「生成秘話」釈義:第三話
次に気がついた時、ふかふかの布団の上に寝せられていた。見知らぬ天井が視界いっぱいに映ってる。そのまま周りを見渡してみても、全然見覚えなんてない。
身体を起こしてみたけど……どこも痛いところはなさそうね。
……というか、濡れ鼠だったはずなのに、乾いた寝間着に着せ替えられてるんだけど…………え、待って? 着替えはありがたいけど、誰がしてくれたの?
もしもあの事が夢じゃないなら、私を拾って(?)くれた伊吹さん、ってことになるんだろうけど……あの人、男の人……よね?
そ、それじゃまさか……は、は、は、裸を見られたって事!?
「あ、あわ……あわわわ……!」
「――っっ、ん゛ふっっ……!」
「だっ、誰ですかっ!?」
あまりの恥ずかしさに頭を抱えた時、障子の向こうから誰かが噴き出すような声が聞こえた。薄い紙越しに透ける人影は、何かを堪えるように小刻みに震えている。
笑われた怒りやらいろいろな恥ずかしさやら焦りやら……諸々の感情であっぷあっぷした私が思わず叫んだのと、カラリと障子が開くのはほぼ同時だった。
「いやいや、すまんすまん。もう起き上がっても大丈夫なのか?」
「い、い、い、いぶきさん……?」
穏やかに笑いながら部屋に入ってきたのは、昨日私を拾ってくれた伊吹さん……だと思う。
本人だって、すぐに断定できなかったのは、服装がまるっきり違ったせい。あの時はかっちりとした洋装だったけど、今は落ち着いた色合いの着物を緩く着崩してる。
しかも……。
「……つのが、ない?」
うん。昨日私を拾ってくれた時は、額に角があったのよね。でも、今私の目の前にいる伊吹さんには、角も何にもないんだもの。
……うぅん……あの時は、随分と私も朦朧としてたし……そのせいで幻覚でも見たのかしら?
「ほう。起きたばかりなのに、ずいぶんと目敏いな。小さなことに気が付けるのはいいことだ」
首を傾げる私の前に、角のない伊吹さんが椅子を持ってきて腰を掛ける。それでもまだ目線の高さがあんまり変わらなくて……そこでようやく、自分が寝台のようなものに寝かせられていたんだってわかった。
道理で。床に寝ている割には、優に六尺はありそうな伊吹さんと目が合いやすいな、って不思議に思ったわけよね。
しかも、よくよく周りを見てみれば、私がいるこのお部屋……床は畳張りだけど舶来物の絨毯が敷かれてたり、洋机と椅子――今は伊吹(仮)さんが座ってる――が置かれていたり。絵ガラスの電傘を被った電灯まであるのよ!
なんというか……ずいぶんとモダンで贅沢なお部屋だったのねぇ……。
「昨日お前と出会った時の姿が、誠の姿というやつでな。今の姿は言うなれば〝世を忍ぶ仮の姿〟よ」
「……かりの、すがた……」
「御一新以降、神だの仏だの鬼だの
呵々と笑う伊吹さん(かりのすがた)は、昨日の伊吹さん(おにのすがた)と同じ人で間違いなかったみたい。
ちょっと安心できて胸を撫でおろした私を、伊吹さんが不思議な顔で眺めている。
「……ふむ。てっきり取り乱すとばかり思っていたが、あまり驚いてはいないようだな。吾が思った以上に肝が据わっているようだ」
「あ、その……なんだか色々なことがありすぎて……」
ああ、なるほど。私があまりに変然としてるのが不思議だったのね。
…………うーん……何て言えばいいのかしら……。
今、私の身の上に起きてることは、確かに腰が抜けそうなくらい驚きの事態なんだけど……。どうもイマイチ現実味が薄いというか、自分ごとに思えないというか……。
誰かの目を通して物事を見てる、って言えばいいのかしら? 言うなれば、キネマでも見てるような気分なの。
きっとまだ、根本的な所で気持ちの整理がついていないんでしょうね。
「まぁ、それも無理はないだろうな。そもそも〝成る〟時の衝撃で色々とトぶ者も少なくない」
「……あの……昨日も聞いたんですが、その〝成る〟とか〝成らない〟って、いったい何のことなんでしょうか?」
「ああ、うん…………いや、それもそうだな。前提の知識がなければ何もわからない、か……」
困惑しきりという顔をしているんだろう私を、じいっと見ていた伊吹さんがつるりと自身の顎を撫でた。そのまま、得心したような顔で何度か頷いてる。
伊吹さんは色々とわかっているようなんだけど、当の私本人は何のことかさっぱりわからないのよねぇ。
でも、なんとなく伊吹さんも〝私がなんにもわかってない〟ということに気付いてくれたような感じだし……これで諸々と説明してもらえるのではないかしら?
だとしたら嬉しいわ。これでようやく、〝何もかもわからない〟なんて事態から解放されそうだもの。
…………そう、思っていたんだけど……。
――キュウウウウ…………。
「――~~~っっ!!!!」
今まさに伊吹さんが説明をしようと口を開きかけたところで、空っぽのお腹が盛大な悲鳴を上げてしまった。
頬っぺたに血が集まって、カァッと熱くなるのがわかる。
う、うぅぅ……確かに、ここ最近はご飯もろくにもらえてなかったけど……なにもこんな時に鳴らなくてもいいじゃない!
「仕方ない、仕方ない。生まれたての赤子は、食べて寝るのが仕事だものな。腹が空くのは当然のことだ」
「あ、あぅぅ……」
恥ずかしくて俯いた私を宥めるように、伸びてきた掌がポンポン背中を叩く。
あくまでも自然体な優しい声が、却っていたたまれないのよ~~~……!
「お前に道理を教えてやりたいのはやまやまだが、まずはその腹の虫を宥めることを優先しようか」
「え、あ……ご、ごめんなさい……!」
「謝る事じゃないさ。産まれたてを見つけたのは
〝だからもう少し手をかけさせてくれ〟って。からりと笑った伊吹さんが、くしゃくしゃと頭を撫でてくれた。
……昨日と同じで、温かい手だった。
その温かさにつられるように、心の底で張りつめていたモノが少し緩んだような気がする。
「そういえば、まだ名前も聞いていなかったな。今さらだが、名前を聞いても?」
「え、あ……雪です。
「ふむ。富士の高嶺に雪は降りつつ、か。色白のお前に似合いの、良い名前だな」
にこりと柔らかく笑いかけられた拍子に、胸の奥がふと温かくなった。
……そうだ。全部奪われたと思ってたけど、お母さんからもらったものがまだ残ってた!
お母さんが付けてくれた、私の名前。絶対に誰にも奪われない、私だけのもの。これが残ってると思うだけで、お腹の底から力が沸いてくる気がする。
ぎゅうっと胸を押さえる私を、伊吹さんが微笑ましそうに見守ってくれていた。
スッと差し出された手に掴まって、ゆっくりと寝台から立ち上がってみた。
ついでに、腕を動かしてみたり、頭を回してみたりしたけど……眩暈がするとか、頭が痛むとかは……なさそう、ね。
シャンと立ててる私を見て、安心したように目元を緩めた伊吹さんが手を放してくれた。
「それじゃあ、雪。お互いの名前もわかったところで、腹を満たしに行くとするか」
「え……こ、こんな格好で、ですか?」
「ああ。そう気負わんでもいい場所だからな。気になるなら、これでも羽織っておくといい」
戸惑う私に、伊吹さんが自分の肩にひっかけていた羽織をかけてくれた。昨日と同じ、お花みたいな匂いが鼻先を掠める。
「ほら。行くぞ、雪」
「あ、はい!」
まるで小さい子にするように私の手を引く伊吹さんに連れられて、私は部屋の外に足を踏み出した。
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