「生成秘話」釈義:第二話

濡れた着物がベッタリ肌に張り付いて、気持ち悪いな……って。そう思ったら、すぅっと目が開いた。

……意味がわかんなかった。死んでるのに目が開くって、どういうことなんだろう?

でも、実際目は開いたし、暗い空にまあるい月がぽっかりと浮かんでいるのが見える。

寝転んだまま辺りを見回すと、ゴロタ石の転がる岸辺に打ち上げられているらしかった。賽の河原にしては、ずいぶんと生臭くて泥臭い匂いがする。

身体を起こそうとしたけど、鉛が詰まってるみたいに重くて重くて……ピクリとも動かせない。

視界はグルグル回るし、頭がズキズキ痛む。最悪の目覚めねぇ。


「…………私……死んだ、のよね……?」


殴られて、頭をぶつけて、川に沈められて……これで生きてる方がおかしいもの。

でも、何か喋ってみようと口を開けば、喉が震える感じがする。声が、出てる。

……もしかして、生きてるの……?

そっと胸に手を置いてみた。もしかしたら、何かの拍子に生き返ったんじゃないか、って思ったからだ。

……でも……。


「……うーん。死亡確認……できない?」


心の臓が動いてるのかどうなのか、ちょっとよくわからない。動いてないようにも、動いてるようにも感じるんだけど?

……それにしても、死んでるかもしれないのに焦る気持ちも怖い気持ちも、全然浮かんでこないのはなんでだろう?

心も身体も、死んじゃったから?

というか、そもそも……仮にこれで死んでるとしたら、死んでるのに意識があるってどういうことなのかしら?

閻魔様のとこに行ってお裁きを受けなきゃいけないから、それまでは見たり聞いたり喋ったりができるのかな?


「あーあ……ここで待ってたら、お母さんが迎えに来てくれないかなぁ」


そんなの無理だって、頭ではわかってる。お母さんは十万億土の向こう側……極楽浄土にいるんだろうから。私を迎えに来られない。

それでも、昔みたいに迎えに来てほしかった。遊びに夢中で帰りが遅れた私を探しに来てくれたときみたいに、手を伸ばして、抱き締めてほしかった。

丸い月が、じわりと歪む。死んでも、涙は出るものらしい。不思議に思ってると、次から次に涙は出てきて、目尻からボロボロ零れてく。

流れた涙が耳に入りそうになって、慌てて拭おうとした矢先、目の前がふと翳った。

空に浮かぶ月が、人の形に侵食される。欠けた月の代わりに、二つの金色の満月がじいっと私を見下ろしてる。


「妙な気配を感じて出てきてみれば……これは珍しい。か。時には散歩もしてみるものだ」


低く重い夜色の声。そのくせ陰鬱な感じがしないのは、声に楽しそうな調子が混ざっているからかしら……。

影の正体は、がっしりとした男の人だ。夕焼け色の角が1本、額から飛び出てる。……お母さんじゃなくて、地獄の鬼が……獄卒さんがお迎えに来ちゃったみたいね。あーあ、残念。

でもね、この鬼さん。鬼の癖に洋装なの。街でチラリと見かけたお大尽みたいな、三つ揃えのかっちりしたスーツを着てるの。

鬼って、虎皮の腰巻きをしてるんだとばっかり思ってたわ。

ぼんやり観察しているうちに、太い腕がぬうっと延びてきて、私をひょいと抱き上げた。……地獄の鬼なのに、花みたいないい匂いがする……。

抱き上げられてもシャンとしていられなくて、くったりと鬼の肩に頭を預けた。分厚くて大きな掌が、包み込むように優しく頭を撫でてくれる。

……鬼なのに、優しいのね……。


「ふむ。〝成る〟為に殆どの力を使い果たしたか。とはいえ、成れずに朽ちるモノが多い中、成りかけとはいえ残れたのであれば重畳よな」


なれるだのなれないだの……獄卒さんが何を言ってるのかさっぱりわからない。まぁ、鬼の言葉が、人間にわかるわけないよね。

でも、優しく頭を撫でられるのは、すごく気持ちがいい。死んでるはずなのに、頭がとろーっと重くなる感じがする。


「よしよし。これも何かの縁だ。お前は、このおれ……伊吹が面倒を見てやろうなぁ」


獄卒さんは、伊吹さんっていうんだって。面倒を見るって……どう言うことだろう?


「……えんまさまの所まで、連れてってくれるの……?」

「閻魔? 何故そんなところに行かねばならん?」

「……だって、私……死んじゃったから……」


私を抱き上げた獄卒さんは、不思議そうな顔で土手を登る。

……てっきり、閻魔様のところまでテクシーしてくれるのかと思ったら、そうじゃないらしい。頭の片隅で、〝テクシーとか死語すぎる!〟っていう声がした気がしたけど、気にしないことにする。 


「ああ、お前。もしかして此処が彼岸ひがんだと思っているんだな? 此方こなた此岸しがんよ。生きとし生けるモノが棲む現世うつしよ、娑婆の世界よ」

「……うつしよ……」


そんなに怪訝そうな顔をしてたのかしら? ちらりと私を横目で見た伊吹さんが、呵呵と笑う。

現世? 現世ってどういうこと!? 私、死んだんじゃなかったの!?


「……うそ……だって、わたし…………死んじゃったのに……」

「うん? まだ死んでいないぞ。ナマナリのままだ」

「なま、な……? なに、それ? 私、そんなの知らない……」


頭の中がぐらぐらする。何を言われているのかも、何がどうなっているのかもわからない。

どうにか頭を上げて伊吹さんを見つめる私を、金色の満月がしっかと捉えた。吸い込まれそうなくらいに深いその目を見ていると、眩暈みたいなクラクラ感がどんどん酷くなっていく。

なんだかもう、色々なことがありすぎて、頭が破裂しちゃいそう……!


「成りたての赤ん坊は、皆その様なものよな。まずはゆっくり休むといい」


硬くて大きな掌がするりと頭を撫でてくれたのと同時に、目の前が暗くなった。

小さくて柔らかな母さんの手とは似ても似つかないはずなのに、何故な泣きたいくらいに懐かしい感触だと、そう思った。

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