑞樹でもいいし。」

「いえ。遠慮しておきます。」

「それで質問ね。ん〜、そうだな〜。私は普段、友達と適当に時間をつぶしてるか、家でのんびりしたりとかかな。」

「そうなんですね。」


適当に会話を交わしていると二分が経った。


「どうぞ。」

「ありがと。」


もらったバウムクーヘンは、さっぱりとした甘みに香りがいい。いい店なんだろうな。



「はい。」


目の前にフォークが差し出される。別に食べないけど。まだ自分の分が残ってるし。


「まだ自分の分が残ってますから大丈夫です。」

「量とか関係なく、食べさせてあげたいの。」

「いらないです。というかこの間のポッキーより、まだこうやって食べさせあう方が精神的なダメージが少なかったと思うんですけど。呼吸もできますし。」

「まあまあ。細かいことを気にしてると嫌われちゃうぞ。」

「別に嫌われてもかまいませんが。」

「そう悲しいこと言わない。」

「すいません。」

「別に謝ってほしいわけじゃないんだけど。それより一口どうぞ。」

「食べさせてもらう必要がないのでは?」

「私が食べさせてあげたいだけだから。」

「恋人同士というわけでもないんですよ。拒否した場合は?」

「食べるまで待つ。」


デジャヴを感じる。前も似たようなことがあったような。


「どうしてもですか?」

「二言はないね。」

「そうですか。」


普通に変人。いや。これが普通の女子高生であるという可能性も無きにしも非ず?


「こういったことは一般的なんですか?」

「とても逸般的だよ。」

「他意ありますね。」

「うそうそ。でも食べてくれないと私悲しいな。あー。私って嫌われてるのかな。つらいなー。泣いちゃいそうだなー。」

「はぁ。分かりました。食べればいいんですよね。」


いつも七瀬さんのペースに飲まれている気がする。


「そうそう。それでいいの。はい。あ~ん。」


無言で頬張る。味は変わらない。


「満足しました?」

「うん‥‥‥いや、まだだ。白世さん。私にも食べさせて。」

「そんなに楽しいものではないと思うのですが。」

「仲良しなのはいいことじゃん。」

「そう思うことにします。」


適当なサイズに切って七瀬さんの口元まで運ぶ。

この体勢は地味にキツイ。


「一口、どうぞ?」

「むっ。うまっ。」

「同じものなんですけどね。」

「気持ちの問題だよ、気持ちの。」


そんなこともありながら、七瀬さんは帰っていった。

この距離感は疲れるな。私、疲労で倒れないかな。少し心配。



 その日から七瀬さんはときどき私の家に遊びに来るようになった。とはいっても、することといえば本を読んで、お茶を飲んで。そのくらい。お菓子を交換することはあるけど。

楽しいのかは私には分からない。

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