そしてまた叔父の話

 その日はバイトがあって、家に帰って来たのは八時半頃だった。

 そこから遅い夕食をとる。夕食を作ったのは義理の叔母だったが、この時間帯、叔母は自分の部屋でテレビにかじりつくのが習慣だったために、配膳してくれたのは従妹の飛鳥あすかだった。

 それもついでだった。飛鳥は自分の父である歳也としやの夕食を用意するはめになっていて、俺はタイミングよくその恩恵にあずかったのだ。

 そうでないときは、自分で食うものは自分で用意しなければならない。

 そんなわけでその日も、叔父とふたり居間でテレビを観ることとなった。

 叔父は今日もまた焼酎の湯割りを飲んでいた。

「毎日、飲み過ぎじゃね?」容赦なく叔父に言う。

「まあ、そう言うなよ」

 しかしほろ酔いの方が叔父から話を引き出しやすい。俺は世間話をするかのように切り出した。

「うちのばあちゃん、学校の先生していたのか?」

「なんで、そんな話を?」

「数学の先生がさ、高校時代、鮎沢あゆさわっていう名の数学教師に教わったんだと」

 それがお前の母親ではないのかと言われたのだが、母親の話を叔父が簡単に語るとは思えなかったので、祖母のことのように切り出したのだ。

「たしかに、お前のばあさん――オレにとっちゃ母ちゃんだが――高校の先生やっていたな。数学だったかな。理科だったかも……」

「知らんのかい」自分の親が何を教えていたのかも。

「教科は興味なかったからな」

「そんな先生が、よくじいちゃんと知り合うことができたな」

「道場らしいぞ、なれめは」

「え、道場?」

「お前のばあちゃん、空手をやっていた。うちの家系、女系家族なんだが、揃いも揃って文武両道でな。学があるだけでなく、空手か剣道のどちらかはやっているな。ばあさんの場合、レスリングをかじっていたことを隠していたがな」

 祖父じじいから聞いたことがあるな。レスリングの技で何度も締め上げられたと。

「そういや、叔母さんもやってたな、空手」少し前まで近所のこどもたちに空手を教えていた。

「道場で知り合ったらしいんだよ。しかも組手で一度負けている。女に負けたのは初めてだとか言っていたな」

「そんな、凄かったのか!」空手で祖父じじいに勝つとはな。

 歳はとっても祖父の武道における強さは異常だ。俺は未だに勝てない。従兄の雷人らいとがどうにか剣道で対等に渡り合える程度だ。

「どうも、がくの遺伝子は女にしか受け継がれないらしい。オレは勉強は全然できなかった。にもかかわらず雷人がそこそこできるのは、玲子れいこの血筋かな。あいつも学校の先生をしていた」

「それは初耳」玲子というのが俺の義理の叔母で、叔父の妻であり、雷人と飛鳥あすかの母親だった。

「姉さんの後輩だったんだ、玲子は」

「ふうん」と言いつつ、母親の話にうつるきっかけができたと俺は思った。

「じゃあ、俺の実の母親も教師だったのか?」

「そうだ……、言ってなかったが」

「聞いてない」だから言ってみてくれ。俺は念じた。

「玲子も姉さんも都内で高校教師をしていた。それはもう評判の美人教師だったらしいぞ、二人とも」

「どっちが、より美人だった?」意地悪して訊いてみる。

「そりゃ、姉さんだろ」

「叔母さん、怒るぞ、きっと」飛鳥もな。

「姉さんは二十八のまま歳をとらないから、玲子が勝てないのも仕方がない。しかしそれを割り引いても、姉さんより美人をオレは知らないな」

 かなりフィルターがかかっているな。どうも叔父は本当にシスコンらしい。

 義理の叔母は今でこそ庶民的で、地方の嫁が似合うタイプだったが、それでも美人であることは間違いない。実際その娘の飛鳥も周囲が驚くほど美少女に成長してきている。

 そんな叔母よりずっと美人であったかのように語るなんてどうかしているぜ。

「なんだ、実の母親のことが知りたくなったのか?」

「いや、俺は叔父貴と叔母さんのなれ初めが知りたいな」

 誤魔化すためにそう言ったのだが、叔父は「そうか」とか言って、照れながら話を始めた。

 失敗だったな。俺はそれを黙って聞く羽目になってしまった。正直に母親のことが知りたいと言えば良かったと後悔した。

「空手の大会が東京であったんだ。たいした大会ではなかったけれど、オレと爺さんも東京まで出て行った。そこに姉さんが玲子を連れて来ていたんだ。ふたりとも大会には出ていなかったが、オレと爺さんの雄姿を観に来てくれた」火花は黙って頷く。

「玲子は今よりずっと細くて、びっくりするくらい美人だったよ」怒られるぞ、叔母さんに。

「そんな玲子を、初対面のが口説き始めた」

「え、何だよ、その展開」

「もうその頃には、爺さんは婆さんと離婚していたんだ。だからはバツイチの独り身。女を口説いたっておかしくはねえんだが、アラフィフが二十三の娘を口説くんだぜ。オレは呆れたね」

「じいちゃんはなんでばあちゃんと離婚したんだ」

「そんなの、じじいのキャラ見たらわかるだろ。口悪い、手癖悪い、女癖悪い」

 言い直すと、口が達者で、手先が器用で、女性にもてた、だ。

「姉さんが家を出て東京で教師となり、オレがこの家を継ぐとなったときに、お前のばあさんは家を出て行ったよ。どうも、前から離婚は決めていたみたいだ。それが決まったときのじじいは、何とも情けない顔をしていたよ。しかし、後悔したって仕方がねえ、全部自分が悪いんだから」

 叔父は飲みながら周囲を窺った。だれか聞いていやしないか。祖父が聞いていたらどんな目に遭うかわからない。

「ばあちゃんは今どうしているんだ? 元気なのか」

「そうか、お前は会ったことがなかったかな。いや、一度法事で会ってるか……」叔父は何とか思い出そうとしているみたいだったが、思い出せないようだった。「ばあさんは、静岡の方で教師生活を再開、そこで知り合ったひとと再婚した。そのまま伊豆の下田あたりで暮らしていたと思う。一昨年の夏に亡くなったがな」

「え、死んだのか?」

「そうだ、オレにとっては実の母親だったんだが、じじいのせいで死に目にも会えなかったし、葬式にも出られなかった。亡くなったという知らせが届いたのが半年以上たってからだったな」

「なんだかな……」

「姉さんだけが、ときどきばあさんと会っていたらしいが、それを知ったのもずっとあとになってからだ」

「そうなのか」

「そんな話はいい、オレと玲子の話だ」

 どちらかというと、そっちより祖母や母の話を聞きたいと思ったが、酔った叔父が語りたいのはそれではなかった。

「じいさんが玲子を口説くものだから、オレと姉さんは呆れてじいさんをたしなめた。そしたらじいさんが、だったら息子の嫁にならないかと玲子に言ったんだ。何を突然とオレは思ったんだが、姉さんが面白がって、その話にのったんだ。結構悪ノリする性格だったんだぜ、お前の母さんは」

「ふうん……」

「それがきっかけで、オレと玲子は姉さんを交えた三人でよく会うようになった。あとは何だかとんとん拍子に進んで、結婚することになった」

 本当にとんとん拍子だな。途中かなり端折はしょっただろうと目を向けると、叔父はすでに卓袱台に突っ伏していた。

 この続きはまた今度か。俺は溜息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る