死出虫

山楝蛇⛰🐍📖

死出虫

焦げ茶に白抜きの文字で書かれた看板は

目を逸らしてとっくのとうに通り過ぎた。

SpaceOddityがスマートフォンから寂しげに

流れて静かな樹海に響き渡る。

デヴィッド・ボウイの諦めを含んだような

掠れた歌声だけが静かな樹海を突き進む

私の背を押した。


どうにも出来ないような、

どう頑張ってもそこから戻れないような場所へ

早く着きたい。

もう二度と死にたいと思えなくなるように、

自分を甘やかしてやりたいのだ。


左手に酒と薬が大量に入ったビニール袋、

右手に爆音のスマートフォンを持って

樹海の奥へ奥へと進んでいると

作業着を着た中年男性が

こちらを向いて直立していた。


声を掛けるべきかふと迷ったが風向きが

私にその必要が無いことを教えてくれた。


怖さが無い訳では無い。

ただ自分も数時間後には彼のように

この世で最も醜くて汚くて寂しい姿になって

いるのだろうと思うと親近感が芽生えて

少しだけ優しい気持ちになった。


高校時代、私がまだお利口さんだった頃。

私立の無駄に広い大図書室の文庫本棚の

端に置かれた滑車付きの踏み台の上で

三島由紀夫の描く「死」に出会った。


彼の鉛筆に描かれた汚く醜い世界の中で

彼の美学の上に成り立った「死」は、

どれも燦然と輝く美しさを取り戻そうと

活力がみなぎっているものだった。


更に彼の散り方があの様なものだったからこそ

人は美学の下に死ぬもの、

よって死は美しさを纏っているもの。

私も彼の描くような美しい死に方が出来る物。そう思って生きてきた。


しかし今の私はこの中年男性の

汚くて臭くて醜悪なこの首吊り死体を見て、

ふとそれが間違いだったのでは無いかと

思い返した。


しかしこの瞬間もこの醜い腐りかけの死体に

人生にすら飽きた女が一人、

感情を持って寄り添っている辺りが、

「死」が引力を持って私を引き寄せて

そこに私が勝手に美を見出してしまった

証明となるのだろう。


おじさんの死体の足元に散乱した

大量の酒缶の中に地図が描かれたたった1枚の

破られた紙切れが落ちているのを見つけた。


「完全自殺マニュアル」

「絶対に誰にも知られずにひっそりと

自殺したいならば迷わず樹海に踏み入る事を

お勧めする。」


「こうしてあなたは人々の記憶から

永遠に忘れ去られる。」


なるほど。この人は忘れ去られたかったのか。邪魔してごめんなさい。


「お酒好きだよね。ごめんね。」


1人で呟いてビニール袋から酒缶を取りだして

彼の亡骸にぶちまけた。

飛ぶ事を忘れたシデムシたちがゾロゾロと

逃げ惑ったが、酒の匂いを嗅ぎつけると

またゾロゾロと死体に寄集って舐め始めた。


「じゃあね。忘れられるといいね。

地図ちょっと借りるね。」


そう呟いてまた歩き始めた。


1時間近く歩いて西陽がさし始めた頃、

私は怖くなって歩くのを辞めた。


「歩くのも飽きちゃったか。

もう、ここでいっか。」


酒という酒を浴びるように飲みながら

大量の錠剤を見る。


新宿でOD遊びをしていた少年少女達から

有り金叩いて買い付けた大量の睡眠錠剤。


「おばさんマジで死ぬの!?ウケる‪ww‪w‪」


10代に舐め腐られながらも薬を受け取って

彼等とは話してみたくもあったが

今となってはもう目を逸らして

駅に踵を返すしかなかった。


私もあんな未来もあったのかなぁ。

今更そんなこと言ってももう遅い。

2時間前の私の策略通り私はもう戻れない。

トム少佐の心情もデヴィッド・ボウイの歌声もちょっと合点が行って落ち着いた。


「よし。」


睡眠薬を全部一気に飲み込んで木に下がった

おじさんから拝借した縄に首を掛けようと

した所で意識が遠のいて行った。


涙でボヤけた世界が傾いて暗くなった。

美しさを感じる暇もないんだなぁ。

と思いながら、私は死んだ。















どれほど経ったか。

近くで何かが動いている。

動物に食べられてるのかなぁ、、、。

ボヤついた意識で目を開くと

あまりに暗くて何も見えなかった。

ただよく見ると人影である事はわかった。

なるほど。

私に楽な死に方はさせて頂けないようだ。



私は知らない男に犯されているらしい。

男は私を死んでいると思ったのだろう。


起きたばかりで手首から血が流れ尽くした私に

抵抗する体力も気力も残されていなかった。

声も出なければ体も動かない。


色々迷いながらも必死に生きてきて

やっと死ぬ決心がついて死んだはずの私は今、死体として見知らぬ男に犯されている。

私の死は本当に美しく飾られるのだろうか。


もはや尊厳も何もかも失った私に

残っているものも残すべきものも無い。

私は抵抗もせずそれが終わるのを待って

彼が満足するまで静かに犯され続けた。


やっと満足したのか男はズボンを上げて

地図を持ち去り歩き出そうとした。


私は出来るだけの力を振り絞って声を出した。


「楽しかった?」


男がこちらへ振り返った。



「なんだ生きてたのか。悪い事したな。俺ももう死のうと思ってるから許してくれ。」


「じゃあ、もう、殺して。」


「わかった。いいよ。」


先程手首を切るのに使ったナイフを

男が取り上げるのを見て首を突き出した。


思いがけない事に男は笑いながら

私の腹にナイフを刺して掻き回した。


あまりの苦痛に嗚咽が漏れた。


「ごめんなぁ、

でも死ぬ前位好きな事したいよな。」


見知らぬ男に玩具として遊ばれ、

精神的にも肉体的にも痛めつけられる

苦痛からの逃避としての死を待ち望んだ。


惨めなことにひたすらに男に掠れた声で

殺してくれと懇願し続けたが、

とどめを刺すこと無く男は歩き出した。


美学も何も考える暇を与えず苦痛が襲った。


樹海は数分間私の荒い叫ぶ息音を聞いて、

壊れた玩具になった私をゆっくり迎え入れた。

私の腹からこぼれた臓物に虫が集っている。

1匹のシデムシが、こちらを見ていた。

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