「生成秘話」釈義:第十話

「さーて! 雪ちゃんの就職先が決まったところで、あとは当面の生活方針を決めてく感じかねぇ?」


新しくお茶を淹れてくれながら、周さんが明るく笑う。


「生活方針も何も……しばらくはここで静養して、ある程度体力を回復させなくてはどうしようもないだろう」


伊吹さんがちょっぴり渋い顔で、熱々のそれを喉の奥に流し込む。

そんな四つの瞳にじいっと見つめられながら、ビスカウトの最後の一枚を飲み込む私……。

ちなみに、この間も伊吹さんの周りをチョロチョロしてる小鬼さんたちが、私に飴玉をくれたり各砂糖をくれたり……なにくれとなく世話を焼いてくれるの。

どこから持ってくるのかしら?


「そりゃそうだけど、買い物くらいは行かないと! いつまでも寝間着を着せたまんまにしとくわけにもいかないだろう? 着物の一枚や二枚……なんなら、洋装の一着もあった方がいいって!」

「だから、その服を誂えに行くための体力をまずはつけよう、という話なんだ」

「それはそうだろうけどさぁ……それじゃあせめて、まずは髪だけでも整えないか?」


なんだか、私の飼育方針……もとい、生活方針で鬼さんと狐さんが揉めてる……。

しばしの間、周さんが作ってくれた照魔鏡なる片眼鏡で摩訶不思議な視界を楽しんでいたんだけど、急に視界がくらりと揺れる。


「ん、んんん? な、なんだか目が回るぅ゛……」

「ああ! ごめんごめん! これ、簡易とはいえ正体や妖術を暴く鏡だから、どうしても妖力を使っちゃうんだった!」


慌てたような周さんの声が聞こえて、急な眩暈に襲われた私の顔から片眼鏡が取り払われた。

途端に視界から小鬼の姿は掻き消え、周さんから狐の耳と尻尾が消える。


「消費される妖力はほんのちょこっとなんだけど、今の雪ちゃんには負担だったよね……うっかりしてたよ」

「本当に僅かなものだから、おれたちは意識すらしたことがなかったんだが……今の雪にはそれすら厳しかったんだなぁ」


すっかり普通の人間のように見える周さんの頭の上に、ぺしょりと萎れた三角のお耳が見えるのは幻覚かしらね?

それに、姿こそ見えないけど心配そうにスリスリと指を撫でてくれる感触を確かに感じるし……見えないだけで、そこにいる、っていうのがはっきりとわかる。

伊吹さんの話を聞いて推測するに、伊吹さんたちにしてみれば意識するにあたらない程度の力ですら、今の私には大打撃、っていうところなのねぇ。

自分が消耗してることを改めて思いつつ、ふと視線を落とした私の腕は、枯れ枝みたいにガリガリだし精気がない。

……確かに、これは……働くのを止められるのも尤もだわね。


「あの……それじゃ、この眼鏡はあまり使わない方がいいんでしょうか?」

「…………いや。調子が良ければ、使っておいた方がいいだろう。消耗した妖力は、回復する際に容量を大きくする性質があるからな」

「それにね、ある程度〝視える〟世界に慣れちゃうと、自然と見えるようにもなるからね!」

「なるほど。やり続けることが大事なんですねぇ」


この眼鏡を使い続けることで、ちょっとずつ力が増えていくし、見えないものも見えるようになってって……いずれはメガネがなくても大丈夫になる、っていう感じなんでしょうね。


「わかりました。調子がいい頃合いを見計らって、使い続けてみます」


そう言って片眼鏡を襟元にしまうと、伊吹さんと周さんが安心したようににっこりと笑ってくれた。

真正面から大きな手が伸びてきたのが見えて、一瞬、ビクッと身体が固まった……けど……。

その手は、くしゃくしゃと髪を掻き混ぜるように頭を撫でてくれただけだった。

その温もりと気持ちよさに、強張っていた身体からふうっと力が抜けていく。


「さて。少し腹は落ち着いたか、雪?」

「あ、はい! もうだいぶ、満足しました!」

「んふ、んははは! 〝だいぶ〟っていうのがいいなぁ! まだ足りなけりゃ、サンドウヰッチでも作ろうか?」

「さ、さすがにもう十分頂きました!」


ついさっきまでグーグー泣き喚いていたお腹の虫は、すっかり大人しくなってくれた。

……ええと、うん。まだ食べようと思えば食べられるような気もするけど、流石にこれ以上食べたら、お腹がビックリしちゃう!

周さんのありがたいお申し出を手を振って断る私を見て、伊吹さんと周さんがまた笑う。

……でも、決して嫌な感じの笑い方じゃない。なんだか、お腹の底からポカポカしてくるような感じがする。

全身をじんわりと包む幸せ気分に浸っている私を呼び覚ましたのは、戸がガラリと開く音だった。

途端に、伊吹さんと周さんの顔が険しくなる。


「おい! 誰かいないのか!」


焦りと怒り混じりのドラ声が、ビリビリと空気を震わせる。

聞き覚えのない声ではあったけど、生前(?)の記憶を思い起こすような怒鳴り声に、せっかく解れた身体がどんどん固く冷たくなっていくのがわかる。

表戸から入ってきたって言うことは、お客様……なんでしょうけど……。あんまり関わりたくない感じのお客様ねぇ……。

私のそんな気持ちが伝わってしまったのか、伊吹さんと周さんの眉間のシワがどんどん深くなっていく。


「…………周。ここを片付けて、雪と一緒に奥に行ってくれ。どちらの客かわからんが、ここは吾が対応しよう」

「了解了解。……大丈夫だよ、雪ちゃん。オレと一緒に、奥に行ってようね~」


卓上の皿を手早く片付けた周さんが、そっと傍に寄ってきてくれた。

お皿や茶器が空中をふよふよ浮いてるように見えるのは、小鬼さんたちが手伝ってくれてるせいね。

手ぶらの何人かが私の肩に飛び乗ってきたようで、微かな重みが加わったかと思うと、小さくて温かなもので頬っぺたをペタペタと触られる感触がする。

きっと、慰めてくれてるんでしょうね。

優しい心遣いに周りを囲まれながら、怒号の呪縛から抜けた私はお店の奥に身体を踊り込ませた。

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