「生成秘話」釈義:第四話

……部屋の外に出てみてわかったんだけど、このお家、かなり大きいみたい。ちょっと歩いただけなんだけど、板張りの廊下が長く続いてて、坪庭みたいな中庭があって……ちらりと見えたけど、完全な洋間もあったの!

外観こそわからないけど、かなりの豪邸なんじゃないかしら?

でもね、それだけなら「凄いお屋敷ねぇ」で終われるんだけど……。

……このお屋敷、静かなんだけど、静かじゃないの。

影も形も見えないのに、くすくす笑う気配だったり、衣擦れの音だったり、走り回る足音がしたり……何かがいる気配がするのよね。


「あの……このお屋敷って、伊吹さん以外の方がいらっしゃるんですか?」

「ここに住んでいるのはおれ一人だが……どうかしたか?」

「いえ……。なんだか、大勢の人の気配がしたもので……」


恐る恐る伊吹さんに尋ねてみたけど、返ってきたのは予想外の答えだった。

ええぇぇぇ……! こんなに人の気配が濃厚なのに、誰もいないの!?

そんなことを考えている間にもすぐ後ろで忍びやかな笑い声が聞こえた気がして、バッと振り返る…………けど……そこには誰もいなかった。

噓、でしょう!? あんなにはっきり、後ろに誰かいる気がしたのに! 息遣いだって感じたような気がしたのに!


「あ、あわ……あわわ……!」

「っ、ふ……ふふふ! 成りたての成りかけにしては、雪は鋭いんだなぁ」


思わず羽織をぎゅうっと掴んで身を竦めた私を見て、伊吹さんが感心したような面白がってるような顔で笑ってる。

その口ぶりからして、絶対にナニかいるわよね!?

目にはさやかに見えないけど、絶対にナニカがいるよね!?

この間にも、廊下の奥を横切る衣擦れの音や、締め切られた部屋の中で何かが動いてる気配がする。

怪しげな気配を感じるたびに身を縮こませる私の手を、伊吹さんがぎゅうっと握ってくれた。


「安心するといい。雪に危害を加えるような連中ではないからな」

「そんなこと言われたって……」

「ふむ。怖いものは怖い、か。なりかけとはいえ、お前の方が格段に強いんだがなぁ?」


伊吹さんがちょっぴり困ったような顔で私を見つめてるけど、今だって視界の端を黒い影が霞めて消えていったんだからね!

誰もいないのに坪庭の玉砂利を踏む音も聞こえるし!

…………うう……背筋が凍るような心持ではあるけれど、伊吹さんの言葉は信じられるような気がするのね。助けてもらった、っていう事実があるせいかしら?

だから、その伊吹さんが〝私には危害を加えない〟って太鼓判を押してくれてるんだから、命を取られるようなことはないと思うのよ。

だとしたら、怖がってばかりじゃなられないじゃない?

そう思ってグッと顔を上げたら、私の様子を揶揄っていたような気配たちがザッと後ずさるような感じがした。


「そうそう。そうやって胸を張っていればいい。お前の方が強いんだと示してやるのが大事だな」

「うぅ……頑張ります……」


何をどう頑張ればいいのかなんてわからないけど、自分を鼓舞するためにもしっかりと頷いた。何事も、一歩一歩、よね。

一気に薄くなった気配の中、伊吹さんに手を引かれるままにいくつかの部屋を通り過ぎ、幾度か角を曲がる。

紺染めの暖簾を潜って辿り着いた先は、古色蒼然とした場所だった。


「……まぁすごい! もしかして、骨董品……とかいうものですか?」

「ああ、そうだ。趣味と実益を兼ねていたら、いつの間にか店を開ける程度になっていてな」

「はぁぁ~~。すごいですねぇ。私はもう、真贋だの物の価値なの、見分けられる気がしません」


色鮮やかな焼き物や、華やかな絵付けの着物。瀟洒で繊細な細工が施された装飾品や、水墨画の掛け軸等等等……! 目が追い付かないくらい一杯の品物が、棚やら広浅の箱やらに整然と陳列されてる。

半ば呆然と店内を見回してるうちに、頭の中でまたパチンとシャボン玉が弾けた。

すごい……! 骨董品なんて、生で見るのは初めてだわ!


「……ん? なまで?」


あら……私、なんでこんなこと思ったのかしら? 生でもなにも、骨董品なんて今まで縁がなかったのに。

でも確かに、こじんまりしたキネマか何かで見たことがあったような気がしたのよ。トーキーみたいに音が出てて、しかも総天然色の……!


「どうかしたか、雪?」

「え、あ……何でもないです!」


クンと手を引かれて、ついつい立ち止まっていたことに気が付いた。

目尻を柔らかく緩ませた伊吹さんが、怪訝そうな顔で私を見下ろしている。大分ボーッとしていたみたい。

慌てて首を振った私を見て笑みを深めた伊吹さんが向かうのは、お店の入り口近く。明り取りの大きな模様ガラスが嵌め込まれた窓の傍。

まあるい洋卓が二つ置かれた場所だ。向かい合わせになるように、二脚ずつ椅子が置かれてるの。どちらも、お店の雰囲気を壊さない程度の落ち着きはあるけれど、よくよく見れば彫り物だったり細工だった李が華やかなのよ。

ここでお茶でも飲めるようになっているのかしら? ちょっと変わった作りだと思うけど、素敵なお品を眺めながら飲むお茶は、格別なんでしょうね。


あまね! もういるんだろう? 顔を出したらどうだ?」


私を傍らに置いた伊吹さんが、仕切り代わりの玉簾の向こうに声をかけた。ややもあって、奥の方で何かがごそごそと動き出した気配がする。

……もしかして、またあの得体のしれない何かが……!?

咄嗟に椅子の上で身体を固くする私。

でも、その予想はあっさりと裏切られた。


「ん~~~? お前の方こそ、今日は随分早いじゃないか、伊吹」


少し間延びした、伊吹さんよりも高い声と共に、その人は姿を現した。すらりと背の高い――伊吹さんよりは小さいかも?――男の人だ。絣の作務衣の上に、濃色の単衣を肩に羽織っている。

光の加減か、一瞬、髪の毛が真っ白に見えたんだけど……思わず瞬きをしたその後には、濡れ羽色の黒い紙にしか見えなくなっていた。

……おかしいわねぇ……目の色も、なんだか金色に見えたんだけど……ちゃんと見たら柔らかな焦げ茶色だ。

それに何より、三角の耳と立派な尻尾が見えた気がしたんだけど……?

うーん……やっぱり、まだ本調子じゃないのかしら?

パチパチと目を瞬かせる私を他所に、〝周〟と呼ばれたその人はケラケラ笑いながら伊吹さんと言葉を交わしていた。

そうかと思うと、好奇心で輝く瞳が私を捉えて……。


「やあやあ、なるほどなるほど! この子が、お前が昨日拾ってきた成りかけの子かぁ」


上機嫌そうな周さんはペタペタと草履を鳴らして近づいてくると、私の手を握ってそのままブンブン振り回す。

握手のつもりかもしれないけど、ちょっと激しすぎやしないかしら?

悪い人じゃなさそうだけど、なんていうか……我が道を行きすぎてる感じがする!


「ふふ、んははは! 確かにこりゃあ可愛いもんだ。何はともあれ、天星そらぼし珈琲店へようこそ、産まれたてのナマナリちゃん!」


ようやく私の手を放してくれた周さんの言葉に、頭の中にポコンと疑問符が浮かんだ。

え……珈琲店? このお店、骨董屋さんじゃないの?

隣にいるのであろう伊吹さんを見上げると、困ったような呆れたような、なんとも言えない複雑な顔をしてる。


「紹介が遅れたが、こいつは天星そらぼし あまねおれとは、腐れ縁の古馴染みだ」

「周さん……」

「本来であれば、此処も吾の店だったんだがな。いつの間にかコイツが勝手に喫茶店を始めていたんだ」

「な、なんというか……とっても自由な方なんですね」

「出会った時から破天荒だとは思っていたが、まさかここまで行動力があるとは思わなくてな」

「でも、結局はこうして許してくれただろ? それに、美味い珈琲だって提供してやってるじゃないか」


苦笑しながらため息をつく伊吹さんと、それをカラカラと笑い飛ばす周さん。

いくら古くからの友人とはいえ、勝手にカフェーにしちゃうなんて。自由にもほどがあるというべきなのか、最終的には伊吹さんが許してくれることまで見越した上での行動なのか……。

……出会ってからの周さんを見ていると、多分、前者のような気がするわ。だって、あんまり悪いことを考えられる人ではなさそうなんだもの……。


「おっと。産まれたての子をずっと立たせっぱなしにしちゃったか。まぁゆっくり座ってくれ」


満面の笑みで椅子を進めてくれる周さんに頭を下げながら、ぼんやりとそんなことを思った。

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