流離の葛篭・溝出:第二話

「…………きれい……」


ベロ藍かしら? 深い深い青色で染め抜かれたカードの表紙がとってもきれい。

それにしても、私は初めて見るはずなのに既視感を覚えるのは、きっとあの夢のせいね。

あの、私が人間をやめるきっかけになった、川の中で見た夢。

私じゃない私が西洋占いに熱中してた時期があって、何回も何回も夢の中に出てきたの。

夢の中の私曰く〝スピリチュアル女子とか黒歴史〟だそうだけど……お友達と占いあいっこをしたりしてて、とっても楽しそうだったわ。

私は同年代の女の子と遊ぶ経験があんまりなかったから、ちょっと羨ましかったくらい。


「……えーっと、雪、ちゃん……?」

「……………………」


すぐ近くにいる周さんの声なんか、全然届いていなかった。

それどころか、勝手に触っちゃだめだとわかってるはずなのに、勝手に動く手が箱の中のカードを取り出した。

どこか遠く「こりゃあ魅入られたかなぁ」って。困ったような周さんの声が聞こえた気がしたのは、気のせい?

何かに操られるように手が動いて、カードを切っていく。自分の身体なのに、自分の身体じゃないみたい。

床の上に広げたカードを混ぜて、混ぜて……一つの山に纏めて、分けて、また纏める。

カードが次々に意味ありげな形に置かれていって……そこでようやく意識と身体とが重なり合った。


「は……ッ! 私、なんでこんなこと……!?」

「あ。ようやく戻ってきた。お帰り、雪ちゃん」


改めて周りを見回せば、傍にはどうしても笑いをこらえられない様子の周さんと、意味ありげに置かれた何枚かのカード。その横に、一つに纏められたカードの山が置かれていて……。


「成程な。これは見事なものだ」

「伊吹さん……!」


いつの間にか倉庫に来ていた伊吹さんが、すぐそばで私を見下ろしていた。

記憶が途切れる前は、確かに男の人の相手をしてたと思ってたのに……!

かなり怒ってたから、さっさと帰っちゃったのかしら?


「あの、あの……本当にごめんなさい! 何を言っても言い訳になると思うですけど、身体が勝手に動いちゃって……」


倉庫に入ってるってことは、ゆくゆくはお店に並べられる商品のはずだ。

どんな理由があったとしても、それを勝手に取り出して、あまつさえこんな風に使っちゃうなんて……絶対に許されることじゃないもの。

……でも……。


「いや、構わない。物に惹かれるというのか、気に入られるというのか……魅入られたようになるようなヤツがたまにいるんだ」


伊吹さんから返ってきたのは、叱責じゃなかった。

それどころか、まるで私の行動を肯定するような言葉をもらえるなんて……。なんだか、都合よく事が進みすぎてて怖いくらい……。


「さっきの様子を見ていたが、雪と相性が良さそうだ。お前に預けるから、使ってやるといい」

「え、でも……倉庫に置いてあるっていうことは、これもお店に並べる予定の商品だったんじゃないですか?」

「いやぁ……正直に言うと、買ったはいいんだが、ちと扱いを決めかねていた品なんだ。だから、雪が使ってくれるというなら、おれとしてもありがたいな」


伊吹さん直々にそう言うのなら、お言葉に甘えてしまってもいいのかしら?

……それにしても、扱いを決めかねていたって……いったい、どんな謂れがあった品なの?

ほんの一瞬背中が寒くなったような気がしたけど、私が触っていた時は、そんなに嫌な感じはしなかったのよね……。

それどころか、今までずっと使っていたような手に馴染む感じすらしたのも、不思議と言えば不思議なことだわ。


「ところでさぁ、雪ちゃん。これって、いったいどんな意味なんだ?」

「え、あ……! そうだ、カード!」


横からひょいっと周さんが顔を出して、床に並べていたカードの一枚を指さした。

カードの意味と、その場所の意味は、確か……。


「えっと……占った対象の現状と、それに対する援助とか障害……?」


頭の中に、どこか高い所からどぷどぷと知識が流し込まれる感じがする。

それは、私がどんなに戸惑っていてもお構いなしだ。

…………う、うーん……ぱっとカード全体を見た限り、あんまりいい印象は受けないのよね。

不安とか、トラブルとか……そんな感じばっかり……。

そもそも、対象の現状を表す場所に〝最悪の結末を迎える〟って出てる時点で、ねぇ……?

ただ、ところどころに物事の好転を表すカードが出ていたりもするし、〝急速に解決に向かう〟っていう意味のカードも出てるから……最終的には悪くない結果になる、って言うことなのかしらね。

……ただ、気になることがあるとすれば……。


「…………私、誰のことを占ったのかしら?」

「えぇっ!? 覚えてないのかい!?」

「それが、全然…………無我夢中というか、ただただボーっとしてたような感じで……」


私自身のことを占ったわけじゃないのは、私自身が一番よく知っている。それに、周さんのことでも、伊吹さんのことでもないことも。

となると、残ったのは店先で怒鳴ってた男の人だけになるんだけど……なんかこの人のことじゃないっていうのも、直感でわかる。

えぇぇ……。それじゃあ、私……いったい誰の、何を占ったんだろう……?

……ああ、だめだ。考えようとすればするほど、目の前がグラグラする。

鼻の奥に、湿気を孕んだ海の匂いが届く。揺らめく藻草の奥から伸びてきた手が、私を掴む。


「おい、雪!?」

「ちょっと、雪ちゃん!?」


伊吹さんと周さんが慌てる声が、微かに聞こえる。

ああ……また心配をかけてしまったかしら……。

全身を冷水に漬けられたような感覚を味わいながら、すうっと意識が沈んでいった。

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