「生成秘話」釈義:第七話

「うーん……まさか、こんなに不安定な状態だとは思いませんでした」


周さんが出してくれたソーダ水をちるちる啜るうちに、ため息と共にそんな言葉がまろび出てきた。

しゅわしゅわ、プチプチ。口の中で弾けるソーダ水は甘くて爽やかなのに、胸の中はどうしようもないくらいドロドロしてる。

せめて一矢なりともあのドラ息子に報いてやりたいのに……このまま何もできずに消えてしまうなんて、イヤ!

そのためにも、簡単に死ぬわけにはいかないわ……。

改めてそう決意した私の頭を、そっと撫でる手があった。いつの間にか私の隣に移動してきていた周さんだ。


「でもね、裏を返せば〝消えなくなければ、いつでもお腹いっぱいになってればいい〟ってことなんだよね」

「それにだな、雪。丹田が修復してしまえば、そこまでの燃費の悪さはなくなるだろう。不便な体質だろうが、丹田が治るまでの辛抱だな」

「え? 丹田って治るんですか? てっきり、もうダメなんだと……」

「完全に破壊されたわけではなさそうだからな。英気と精気を養えば、じきに治る」


伊吹さんのお墨付きをもらえて安堵した私の前に、周さんがまた別のお菓子を出してくれる。

こういうのを、至れり尽くせりって言うんでしょうね。

とってもありがたいけど……どうして伊吹さんと周さんはここまでしてくれるのかしら? それがよくわからないの。

でも、不安に駆られながらちらりと伺った二人の顔は、そんな不安を吹き飛ばすくらいに優しかった。


「あ、ああ……治るのなら良かったぁ……!」

「そのためにも、しっかり食べて、ゆっくり休まないとなぁ」

「あーあ。雪ちゃん、ほんとに可愛いねぇ。拾ってきた仔猫に懐かれた感じ。孫みたいって言ってたお前の気持ちもわかるよ、伊吹」

「孫とまで言ったかどうかは記憶にないが、生まれたての赤ん坊というのは可愛くて仕方ないものだからなぁ」

「良くないってわかってるけど、ついつい甘やかしたくなるよなぁ」


……そんな私の不安なんてなんのその。

私を挟んでぽんぽんと言葉を交わすお二人が、ひっきりなしに私の頭をくしゃくしゃと撫でる。

すごく恥ずかしかったけど、伊吹さんたちがあんまり楽しそうで……。やめて、とは言えなかったわ。

でもこれで、なんとなく私の立ち位置がわかった気がした。お二人からしたら、ボロボロになってた猫を拾ったような感じなのね。

それなら、この文字通りの猫っ可愛がりっぷりも納得だわ。もしかしたら、そのうち鈴付きの首輪でもつけられるんじゃないかしら?

新たな脅威に一瞬背筋が震えたけど……それも、次々と皿に乗せられるクッキーの魅力の前にはあっさりと消えちゃったわ。

さっきからかなりの量をご馳走になってるのに、一向にお腹いっぱいにならないの。

それだけ丹田とやらがダメになってる、ということなんでしょうね。


「……そういえば、伊吹。そもそもの話、雪ちゃんはどこの家の子なんだ?」

「あぁ、そのことか。雪が寝ている間に、ある程度のことは掴んではいるが……」

「んぐっ!? ん、んむ……っっ!」


ふと真面目な顔を担った周さんが、私と伊吹さんの顔を交互に見つめる。

それに、なんとも涼しい顔で応える伊吹さん。

待って待って待ってちょうだい! 私の身元が割れてるって、一体どういうこと!?

飲み込みかけていたクッキーを吹き出しそうになって、慌てて両手で口元を押さえた。

あ、危ないところだったわ。ギリギリで堪えられてよかった。


「あ、あの……それって一体どういうことですか? 私、まだ何も喋ってないと思うんですけど……」


どうしてかしら? ものすごくドキドキする。

もちろん、悪い意味で。

何でそんな気持ちになるのか考えてみたんだけど、あまりいい扱いをされてなかったことがバレちゃうのが怖いのかしら?

だって、ひどい扱いをされてたってことは、そんな扱いをしてもいいと思えるくらい、私自身にたいして価値がないって言われてるようなものだと思っちゃうのよね。


「勝手なことをしてすまなかった。だが、お前の状態があまりに悪くてなぁ。正直、帰すつもりは全くなかったんだが、万が一のことを考えて家を調べておいた方がいいと思ってだな……」

「そう……だったんですか……」

「だが、ちゃんとお前に断ってからにすればよかったな。その点に関しては、本当にすまなかった」

「いえ……あの時の私、もしかしたら目を覚まさなかったかもしれないのでしょう? だとしたら、私の身元を知りたいと思うのも当然のことだと思うんです」


さっと顔色が変わった私に気が付いたのか、慌てたような伊吹さんがくしゃくしゃと頭を撫でてくる。

伊吹さん、本当に善意で調べてくれたのね。そう思ったら、あんまり伊吹さんを責める気にはなられないわ。

だって、もし私が意識のない人を見つけたとしたら、やっぱり身元を知りたいと思うもの。


「……でも、なんで家がわかったんですか? 私、ずっと寝てたようなものなのに……」

「ああ。悪いと思ったが、こいつらに調べてもらったんだ」

「こいつ、ら……?」


小首を傾げる私に応えるように、伊吹さんが指先でコツコツとテーブルを叩いた。

…………う、うーん……。何かがわらわらと集まっているような気配は感じるんだけど……ぜんっぜん見えないのよね。


「あの……こいつらっていうのは、どこにいるんでしょう?」

「あれ? もしかして雪ちゃん、全然えないの? オレのことも見えてたみたいだから、てっきり〝視える〟もんだとばっかり……」

「え゛っ!? 〝オレのことも見えてる〟って、どういう意味ですか周さん!?」


横からひょっこりと会話に混ざってきた周さんによって、なおさらわけがわかんなくなっちゃった!

え? え? もしかして周さんて、見えちゃいけないナニカなんですか? こんなにハッキリくっきり見えるのに!? え? え?

混乱の極みにいる私を見て、ぶふっと噴き出す周さんとそっぽを向きつつ笑いをこらえる伊吹さん。

ちょっと酷くないです? それもこれも、周さんが原因なのに!


「っっ、んふ……っ! んははは! 勘は鋭そうだけど、見えないんじゃあちょっと不便だろうしなぁ」

「それもそうだな。山吹堂で暮らすには、ちょっと不便かもしれないな」


……あれ? 私が周さんの発言に翻弄されてる間に、いつの間にかここで暮らすことになってなぁい?

なんだかとんとん拍子に物事が進みすぎて、ついていくのでやっとなんだけど!

というか、そもそも私、ここで暮らすなんて一言も言ってない……けど…………伊吹さんも周さんも、私のことを捨てられた猫みたいなものだと思ってるんだった……。

そりゃあ、ここで保護するっていうわよねぇ。

あまりに事態が動きすぎて、何をどう反応していいのかわからなくなった私を他所に、すいっと席を立った周さんが骨董品コーナーに足を向ける。


「それじゃあ、まぁ。まずは、見るための補助具を作ろうか」


にんまり笑って戻ってきた周さんの手には、きらりと光る何かが握られていた。

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