「生成秘話」釈義:第五話

「ははは! 腹が減っては何とやら、って昔から言うもんなぁ。ちょっと待ってろよ。今、美味いものを喰わせてやるからな」


伊吹さんから事情を聞いた周さんが、そんな言葉を残して玉簾の向こうに消えてからしばらく経った。

ちょっとの間カチャカチャと小さな音が聞こえていたかと思うと、今度は甘い匂いが漂ってくる。

それにつられてお腹がキューキュー鳴るのが、ものすご~~くはずかしい……!


おれが留守をしている間に、いつの間にか周が水道と瓦斯ガスが引かれていてな」

「そうだったんですね」

「風呂の準備が楽になったのはいいんだが、家主の許可なしに話しを進めるのは如何なものかと思わないか?」


お腹を押さえて俯くままになってしまった私の気持ちを慮ってくれてるのかしらね。柔和そうな笑みを浮かべた伊吹さんが、気を紛らわせるように上手く話題を振ってくれる。

それに応えるように話をしていると、甘い空気(物理)もあっという間に気にならなくなった。

なんというか、会話をしている間に周さんの一面をよ~~く知ることができたわ。

……いったい、どのくらいそうやって話していたのかしら。気が付いた時には調理の音が止んでいて、何かを持った周さんが玉簾の向こうからひょいと顔を出した。

お皿には狐色のものがうず高く積まれているんだけど、あれは何かしら?

どら焼きの皮……にしては大きいような気がするんだけど……。


「さあさあ、待たせたなぁ! 天星珈琲店謹製の、出来立てハットケークだ!」

「これが……これがハットケーク!」

「山蜂の蜂蜜があるから、これもかけてやるからな~!」


まあるくて、上等のお座布団みたいに分厚くて、見るからにふわっふわ! 何層も重なった生地の上でとろりと蕩けているのは、もしかしてバターというものでは……?

これが噂のハットケーキなのね!

感激している私の前に、コトリコトリと音を立てて色々なものが次々と置かれていく。

ピカピカに磨かれたナイフとフォークとか、銀の容器に入ったお砂糖とか、金色の蜂蜜とか……。こんなの、まるで夢の中にいるみたい!

一瞬、本当に食べていいのか迷いが産まれたけど、強烈な空腹と込み上げる食欲には勝てなかった。


「ありがとうございます、いただきます!」


ナイフとフォークなんて今まで一回も使ったことなんてなかったはずなのに、自然と手が動いた。

ほんの少し力を入れただけで、抵抗らしい抵抗もなく持ち重りのするナイフの先がスッと沈み込む。

焼き立てのだからかしら? ほんの少しサックリしてる表面と、中のふわふわ具合が素敵なのよ!

空っぽの胃袋にせかされるまま口に運んだハットケーキは、噛むまでもなく口の中でほろほろ解けていった。口いっぱいに優しい甘さと広がっていく。

……〝幸せ〟っていう言葉が食べ物になったら、こんな形になるのかもしれないわね。そう思ったら、目の奥がぎゅうっと熱くなって、思わず涙が零れそうになった。

それを必死で堪えて、今度は蜂蜜とバターがかかっているところを切り分ける。


「あ、あまい……おいしい……!」


噛んだ瞬間、温かい蜂蜜がじゅわりと溢れて舌の上に広がっていく。素朴な味がする生地とは打って変わって、華やかで濃厚なお味になったわ!

微かに感じる塩気はバターの味かしら? 甘くてほんのりしょっぱくて……これはクセになりそう……!

あっという間に一枚食べてしまったけれど、皿の上にはまだまだハットケーキが山になってる。

こんなに美味しいものを、まだ食べられるの? なんて幸せなんでしょう!


「ふふ。そう慌てなくても、誰も盗ったりはしないからゆっくり食べるといい」

「いやぁ。こうも喜んで食べてもらえると、作った甲斐があったな! 結構な自信作なんだが、なかなか注文してくれないんだよなぁ」

「お前が宣伝しないせいだろう? メニューにも載ってないし、あれでは気付く客が少ないとおもうんだが」

「載せてなかったかぁ? 追加したつもりで忘れてたんだな。かといって、短冊は店の雰囲気に合わないからやりたくないしなぁ」


気前よくバターと蜂蜜を追加してくれる周さんと、いい匂いのする飲み物を口にする伊吹さんの会話を聞きながら、私はハットケーキに夢中になっていた。

ナイフとフォークを動かすたびに、ハットケーキがどんどん減っていく。食べたらなくなっちゃうのがとっても悲しいんだけど……美味しいやら幸せやらで食べる手を止められないの。

そんな私を、伊吹さんと周さんが微笑ましそうに眺めてるのが雰囲気で伝わってくる。 

でも、それに構ってる余裕なんてなかった。だって、幸せの塊を口に運ぶので忙しかったんだもの!

一枚、また一枚と食べ進めていって……。


「ごちそうさまでした!」


気がつけば、あんなにあったハットケーキは一枚残らず私のお腹に収まっていた。けっこう量があると思ったのだけど、食べ始めたらあっという間だったように思えるわね。

満足そうに息を吐いた私をみて、伊吹さんと周さんが驚いたように顔を見合わせた。

あら、何かやらかしちゃったのかしら?

冷静に考えれば、貪るように食べるなんてはしたなかったわよね?


「あの……ごめんなさい! あまりに美味しくて、ついガツガツしてしまって……」

「違う違う。これでひとつ雪の特性がはっきりしたなぁ、と思っただけだ」


慌てて頭を下げると、伊吹さんが笑いながら手を振って否定してくれた。

あ、よかった。気分を害した、という感じではなかったみたい。

でも、安心したことはしたんだけど、また疑問が増えちゃったわ。


「特性、ですか? それはどういう……?」


思わず前のめりになった私の前からススッと皿が下げられたかと思うと、こんどは薄茶色のいい匂いの飲み物が差し出される。同じように、伊吹さんの前にも新しい飲み物が用意された。

周さん、細やかな気配りもできる人なのね。〝家主に断りなく改築しちゃうなんて豪胆だなぁ〟なんて思っちゃってごめんなさい!

でも、流れるように椅子を引き寄せて同じテーブルに着くあたり、けっこうちゃっかりしてる、とも思っちゃったわ。


「気になるか? それじゃあ……それも含めて、色々と説明をしようか」


新しいカップを手にとった伊吹さんが、ひときわ優しそうにニコリと微笑んだ。

とうとう、この時が来た。

逸る胸を押さえながら、少しでもしゃんとしていられるよう背筋を伸ばして座り直した。

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