目に見える光景

「いや、なんでもない」

「武勇伝が広まっているよ」一葉かずはが言う。口許くちもとが少し緩んでいた。

「笑うなよ、お前の耳にも入ったのか。尾鰭おひれ付きまくりのディナーになって」

「そうね、何しろ、胡蝶こちょうさんとだから」一葉は敢えて「ヒバナ」と言った。人の目がないと一葉は擬態を解く。

 目の前にいるのは優等生の学級委員ではなかった。

「ここにいる連中は、日和ひよりを知らないしな。やんちゃなガキ大将ではなく、巫女の日和しか知らない」

「そうかしら」

「そしてまた、お前も優等生の学級委員という仮面を被っている」

「あら、女は擬態するものだと思うけれど」

「かもな」

 俺たちは階段を下へと向かった。

「擬態で思い出したけれど、あれもウザいと思わない?」

 一葉かずはが指し示す方に、教員が二人。蒔苗まかないと古文教師の西銘にしなだった。

 西銘は新任の女性教師。まだ女子大生の雰囲気が残った「可愛い系」で、男子生徒に人気があった。

 俺も少し注目している。鑑賞するくらいは良いだろう。

 その西銘にしなが上目遣いで蒔苗まかないを見て、子犬のようにまとわりついていた。

 何だ、あれは?

 二人の話し声が聞こえた。

「ねえ、先生、明後日の祈年祭って、どんなお祭りなのですか?」

「お祭りというより、行事ですね」蒔苗まかないは淡々と答えた。

 蒔苗は少し戸惑っていると俺は思った。

「どのような?」

「今年の豊穣を祈る行事です。わが校から近隣の神社の娘でもある胡蝶日和こちょうひよりが巫女として舞を披露するので、観に行く生徒も多いと思われます」

 蒔苗の丁寧な口調が、西銘と距離を保とうと努力していることを物語っていた。

 一方で西銘は明らかに蒔苗にすり寄っていた。

「あれ? 西銘先生って、蒔苗なんかが良いのか?」俺は、二人の教師の様子を窺いながら、声を落として一葉かずはに訊いた。

「そんなことあるわけないでしょう」一葉は答えた。「あれはただの遊び。蒔苗先生が芦崎あしざき先生を祈年祭に誘っているのを見て、自分も割り込もうとしているだけよ」

「え、蒔苗、芦崎先生を誘ったの?」

 いろいろと訊きたいことが満載だ。いったいどのような展開になっているのだ。

「私も、観に行ってみたいです」西銘の甘えるような声が聞こえた。「でも、だれも一緒に行ってくれません」

「うは、なんだ、ありゃ……」俺はつい洩らした。

 それは授業中の西銘ではなかった。

 新卒新任の西銘は、冗談も言えない真面目でつたない授業をする。

 それを生徒たちが暖かく見守るのが常だった。

 一年近く古文の授業をしてきた西銘は、二月になってようやく教師らしくなってきたのだ。

 そして、一部の男子生徒たちは、長年の推しのアイドルが花開き、舞台の中心で華麗に舞うようになったのを感慨深く鑑賞するかのように西銘を観ていたのだ。

 しかし今の西銘は違う。あざとさ満開。とても同じ人間とは思えなかった。

「自分が誘えば、蒔苗まかない先生が自分になびくかしら、と思ってやっているわね。そして蒔苗先生、どう動くかしら」

「お前、楽しそうだな」俺は一葉かずはに呆れた目を向けた。

「だって、他に楽しみ、ないんだもの」

「ないのかい!」

「毎日、学級委員の仕事とお勉強ばかりだから」

「それはお前が好きで選んだものだろう?」

「そうだけれど、同じことばかりだと飽きて来るわ」

 何だか、一葉も西銘と同じ目をしているな。ほんとうに女はめんどうくさい。

「じゃあ、こうしましょう」蒔苗の声が聞こえた。「一緒に観に行きませんか? 芦崎先生も一緒ですから三人で」

「まあ、嬉しい」

 西銘はそう言ったが、本当はそうではないことを蒔苗は理解しているのだろうか。

「いちばん、ダメな選択肢をとったわね」一葉も不服そうだった。「どっちかに決めないと。そんなだから男はダメなのよ、ねえ、火花ほのか

「おお、そうだな」冷や汗が流れてきた。

「ビッチを切り捨てることができたら少しは見直したのに、ダメね、本当に」

「ビッチって、西銘にしなのことか?」

「あの先生、仲良いカップル見たらつぶしたくなるみたい。実際、あの先生のせいで壊れたカップル、多いわよ」

「うは、ひでえな」そんなの知らなかったぞ。

火花ほのかも、雷人らいと君も、気をつけた方がいいわ」

 そう言って、一葉かずはは離れて行った。

 

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