流離の葛篭・溝出
流離の葛篭・溝出:第一話
天星珈琲店の暖簾を潜った先は、すぐお勝手になってるみたいだった。
その奥の奥にほんのりと見覚えのあるドアがある。
多分、あそこが私が寝かされてた部屋なんだろうなぁ、と思う。
そして、もう一つ。お勝手と廊下を挟んだ向かい側にも引き戸があって、ここにも部屋があるんだなぁ、って。
「ん~~……どうしよう。本当はあの男の声が聞こえないところの方がいいんだろうけど、ちょっとあの男が何を持ってきたのか気になってるんだよね」
「周さん、本当は探偵さんですものね。それは気になりますよねぇ」
「雪ちゃんは、オレが傍にいなくても一人で自分の部屋にいられそう?」
「う、う~~~ん……」
心配そうな顔をした周さんに顔を覗き込まれて、思わず考え込む。
あの怒鳴り声を聞くのはあまり気分がいいものじゃない。だからと言って、一人でいるのもそれはそれで心細いのよね……。
素直な気持ちを天秤にかけ、私は周さんの目を見つめ返した。
「私も、周さんと一緒にこっそり聞きに行きます」
一人でいるより、二人でいる方が心強いなぁって思ったの。
確かに大きな声は怖いけど、その怒りをぶつけてる対象は私ではないでしょう?
それに、いくら声が多くても直接殴られたり蹴られたりするわけじゃないだろうし、ね。
「え、ほんとに? 怖くないかい? 大丈夫?」
「周さんが傍にいますし……心を決めたので、大丈夫です!」
「そっか。雪ちゃんは強いねぇ」
ニカッと笑った周さんが、ポンと励ますように軽く背中を叩いてくれた。
ちょっと痛かったけど、今はその痛みが心強い。
気合を入れるようにぐっと小脇に力を入れた私を手招きする周さんが、ポケットから取り出した鍵を扉のカギ穴に差し込んだ。
……ここで、どうして周さんがカギを持っているのか突っ込むのは〝野暮〟っていうものかしら?
「わ、わぁ……!」
身体を滑り込ませた部屋の中は、そんな些細なことが吹っ飛ぶくらいに壮観だったわ!
思わず声を上げそうになって、慌てて口を手で押さえて完成を抑え込んだ。
だって……だって! 床から天井まである棚が部屋いっぱいに設えられていて、色々な品物が所狭しと並んでいるの。
「ここ、伊吹の店……【山吹堂】の倉庫なんだ。伊吹はさあ、琴線に触れると価値の有無にかかわらずホイホイ買い取っちゃうくせがあってさあ。それがこのザマ、ってわけ」
「ああ、なるほど。だからこんなに物品があるんですね」
「そうそう。いい加減、買い取る品は厳選しろ~って言ってるんだけど……なんかまた増えてる気がするんだよなぁ」
倉庫というだけあって、店頭とは趣が全く違ってるのね。
着物は
……それにしても、伊吹さんと周さんは、かなり気が置けない仲なのねぇ。
まぁ、そうじゃなければ、だいじな倉庫のカギを預けたりはしないか。仲が良いのは、いいことだわ。
「……っと。そこが、店先に繋がってるんだ」
「…………!」
声も足音も潜めてたなと棚の間を進んでいく周さんが足を止めた先には、長暖簾がかけられた戸口があった。
そこから、至極冷静な伊吹さんの声と、さっきよりも一層激高したような男の人の怒鳴り声が聞こえてくる。
周さんと顔を見合わせて、二人同時にコクリと頷きあった。
忍び足で姿が見えなさそうなギリギリまで近寄って、暖簾越しに会話に聞き耳を立てる。
『何で買い取ってもらえないんだ! ちゃんと宝石だって本物だろうが!』
『まぁ、確かに、モノ自体は悪くないが……』
『~~~っっ! どいつもこいつも! おれとの縁が薄いだの身なりと合わないだの、足元視やがって!』
……話を盗み聞きする限り、男の人は持ち込んだ品をどこも買い取ってくれないことに怒ってるみたい。
ここに来ても、伊吹さんがのらりくらりと交わしているのがよほど気に食わないんでしょうね。感情のままに怒鳴り散らしてるわ。
戸口の傍に膝をついた私の後ろで胡坐をかいてる周さんをチラリと振り返ると……そりゃあもう険しい顔をしてる。
そりゃあ、ねぇ……仲のいいお友達が怒鳴られてるこの状況は、あんまり気分のいいものじゃないわよねぇ。
「や……何か勘違いされてるけど、違うからね? 伊吹が怒鳴られてるのが不快ってわけじゃないから」
「え、そうなんですか?」
「いやぁ……なんかあの男、妙にキナ臭い感じがするからさぁ」
あ、あら。見当外れなことを考えてたのね。
心外、っていう顔をした周さんに、真剣に首を横に振られてしまったわ。
それにしても、キナ臭い……かぁ。私にはさっぱりわからないんだけど、周さんの探偵としての勘が働いてるのかしら。
「………………ん?」
「どうしたの、雪ちゃん?」
不意にキィンと耳鳴りがして、男の人の怒鳴り声が遠くなった。
怪訝そうに、心配そうに……気遣ってくれる周さんの声すら遠い。
視線が勝手に動いて、とある棚の一点に固定される。目を奪われてしまったように、どうしてもそこから目を逸らせない。
それを不思議に思う間もなく、身体が動いた。
ふらりと立ち上がったかと思うと、足が勝手に棚に向かって進んでいく。
なんでかしら? あの棚の中の段……そこが、どうしようもなく気になって気になって仕方ないの。
目的のものは、きれいな細工箱に入れられていた。
ダメだダメだと思ってるのに、勝手に手が蓋を開けてしまう。
「……あの、周さん……これ、何でしょうか……?」
「あ~~~…………洋行帰りの貴族だか、お抱え外国人だかから伊吹が買い取った、西洋
〝知らんけど〟とでも言いたげな周さんの声が、頭に響く。
西洋骨牌、ですって? 私の記憶が確かなら、そんな呼ばれ方をしてなかったと思う。
飲み込み損ねた小骨みたいに、頭の中にナニカが引っかかってる。
なんだかとっても大事なことだったと思うのに、それを思い出そうとした途端に霞がかかるし、頭の芯がズキズキ傷みだす。
考えるのを邪魔されてるみたいで、すっごくもどかしい。
……そんな状況にもかかわらず、一つ思い出せたことがある。
「…………占い用のカードだわ、コレ……」
私じゃない
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